『らんまん』前半の集大成となる見事な“最終回”演出 第1話の対となるセリフが随所に

 全26週となることが放送開始時点から予告されている『らんまん』(NHK総合)は、第13週「ヤマザクラ」第65話で折り返しを迎えた。それはタイトルバックなし、終盤にエンドロールが流れるという朝ドラとしては恒例の“最終回演出”。

 Twitterには案の定「らんまん最終回」がトレンド入りをしていた。万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)の祝言というおめでたい場からの、峰屋の本家と分家の衝突、さらにタキ(松坂慶子)の「らんまんじゃ」というセリフとその最期、第1話冒頭シーンの回収という、それぞれの人生の分岐点を描いた、前編の物語の集大成と言える濃密な内容を15分の中にパンパンに収めた見事な回であった。

 筆者の中で強く印象に残ったのは、第1話の対となるような場面やセリフが多く見受けられること。第1話には分家の豊治(菅原大吉)と紀平(清水伸)が「どうせ長うは生きられん」「いっそ万の字は、生まれて来んほうがよかったが」と話しているのを、当時まだ幼く身体の弱かった万太郎(森優理斗)が聞いてしまうというシーンがある。正直に言うと、なぜこんなモヤッとする場面が第1話のラストなのだろうと思ってはいたのだが、今回の第65話でタキが万太郎に言うセリフを聞いて納得がいった。

 かつて母のヒサ(広末涼子)は万太郎を「宝物」だと話していたが、タキは万太郎が「希み」であると告げる。万太郎から、綾(佐久間由衣)とその伴侶となる竹雄(志尊淳)に譲渡されることとなった峰屋。「分家の分際で」と彼らを見下してきたタキの「互いに手を取り合って」という願いが分家の3人に理解されることはなかったが、万太郎は血筋、金、格式という「家」という形に囚われることなく、“天狗”こと坂本龍馬(ディーン・フジオカ)が言っていた「望む者」を目指し、植物学者へと邁進している。いつしか東京で活躍する万太郎がタキにとっての生きる希望へと変わっていった。厳格だったタキが時代の変化を受け入れ、柔らかくも凛とした印象に変化していったのには万太郎の存在がきっと大きくある。さらに言えば、「呪い」だと白い目で見られていた綾が、竹雄から「祝い」だと言葉をかけられるところとも相対的になっているように思われる。

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