『竜とそばかすの姫』に刻まれたネット社会の問題点 主人公の行動が賛否両論を呼んだ理由
そして『竜とそばかすの姫』はWeb3.0時代の到来を予見し、メタバースをテーマにした映画ではないか、という評価もある。細田監督自身もインタビューにて「ネットは道具からもう1つの世界になった」(※2)と語る。誰もがアバターを持ち、人種や性別などの現実の外部的要素に左右されることがない世界。近年のVtuberの流行などに象徴されるように、新しい時代の幕開けが近づいていることを予感させる。
だが、インターネットには問題点が多いことも事実だ。個性を発揮し認知され、人気者になる可能性を秘めているものの、同時に輝く個性は反感を買い、“アンチ”を生み出す。法律違反やマナー違反でなくても、言葉のあやによって、些細な行き違いから炎上状態になることもある。またプライバシーを侵害され、プライベートな問題に注目されてしまうこともある。
インターネットは誰でも簡単にアクセスし、発信することができる。それは裏返せば、誰でも簡単に悪意をばら撒くこともできる、炎上状態を作り出せる空間でもある。個人主義の場のようでありながらも、明文化されていない共同体の論理が働きやすい場である。特に日本語という、ほぼ日本人しか母国語にしない言語を中心としたネット社会にいると、世界の広い視野が流入しにくく、より共同体のしがらみは強くなる。
『竜とそばかすの姫』では、そのようなネットの問題点を描いている。本来保護するべき存在である竜を中傷し、自身に起きている現実の問題を訴えかけるために注目を集めるための行為を、マナー違反だとして悲痛な声を無視して攻撃する。どれだけインターネットが発達しようとも、問題が簡単には解決しないことも提示している。
本作は、もしかしたら2021年で最も賛否が割れた作品の1つであるかもしれない。公開当時から多くの議論がされており、その原因は児童虐待の解決方法を巡る点にあった。主人公・すずが少年を助けにいく描写に問題があるのではないかと問われた。その議論の原因の1つは、すずが高校生であり、本来守られるべき存在である子どもの女性ということもあるだろう。この映画は確かに一般社会では問題解決に向けて動くべきとされる大人が、あまり機能していないのは確かだ。
だが、細田守は子どもの成長と同時に親や家族からの脱却ということを描いてきた作家でもある。『おおかみこどもの雨と雪』や『バケモノの子』は、家族や親代わりの存在と離れて、自分の人生を見つけて自立することを成長として描いている。『未来のミライ』では、幼児が主人公なため家族から離れはしないものの、自分のルーツを知り、舞台となっていた家を出ることをラストに描いている作品でもある。
細田作品は、誰かにそうするべきだと言われるのではなく、自分で考えた結果、間違っていたとしても行動することを成長として描いている。共同体の論理や自分を守ってくれる存在から脱する、個人主義の様相が強い。だからこそ、すずは、誰かに促されたり、守られる存在ではなく、自分で選択し、守る存在になることを成長として描かれている。
そしてそれは、明文化されない共同体の論理に、正しさを押し付けられがちなネットという社会で、それでも自分は1人の個人として生きるという意志を示す上で、とても重要な選択なのではないだろうか。きっと今回の放送後も今作が描き出したすずの行動について、様々な意見が巻き起こるだろう。ただ、解釈がたくさんあることこそが、実に豊かな映像表現である証拠ではないだろうか。
インターネットは日々進化し、その描き方も変わっていく。しかし人間の営みは、そう簡単に変わりはしない。メタバースやWeb3.0という最新の技術を扱いながらも、変わらない人間の行動を描いた本作を、ぜひご家庭でも楽しんでほしい。
参照
※1. https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h13/pdf/siryoh.pdf
※2. https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD259U10V20C22A3000000/
■放送情報
『竜とそばかすの姫』
日本テレビ系にて、7月8日(金)21:00~23:24放送
※放送枠30分拡大・本編ノーカット
声の出演:中村佳穂、成田凌、染谷将太、玉城ティナ、幾田りら、役所広司、佐藤健
原作・脚本・監督:細田守
企画・制作:スタジオ地図
音楽監督:岩崎太整
音楽:岩崎太整、Ludvig Forssell、坂東祐大
(c)2021 スタジオ地図