『ゴジラ -1.0』はなぜ戦争映画として不完全燃焼なのか 歴代作品に捧げられたオマージュ
このように『ゴジラ-1.0』は、原点回帰と意欲的なチャレンジを盛り込んだミレニアムシリーズのマインドを引き継ぎながら、初代『ゴジラ』のリブートに挑んだ作品だと言える。また、怪獣対決モノだったミレニアムシリーズでは、どうしても主人公のドラマパートが少なくなりがちだったが、『ゴジラ-1.0』ではドラマ面を充実させることで、主人公・敷島の葛藤をありありと描き出している。「僕が(ゴジラシリーズの中で)一番好きな初代『ゴジラ』も、見れば見るほど登場する三人の男女(演・宝田明、河内桃子、平田昭彦)のパーソナルな話にしか見えない。(中略)もし今回の作品を見て、スペクタクルと人間ドラマがうまく絡んでいると思ってもらえるのなら、うれしい。そこがゴジラ映画の一番の難しさですから」(※2)という山崎監督の発言からも、ドラマ面への並々ならぬこだわりが窺える。
しかし、『ゴジラ-1.0』を観ていて、最もしっくりこない点がドラマパートであることも事実だろう。
特攻やゴジラの襲撃から生き残ってしまった罪悪感に苦しむ敷島は、「俺の戦争は終わっていない」と何度も強い自責の念に苛まれることとなり、クライマックスでゴジラを倒すことで初めてその罪から解放される。一見ハッピーエンドのように思えるが、果たして敷島はゴジラを倒さなければ一生救われない人間だったのだろうか。そもそも特攻から生き残ったことは罪でもなんでもないし、誰もが“敷島”になり得たかもしれない本作の状況下で、戦争によって無理やり背負わされた罪を、もう一度戦争に挑む行為によってしか拭い去ることができないというのはあまりにも酷ではないだろうか。彼を苦しめている元凶は、ゴジラ以上に“国”ではないだろうか。
何度もゴジラはやってくる、戦争は繰り返されるというメッセージが滲む作品なのに、戦争を再生産しかねない“大きなシステム”にまで敷島の叫びが届くことはない。それは、制度の押しつけばかりが横行し、抵抗する市井の声に為政者は目も向けてくれない……という現代のフラストレーションをトレースしていながらも、そこに抗う意志表示までは描けていないということだ。危機が起きれば結局脅かされるのは人々の生活だし、そういった声を無下にして積み重ねてきた人類の歴史が戦争のトリガーになってしまうことは、2023年の大きな実感の1つでもあるはず。政治や社会は、2000年前も、戦後も、今も、何も変わっていないということをゴジラによって気づかされるーーそんな展開が欲しかった。
また、自責の籠の中から抜け出せない敷島のような人に「それでも生きろ」という真っ直ぐな言葉は強すぎないだろうか。「自分は生きてちゃいけない命なんだ」「死んではダメだ」というやり取り自体も、なんだか『ゴジラ×メカゴジラ』の焼き増しを観ているかのよう。そこから20年経ち、“閉じるように”生きていかなければならないほど言葉のナイフが飛び交っている今の世の中だからこそ、もっとその先が見たいのにと思ってしまう。
もちろん、「この国は命を粗末にしすぎてきた」という台詞があるから、そこに無自覚な作品というわけではないだろう。だが、「一人の犠牲も出さないことを誇りにしたい」という作戦そのものが、あまりに命を粗末にした特攻的な行為になってしまっている点にも大きな矛盾を感じた。「この国の未来はお前たちに任せたぞ」と遺書のように言い残して、大勢の乗組員を巻き込んでいる時点で、命に対して無責任な作戦だと言わざるを得ないし、戦時中の価値観から前に進めていないのだ。決定的な打開策がないなら、せめて一人でも多くの避難(疎開)に力を注ぐべきではなかったか。あの無謀な作戦で本当に犠牲者ゼロを達成していたことで、“平和な国が作った戦争映画”のような結末に成り下がってしまったのはどうしても気になった。
平成VSシリーズやミレニアムシリーズの何が良かったかといえば、怪獣同士の戦いのカタルシスを高めながら、あくまで“特撮映画”に全振りしていたことで、ツッコミどころさえ愛すべきポイントとして鑑賞できたこと。それは『ワイルド・スピード』がこれだけの長寿シリーズになっていく中で、笑ってしまうようなツッコミどころや荒唐無稽さこそが、『ワイスピ』の魅力だと世間から認められるようになったのとどこか似ている。『ワイスピ』の近作に初期作の面影が全くないように、平成VSシリーズやミレニアムシリーズも初代『ゴジラ』から大きく切り離すことで、全く別のエンターテインメント性を生み出していた。『シン・ゴジラ』はそうした文脈を一度断ち切り、ゼロからゴジラを再構築したことで、れっきとした初代『ゴジラ』的なるインパクトを作り出せていた。だが、戦後を舞台にしたにもかかわらず、戦争映画として射抜くべき部分を描けていない『ゴジラ-1.0』は、戦争映画の顔をしたエンタメムービーとでも言うような、やや歪な立ち位置の作品になってしまったのではないだろうか。
だが、本作の評価がどうであれ、結局のところ筆者はそれなりに楽しく鑑賞することができてしまった。山崎監督の見せたいゴジラ像に胸を打たれたのも事実。かつて平成のゴジラシリーズがそうだったように、大きなツッコミどころや矛盾点さえ許容してしまうほど、『ゴジラ-1.0』がエネルギーに満ちた作品になっていたことは認めざるを得ないのだ。ただ、それも所詮、筆者が特撮っ子の一人だからに過ぎないのかもしれないが。
参照
※1. https://www.gqjapan.jp/article/20231103-godzilla-minus-one-movie-takashi-yamazaki
※2. https://www.jiji.com/jc/article?k=2023111701001&g=etm
■公開情報
『ゴジラ-1.0』
全国東宝系にて公開中
出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介ほか
監督・脚本・VFX:山崎貴
音楽:佐藤直紀
制作プロダクション:TOHOスタジオ、ROBOT
配給:東宝
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