ジギー・マーリー、ボブ・マーリー映画の舞台裏を語る 「父の人間性を改めて理解できた」

 映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』は、“レゲエの神様”ボブ・マーリーの波乱万丈な生涯を、彼の苦悩と葛藤とともに描いた伝記だ。プロデューサーには、ボブ・マーリーの妻リタ・マーリーらのほか、ボブ・マーリーの実の息子で、自身もアーティストとして活動するジギー・マーリーが名を連ねている。そんなジギー・マーリーにインタビューを行い、今回の映画製作の舞台裏や、父ボブ・マーリーへの思いを語ってもらった。

重要だったのは「作品に真実味を持たせること」

ジギー・マーリー

ーーまずはこの映画の製作の経緯から教えてください。

ジギー・マーリー(以下、ジギー):前々からボブの映画を作りたいと考えていました。最適なパートナーを見つけて、ボブのメッセージを映画を通じて世界に伝えたいなと。なので今回は最初から映画の企画に携わり、監督と脚本家の選定から脚本の内容までガッツリ関わりました。みんなであれこれ話し合って、ストーリーを練り上げていったんです。これぞまさに“チームワーク”という感じでした。

ーーレイナルド・マーカス・グリーン監督や制作陣に何かリクエストしたこと、条件として与えたことはありますか?

ジギー:まずは、ボブの伝記映画といっても、誕生から死までをつらつらと描くだけの映画にはしたくなかったので、ボブの人生において、彼の思考や感情に大きな変化をもたらした特定の時期に絞り込むことをリクエストしました。僕たち家族にとって、それは1976年~78年の2年間でした。暗殺未遂事件が起きたのもその頃でしたね。殺されかけたら、誰だって心情に大きな変化が訪れるもの。スターとしてのボブではなく、1人の人間としてのボブを掘り下げて描くのに、ベストな時代設定だと思いました。その頃、彼がどんなことを考え、どんな感情を抱きながら日々を過ごしていたのか。そして、彼のアルバム群の中でも最も野心的で革新的な作品と評される『エキソドス』をどういう背景で制作するに至ったのか、ということです。

ーーなるほど。

ジギー:もうひとつ重要だったのは、作品に真実味を持たせることでした。ジャマイカの地元民をできるだけ多くキャストに盛り込んだのもそのためです。例えば、ボブのバンド(ザ・ウェイラーズ)のベーシストだったアストン・バレットの息子アストン・バレット・Jr.や、ギタリストだったジュニア・マーヴィンの息子ダヴォが、それぞれの父親役を演じています。ボブのレガシーをきちんと受け継いで、真実味のあるストーリーを描きたい。そういった点は、最初からはっきり主張しました。

ーーボブ・マーリーを描く映画ということで、“音楽”も映画の重要な要素だったと思います。ミュージシャンでもあるあなたが、本作の音楽についてこだわったことを教えてください。

ジギー:音楽監修を務める弟のスティーヴンと、ナイヤビンギの音楽文化を映画に盛り込みたいということで意見が一致しました。ナイヤビンギというのは、ラスタファリアンの集会や儀式で演奏される音楽で、ケテという伝統的な太鼓を叩きながら歌います。父もラスタファリの集会に足を運んでは、ナイヤビンギ音楽を堪能していたんです。もうひとつは、映画館でこの映画を観る人たちが、リズムに合わせて身体を動かしたくなるような、“生っぽい”音にしたかったということ。映画を観ているのではなく、コンサート会場にいるかのような臨場感を得られるものにしたかったんです。音楽面でこだわったのはその2点ですね。

ーースティーヴンのほかにも、母のリタ・マーリー、姉のセデラ・マーリーも本作にプロデューサーとして参加していますね。彼女たちも映画の方向性に関しては同じ思いだったのでしょうか?

ジギー:基本のコンセプトが固まった時点で、映画の時代設定となる1976年~1978年でボブが体験した出来事や感情を描くにあたり、これまで誰も目にしたことのない彼の様々な異なる側面を存分に見せたいね、という話になりました。おちゃめだったり暴力的だったり、嫉妬深かったり感情的だったり、そして自己犠牲の精神に溢れていたり……といったように、ボブ・マーリーという人間を形成するあらゆる要素と側面を余すことなく描きたかったんです。そうして意見が一致した後は、特にみんなで集まって話し合う必要もありませんでした。僕たち家族が集まって一斉に話し出すと、毎回とんでもなく時間を食うことになりますから(笑)。全員一致の方向性をもとに、それぞれ何かアイデアを思いついたらお互いに投げ合ってフィードバックをもらい、それを他の製作陣と監督に伝える、といった具合で進めていきました。

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