『鎌倉殿の13人』翻弄された頼朝は大泉洋の真骨頂 三谷幸喜とのコンビだから描けた最期

 『鎌倉殿の13人』(NHK総合)6月26日の第25回で、大泉洋演じる“鎌倉殿”こと源頼朝が 倒れた。頼朝は、その回の放送、いやその前からずっと、自分の死期を悟っているようなところがあった。

 第23回では、曽我五郎(田中俊介)が頼朝に仇討ちをしようとするも、頼朝は運よく助かる。今までだって何度も命が助かった運の強い男であった。しかし、義時(小栗旬)に「天に守られている」と言われた頼朝は、「今までははっきりと、天の導きを感じた」「昨日は何も聞こえなかった。たまたま助かっただけだ」「わしがなすべきことは、もうこの世に残っていないのか」とこれまでとは違う感覚を語るのである。

 人間は何かしらに導かれており、その生のエネルギーを何かに使うべきことがある。そのエネルギーを間違って使うと死を引き寄せるということが、鎌倉時代にあったのか、それとも三谷幸喜の考えなのかどうなのかはわからないが、頼朝の描写を通して視聴者にもわかりやすく示されていた。

 そう示されるのは、頼朝だけではない。頼朝が亡くなったと聞き、自分が頼朝に代わって鎌倉殿になろうとしてしまった頼朝の異母弟の源範頼(迫田孝也)は、周りに盛り立てられ、半ば勘違いしてしまったことについて、「今思うと、背伸びしすぎていたのかもしれない」「兄上のもとで政に力を尽くすなど、とても私の任ではなかった」と振り返る。そこに居た北条時政(坂東彌十郎)も、「今の自分は分不相応をしてるんじゃねえかって」と語る。“分不相応のこと”をしてしまった範頼は、その後、頼朝の命によって帰らぬ人となってしまった。

 頼朝と政子(小池栄子)の娘である大姫(南沙良)は、子供のときより思いを寄せていたが亡くなってしまった許嫁・冠者殿=源義高(市川染五郎)への思いを断ち切り、縁談話を受け入れ前を向いて生きようとする。しかし、入内の覚悟を持っていないことを丹後局(鈴木京香)に見透かされてしまう。

 その後、三浦義村(山本耕史)が大姫に対して「姫は姫の生きたいように生きるべきです」「人は己の幸せのために生きる、当たり前のことです」という助言を与える。しかし、この時代に源頼朝と北条政子の間に生まれ、思いを寄せた人を失った大姫にとっては、そのポジティブな言葉は「生」には向かわせなかった……。

 頼朝も、征夷大将軍になったところであったが、なにかこれまでのように目的を持ち、役割を持って生きる道筋が見えなくなっていたのだろう。それでも、自分にはまだまだ「なすべきことがあるのだ」と抗うが、そのことがどんどん自分を苦しめる。

 以降、頼朝は異母弟・阿野全成(新納慎也)の予言を気にかけ、不吉なことや、誰かと思い出話をしたり、過去を振り返るのを嫌うようになっていく。嫌っているにもかかわらず、彼の死に向かっているエネルギーのために、どうしてもそんな会話になってしまうようであった。

 長年連れ添ってきた政子と、しみじみしたことを言いたくないのに言い合ってしまい、お互いに笑いあう姿には、どこか観ていて涙が出てきた。物語の中で、なんでもないことで笑いあうシーンがよく観られるということは、そのふたりに今生の別れが近づいてきているということだからかもしれない。

 とはいえ、鎌倉殿は、人を疑い、それゆえに人を殺めてきた人でもある。巴御前(秋元才加)を目の前にしたとき、頼朝は「あのときはああするしかほかなかった」と語るが、このセリフが実はこの物語のすべてを語っているように思う(ただ、この言葉はすべてにおいて都合のいい言い訳にもなりうるが)。

 父を亡くし、北条と結びつき、戦の中で生きながらえてきた頼朝は、すべてのことは「ああするしかほかなかった」のである。そして、彼を支えてきた義時もまた、「ああするしかない」運命の中に飛び込み、今後もそうして生きていくことだろう。

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