『ハヤブサ消防団』を成立させた中村倫也の巧みな“受け”の芝居 “ジャンルレス”な面白さ

 『ハヤブサ消防団』(テレビ朝日系)を、どうジャンル分けしたらいいものか悩む。どこにもない手触りの作品なのだ。ヒットメーカー・池井戸潤の小説を原作とするドラマだが、本作には「企業」も「工場」も「対決」も登場しない。

 ミステリー作家の三馬太郎(中村倫也)は、5年前に「明智小五郎賞」を受賞したものの近年はスランプ気味で、ヒット作が出せずにいた。そんな折、亡き父から相続した一軒家の様子を見にいくために、緑深い山村「八百万町・ハヤブサ地区」を訪れる。太郎は土地の持つ神秘的な魅力に心奪われ、スランプ脱却のため環境を変えてみたいという思いも相まって、ハヤブサに移住することに。移り住んで早々、地元の消防団の面々から熱心な勧誘を受けて入団することになり、さらには、村で起こる連続放火事件に巻き込まれていく。

 ……と、このドラマ、“一層目”は、地方の集落を舞台に、主人公の太郎が事件の真相に迫る「ミステリー」の体を成しているが、村の住民たちとのふれあいと人間模様、そして太郎の作家としての再生を描く「ヒューマンドラマ」ともとれる。シーンによっては、人間臭い消防団の面々による「おじさんたちの青春コメディ」にも見える。あるいは太郎にとって、ひと夏の「ホリデイ・ホラー」とも言えそうだ。というか、それらが「全部盛り」なのである。「ジャンル」など、この際どうでもいい。とにかくこのドラマは、とても多層的だ。カオスと言ってもいい。けれど、「しん」としたハヤブサの自然に抱かれるように、なぜかそうした要素すべてが渾然一体となって、調和している。

 手に汗握る消火シーン。美しくもどこか不穏でおどろおどろしさが漂う山村。カネと利権と私欲が絡みあう地方の集落の現実。都会にはない「人々との“生身のふれあい”」を通じて何かが変わっていく太郎。突如見つかる住民・浩喜(一ノ瀬ワタル)の水死体。謎の老婆と、彼女に“帰依”する住民たち。かと思えば、ズボンのケツが「破れた」「破れない」で小競り合いをはじめる消防団の分団長と部長。緊張と緩和がテンポ良く押し寄せ、観る側は気持ちが忙しい。「なんだこれは?」「どういう気持ちで観たらいいんだ?」と思っているうちに、なぜかハマってしまう、不思議なドラマだ。

 この「知らぬ間にハマっていた」という視聴者感情に寄り沿うように、太郎も、いつの間にか田舎の人間関係、村の行事や事業、そして連続放火事件、殺人事件に巻き込まれていく。主人公に中村倫也を配したキャスティングが、まず素晴らしい。太郎という「巻き込まれ系」の主人公は「受け」の芝居が多く、実はとてもスキルを要する役だと言えるだろう。中村のしなやかな演技力が十二分にその要求に応えている。

 消防団を構成する個性豊かな面々の芝居も楽しい。部長の賢作(生瀬勝久)、分団長の郁夫(橋本じゅん)、副分団長の洋輔(梶原善)、班長の省吾(岡部たかし)という“味”のあるおじさんたちが、作品にグッと厚みを与えている。また、「“地元の兄ちゃん”を演じさせたら右に出るものはいない」満島真之介演ずる勘介の存在も欠かせない。こうした“クセ強”メンバーがワチャワチャするなか、太郎による「脱力系のツッコミ」がひときわ光る。

 東京の出版社からリモートで太郎の尻を叩く、担当編集者の中山田(山本耕史)のコメディ・リリーフぶりも見逃せない。気さくさと厚かましさ、正直さと傍若無人さの狭間をたゆたう絶妙な匙加減と、高田純次を彷彿とさせる「適当トーク」がたまらない。どちらかといえば受動的に「巻き込まれていく」太郎とは対照的に、第4話からは中山田が野次馬根性を発揮して、自ら積極的に事件に首を突っ込んでいくようだ。細かすぎて伝わらないかもしれないが、第3話で中山田が東京からやってきて太郎の自宅を訪れ、古いアルバムを手に取って匂いを嗅ぎ、「見てもいいですか?」と言いつつ、太郎の許可を得る前にもうページをめくり始める芝居など、「山本耕史ここにあり」といった趣。こうした中山田と太郎のハイブローなコント的かけ合いも、お楽しみ要素のひとつだ。

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