『いだてん』は“オリンピックとは何のためにあるのか”と問いかける 改めて響くセリフの数々

 オリンピックの歴史はあまりに膨大で複雑だ。金栗のようにオリンピックに出るために奮闘するアスリートたち、田畑のようにオリンピックを日本に招致しようとする運営側の人たちと関わり方は千差万別。アスリートには、陸上、水泳、バレー等々、たくさんの選手たちの物語がある。運営に関しては政治が絡んでくる。関東大震災や戦争など未曾有の出来事もくぐり抜け人々はオリンピックを行おうとする。

 歴史に残る有名な逸話やNHKの圧倒的な調査力によって発見された資料と、脚本家の宮藤官九郎による創作、それらが「東京オリムピック噺(ばなし)」という落語となることでエンタメ化する。宮藤はかつて連続ドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS系/2005年)で落語家のストーリーを描いたこともあって落語に造詣が深い。物語と落語をじつにうまく絡めていた。おもしろくおかしく語りながら、時には「笑いにもっていけない」となることもあって、これもまた効いていた。

 とりわけ傑作だったのは、第39回「懐かしの満州」。志ん生が圓生(中村七之助)と満州慰問にでかけ、そこで金栗の陸上の弟子・小松勝(仲野太賀)と出会い、落語「富久」のアイデアをもらう。その小松の息子・五りん(神木隆之介)がやがて志ん生の弟子になるというめぐる因果の物語は胸を打った。『いだてん』は時系列どおりに物語を進行せず、第1話はオリンピックの招致が決まった昭和から始まって、明治へ遡り、その後も明治や大正と昭和を行ったり来たりしていた。昭和のパートで五りんの素性を明かさないまま志ん生のもとで修行する姿を描くことで、後々、五りんの出生の秘密が解けたときの感慨はひとしお。時系列どおりに描かなかった最大の効果と言っていいだろう。

 物語の語り部が志ん生である必然性もちゃんとある。最終回、1964年の東京オリンピックの開会式の日に志ん生が何をしていたか、そこが『いだてん』の肝になっている。これだけ膨大な素材があると、それを順番に並べていくだけで青息吐息になりそうなところ、歴史的な重要ポイントを抑えつつ、物語としての仕掛けの楽しみを随所に配置していく。実在の人物と史実にオリジナルキャラとエピソードを挿入してがっちり繋いだとても力強い台本だった。

 とはいえ、落語とオリンピックを並行して描くことで浮かび上がってくるものが、2019年の放送当時よりも2021年の今、これほどまでに響いてくるとは、お釈迦様でも、いや、さすがの作者も予期してはいなかったのではないか。それはつまり、オリンピックとは何のためにあるのかという本質的な問いかけである。

 最初は世界中の人たちが集まる平和の祭典だったオリンピックが、いつしか人々の欲望と利権にまみれ、オリンピックを開催することが主目的になっていく。そのためには莫大な大金も必要になっていく。第26回「明日なき暴走」で田畑はオリンピックがやりたいがために「富める国はスポーツも盛んで国民の関心も高いんです」「金も出して口も出したらいかがですか」と大蔵大臣・高橋是清(萩原健一)から多額の寄付を獲得する。そのとき日本でも政治とスポーツが深い関わりを持ってしまった。

 第37回「最後の晩餐」ではヒトラーによるベルリン・オリンピックを経た田畑がオリンピック招致が国力を誇示するものと化していることに危機感を覚える。やがて戦争が始まるが、嘉納はオリンピックをやろうとする。田畑は「こんな国でオリンピックやっちゃオリンピックに失礼です」「今の日本はあなたが世界に見せたい日本ですか」と嘉納を問い詰める。

 2019年に放送された『いだてん』は来るべき2020年のオリンピックのプロパガンダではなく、オリンピックの影の部分にも光を当てていた。2019年当時も、田畑のこのセリフは注目されたが、2021年の今、再び、SNSで引用されている。今こそ、このセリフが実感を伴って響いている人たちも少なくないだろう。

 田畑は念願のオリンピック招致を勝ち取る。第45回「火の鳥」で田畑は「人見絹枝や前畑秀子の時代から変わった。国を背負うんじゃなくて自分のためにやってるんじゃんねえ」と感慨深けに振り返る。オリンピックに影を落とす人々の金や名誉への野心も見つめながら、『いだてん』ではオリンピックの本来の価値を国のためではない“自分”のためであるという希望を描いた。その象徴が金栗である。

 1912年のストックホルム、レースの途中で迷子になってゴールできなかった金栗はその後ずっとオリンピックに挑戦し続ける。だがアントワープもパリもいい結果を出せずに終わる。身体的なピークの時期を逃した金栗は次世代の選手育成に舵をきる。そのひとりが小松だった。1秒を争う競技では、それを生み出す身体が必要でその身体は容易に作れない。奇跡のようなタイミングのために日夜努力を積み重ねていくアスリートたち。その奇跡の時間は代え難い。だから簡単に中止や延期はできない。その事情にも寄り添いながら『いだてん』が描くのは「人生において大切なのは勝つことでななく努力をすること」なのである。

 金栗は、最初は自腹でオリンピックに参加し、オリンピック出場を逃しても、年老いても、彼はただただ走り続ける。そしてもうひとり、志ん生は脳出血で倒れ身体が思うように動かなくなっても落語をやり続ける。

 『いだてん』が放送された2019年、東京2020オリンピック競技大会がどのようになるか誰も想像していなかった。コロナ禍で1年延期になって2021年に行われることになり、その開幕に合わせて総集編が再放送になる今、本放送とはまるで違った視点や気持ちで観ることができそうだ。

 なお、「こんな国でオリンピックやっちゃオリンピックに失礼です」「今の日本はあなたが世界に見せたい日本ですか」の名場面は総集編の第二部の前編、絶品の満州のエピソードは第二部の後編にある。見逃すな。

■放送情報
『いだてん〜東京オリムピック噺〜総集編』
7月22日(木・祝)NHK総合にて放送
NHKプラスにて7月29日(木)まで見逃し配信中
13:05〜14:15 第一部 前編
14:16〜15:21 第一部 前編
15:26〜16:37 第二部 後編
16:38〜17:42 第二部 後編

作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺:ビートたけし
出演:中村勘九郎、阿部サダヲ、綾瀬はるか、生田斗真、杉咲花、竹野内豊、麻生久美子、桐谷健太、森山未來、神木隆之介、橋本愛、夏帆、小泉今日子、松尾スズキ、星野源、松坂桃李、安藤サクラ、松重豊、浅野忠信、薬師丸ひろ子、大竹しのぶ、役所広司ほか
写真提供=NHK

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