『ブギウギ』にも“家族の時間”の象徴として登場 銭湯が物語に欠かせない理由とは
スズ子(趣里)の人生で最初の舞台は、父・梅吉(柳葉敏郎)が経営する銭湯「はな湯」だった。NHK連続テレビ小説『ブギウギ』は、大阪の下町にある小さな銭湯で育った主人公がやがて戦後を明るく照らすスター歌手として成長していく姿が描かれる。スズ子のスタート地点として銭湯が選ばれたのは、実は必然的な選択だったとも思える。
「一緒に風呂に入ることとは家族になること(を表現する)」とは、特に是枝裕和監督作品を批評する際に用いられるフレーズだ。『そして父になる』『万引き家族』などでは浴室でのコミュニケーションが家族間の親密さを表す例が見られるが、その風呂に公共性を持たせた銭湯を舞台にした作品が増えている。
それは銭湯という“日常の非日常”を演出できる場が、映画やドラマなどのエンタメ作品と相性が良いからだろう。例えば『ブギウギ』における銭湯とは、地域の人々の憩いの場であり、異なるバックグラウンドの人が集まって、一時の癒しを共有する場所である。
そしてその本質にあるものは、スズ子が目指していくステージにも似ている。ステージで歌や踊りに没頭している瞬間は、観る側も表現する側も厳しい現実世界を忘れて舞台に浸ることができるからだ。この非日常感こそが、銭湯とステージの共通点なのだ。
物語の中で頻繁に登場し、昭和の雰囲気を濃厚に残す銭湯は、映画のロケ地としてもしばしば使用されている。『テルマエ・ロマエ』のような大ヒット作から犯罪サスペンス『メランコリック』、コメディ映画『湯道』など、幅広いジャンルでその存在感を発揮している。
「銭湯映画」は時代を映す“鏡”ーー世の中の変化に合わせて生まれた、新しい意味と物語性
松本穂香主演の映画『わたしは光をにぎっている』が好評だ。一緒に暮らしていた祖母の入院を機に、ひとり東京に出てくることになった20…
さらには『わたしは光をにぎっている』『湯を沸かすほどの熱い愛』などから、近作では『アイスクリームフィーバー』『アンダーカレント』にも登場する銭湯。近年の作品の傾向としては、銭湯の内側と外側に焦点を当てた、2つのアプローチが見られるのではないか。
一つは、銭湯の仕事を手伝う主人公が、そこで出会うさまざまな人々との交流を通じて成長していく姿を描く“外界の他人と繋がれる”場所としての銭湯だ。たとえば、『わたしは光をにぎっている』では、銭湯で働く澪(松本穂香)が昔ながらの商店街の人々との交流から自らの居場所を見出していく様子を描く。先ほど例に挙げた『ブギウギ』のスズ子と銭湯の繋がりもこのパターンに当てはまる。しかし、『ブギウギ』における銭湯はもう一つの役割も内包していると捉えられる。