『ブギウギ』スズ子とりつ子の歌が届けた“赦し” 戦禍での歌の力を見事に描いた脚本力
第13週から第14週にかけて、“戦争とうた”について描いてきたNHK連続テレビ小説『ブギウギ』。愛助(水上恒司)の結核を巡ってスズ子(趣里)と彼、2人の愛の育みを描いた前半。そして物語の半径を徐々に広げ、“うた”を起点に遠い土地で戦争に対してそれぞれ想いを抱く者たちを描いた演出は、「素晴らしい」の一言に尽きた。
『ブギウギ』が描く戦争は、決してヒロインが大切な人を失って挫けそうになるような、ただの「物語の転換期」としての装置ではない。そこが一つ、従来の朝ドラと一線を画すところだ。本作ではスズ子の公演に対する取り締まりが増え出したり、公演場に向かうまでの街で贅沢を慎む呼びかけが増え出したりと、徐々に人々の顔から笑顔が消えていく背景に“戦争の足音”を忍ばせていた。そして空襲が始まってからも、街に爆弾が投下される様子ではなく、むしろ日々淡々と空襲警報を乗り切っていくスズ子たちの姿が印象的だった。かと思えば、東京が焼け野原になったと聞いて帰ってくると、スズ子も信じられないような光景が彼女の眼前に広がっている。ドラマとして演出された戦争というよりは、そのショックさを含め、まるで当時を生きていた人が本当にその時々をやり過ごしたような感覚で戦争を描くのが『ブギウギ』である。
そして本作に欠かせないのが、歌だ。ヒロイン・スズ子のモデルとなった笠置シヅ子が、特に戦後の日本を元気付けた「ブギの女王」であることから、この2週にわたって描かれたものが作品の核に近いテーマを扱っていることが窺える。戦時中のうた(エンタメ)の意義とは何なのか。特にそれを羽鳥善一(草彅剛)と茨田りつ子(菊地凛子)、そしてスズ子の三者の立場で語った第14週「戦争とうた」は、2話で構成されたとは思えないほど力強いものだった。
文化工作の一環で上海を訪れていた羽鳥は、音楽家・黎錦光(浩歌)との交流を通して新たな音楽を模索する。その流れで彼の口から出た「音楽は自由だ」という言葉。日本にいたとき、自分の楽曲を提供する歌手がどんどん自由に歌えなくなっていった様子を羽鳥は間近で見ていた。そして歌手にとって、歌がどんなに大切なものなのかは以前、りつ子が自身のステージで、六郎を亡くした直後の合同演奏会でスズ子が体現している。「歌」とは歌う者にとって、「自分」を見失わないための……正気でいるために必要なものなのだ。そして第13週から第14週では、それを聞く者にとっても同様に命の糧となり、生きる希望になることが描かれた。
防空壕で赤ん坊が泣き止まず、人と人が思いやりを失いかけたときにスズ子が歌った「アイレ可愛や」。その歌声は生きるか死ぬかの境地に立たされた者たちの荒んだ胸に沁み渡り、正気を取り戻させた。同じ歌をまた聞かせてほしい。そんなリクエストを受けて歌ったスズ子は、世が明けるまで周りの人の心を歌で守り続けたのである。