『いちばんすきな花』紅葉の“不器用さ”がむず痒い “救い”となった4人のマグカップ選び

 お揃いで色違いのマグカップ。水色、紫、赤、黄色の中から、4人が1人ずつ好きな色のマグカップを手に取っていく。すると、それぞれいちばん好きな色を選んだとしても、最後に選ぶ人が手にした色は“余った“1個に見えてしまう。でも、その人にとっては余っていたから選んだのではなく、いちばん好きだということは変わらないはずなのだ。

 木曜劇場『いちばんすきな花』(フジテレビ系)第5話は、とてもむず痒い回だった。それは、一見すると器用に人間関係を築いているように見える紅葉(神尾楓珠)の不器用な部分が、これでもかとこぼれてしまっていたから。

 紅葉はずっと自分を軽蔑して生きてきた。誰とでも仲良くできるように装って、クラスの中であぶれている人を見つけては声をかけては、一緒にいてあげた。それは、優しいふりをして一番最低なヤツなのだ、と。

 目立つ人たちに便利なヤツとしていいように使われてきた紅葉。誰かに利用されることの苦しさにうんざりしたときに、余っている人を見つけると安心している自分がいた。なぜなら、1人で可哀想な人は裏切らないし、そんな最低な自分とでも一緒にいるだけで嬉しそうにしてくれるから。そんな搾取される側にいる紅葉だからこそ、自分もその人たちを利用しているのだと感じていたのかもしれない。だが、果たして本当にそうだろうか。

 ナンパの手伝いや飲み会の客寄せパンダとして都合のいいときだけ「一緒にいてくれた」友達と、紅葉が1人でいる人の良いところを見つけて声をかけて「一緒にいてあげた」友達とが、同じ「友達」だとは到底思えない。だから、かつての同級生・シノミヤ(葉山奨之)に対して、「自分は優しいふりをしてきただけなんだ」なんて言って、友情を壊してしまうシーンがひどくもどかしかった。

 多くの友達がいるように見えて、実際はお腹が痛いときに「お腹が痛い」と素直に弱音を吐く相手がずっといなかった紅葉。1人で誰かとのつながりを求めているときよりも、たくさんの人に囲まれながら感じる孤独のほうがずっと絶望的であることを日々感じていた。

 そんな紅葉が「1人でいる人を見ると安心した」とシノミヤに本音を明かしたシーンは、私たちからすればある種の「お腹が痛い」と言っているようにも思えたのだが、シノミヤにしてみれば罪悪感から一方的にいい思い出を上塗りされたような感覚にしかなれなかった。その噛み合わなさをむず痒く感じたのは、私たちが紅葉の素の部分を視聴者として俯瞰できていたからなのだろう。

 例えば、これがSNSくらい表面的にしか紅葉のことを見えていなかったらどうか。たくさんのフォロワーがいる人気者が、1人ぼっちな自分に気さくに声をかけて仲良くなってくれた。「さすが人気者は違うな」「ありがたいな」なんてリスペクトしていたら、「お前が誰にも見向きもされない可哀想なやつだから声をかけたんだ」「それで安心していたんだ」なんて言われたら、それは落胆するのも無理はない。

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