朝ドラ『芋たこなんきん』の不変の“革新性” 人間愛を描き切った16年前の名作を再評価

 「主人公の幼少期から始まる物語を、時系列で追う」というのが通常の朝ドラのセオリーだが、本作品は2人の会話劇を活用して、その逆を行く。1日のタスクを終えた町子が健次郎と晩酌をし、語り合いながら、昔の記憶を辿る。その町子の「語り」を“実写化”する形で「少女編」に突入するのだ。

 「少女編」では、時代が戦争に突入していく中、悲しみ、苦しみと地続きに起こる、くすりと笑える日常の挿話がテンポ良く描かれる。この筆致がまさに「物書き」の手つきであり、花岡町子の「作家性」と言えるのではないだろうか。そして、健次郎との会話を通じて蘇る回想は、やがて町子の書き上げる数々の著書の原案となっていく。

 写真技師である祖父・常太郎(岸辺一徳)や父・徳一(城島茂)から譲り受けた審美眼と仕事への矜持。淡い恋心を抱いていた従兄弟・信次(宮崎将)の戦死。大好きな本の話をしながら互いに刺激をもらいあった文学少年・寛司(森田直幸)から託された「小説家」のバトン。戦争で味わった、半身をもぎ取られるような喪失感。「少女編」で明かされるひとつひとつのエピソードが、作家・花岡町子を形作る“栄養素”として粒立っている。

 町子にとって書くことは生きることであり、生きることは書くこと。「笑いあり涙ありのホームドラマ」の形をとりながらも、『芋たこなんきん』は非常に文学性の高い作品と言える。「少女編」の戦争を除けば、大きな事件はほぼ起こらず、日常の描写が続く。しかし逆に言えば、世界は足元にあり、社会の最小単位である「家」の中にも無限の多様性と広がりがあるということを、このドラマは教えてくれる。

 人はそれぞれに違う。男と女は違う。健次郎と町子は違う。だからといって「この属性はこうあるべき」という決まりなどない。「“ねばならぬ”は野暮」が健次郎と町子の合言葉であり、このドラマのスローガンでもある。違いを認めたうえで尊重しあい、平等であることが大切なのだ。「同化」ではなく「共生」。「依存」ではなく「共存」。この哲学が、『芋たこなんきん』には貫かれている。

 下は3歳(ドラマ開始時、徳永家の末っ子・亜紀(寺田有希))から、上は80代(正月に“迷子”になって徳永医院にやってくる近所のご老人・石川サキ(河東けい))に至るまで、様々な属性、個性、信条、立場の人々が登場する。ご近所さんたちの集うおでん屋「たこ芳」の名物女将・りん(イーデス・ハンソン)は、アメリカ人だ。「ねばならぬ」の垣根をひょいと飛び越えた、魅力的な登場人物が、それぞれに自分らしく、人間らしく生きている。

 健次郎の亡き妻・澄子を尊重し、町子は徳永家の子どもたちに自分のことを「お母ちゃん」ではなく「町子おばちゃん」と呼ばせている。そして「ひとりの人間」として子どもたちと真剣に向き合う。人と人との「距離感」が絶妙で、ここにドラマとしての品性がある。

 原案者である田辺聖子は著書の中で、「たくさんの人と仲よくやるための個」「その個を守るためには、車間距離がなくてはかなわない」と語り、常に「上機嫌」でいることの大切さ、相互理解と対話の重要性を説いている。このドラマを書くにあたり、田辺作品をひたすら読み込んだという脚本家の長川千佳子は、田辺が作家人生を通じて著し続けた人間愛と幸福論を、ドラマの中に余すところなく落とし込んでいる。

 小説とはなにか、文学とは何か。ドラマが投げかける“自問自答”に対し、町子は「一生かかったかて、答え出えへん」と言う。しかし、「人間を描くこと」というひとつの答えが、明言されずともドラマ全編を通じて体現されている。「人間を描くこと」。同時にそれは、毎朝15分×半年をかけて物語を紡ぐ、朝ドラの真髄とも言えるのではないだろうか。

 ダイバーシティ、ジェンダー平等、ワークライフバランス、終活。こうしたキーワードが今ほど声高には叫ばれていなかった16年前に、早くもくっきりとメッセージとして打ち出していたこの朝ドラの“新しさ”に驚く。

 過去の名作朝ドラを享受することは、名盤を「Digる」ことに似ていると先述したが、その後に続く数々の朝ドラには、「もしかして伝説の“名盤”『芋たこなんきん』のサンプリング(オマージュ)なのでは?」と思わせる箇所が多々ある。

 健次郎の兄・昭一(火野正平)のキャラクターは、数多の朝ドラに登場する「風来坊の兄」「変なおじさん」枠に影響を与えている気がする。また、本作品が描いてみせた「人物の多様性」は、朝ドラの特性である「群像劇」の、ひとつの指針となったのではないだろうか。

 歴代ヒロイン(本作品では『青春家族』のいしだあゆみ、『ふたりっ子』の菊池麻衣子、『やんちゃくれ』の小西美帆、『私の青空』の田畑智子)が脇を固めるという配役は『なつぞら』へと、芸術と日常の不可分性の描写は『スカーレット』に、ヒロインの著作がドラマになっているというメタ構造は『カムカムエヴリバディ』に受け継がれていると思えなくもない。徳永家の三男・隆(土井洋輝)が、憧れのヒーロー「ウルトライダー」の決めゼリフ「見・参!」を真似て叫ぶ姿には、『カムカムエヴリバディ』で時代劇のヒーロー「黍之丞」のそれを真似ていた幼少期のひなた(新津ちせ)をつい重ねてしまう。

 朝ドラというものは、いつの世も何らかの時事性を映している。そして時には、再放送も例外ではない。コロナ禍、戦争、経済危機、世界の分断ーー。先の見えない混沌の時、このタイミングで『芋たこなんきん』が再放送されたことは、このうえない僥倖だ。物語は折り返しを過ぎたが、今からでも遅くない。この名作がひとりでも多くの人に観てもらえることを、願ってやまない。

※宮崎将の「崎」はたつさきが正式表記。

■放送情報
『芋たこなんきん』
NHK BSプレミアム4Kにて、毎週月曜〜土曜7:15〜7:30放送
原案:田辺聖子
出演:藤山直美、國村隼、田畑智子、山田スミ子、邑野みあ、ぼんちおさむ、入川保則、国木田かっぱ、鳴尾よね子、天童よしみ、いしだあゆみ
語り:住田功一
脚本:長川千佳子
音楽:栗山和樹
写真提供=NHK

関連記事