綾野剛×清水崇監督が語る、『ホムンクルス』映画化への覚悟と根底にあった“愛”の話

 “トレパネーション”という、実在する頭蓋骨に穴を開ける手術を受けたことで、本来見えないものが見えるようになるーー。カルト的人気を誇る山本英夫による原作を清水崇監督が主演に綾野剛を迎え映画化した『ホムンクルス』。人間が最も恐れるその人物の深層心理を暴くというサイコミステリーな題材だが、果たして真に描かれているものは何なのか。

 お金はあるのに車上生活を送る記憶喪失の主人公・名越を演じた綾野剛と清水崇監督に、作品について話を聞いた。

生半可な思いではできなかった映画化

――原作の印象を教えてください。

清水崇(以下、清水):他人の深層心理にあるわけのわからないものを具現化し、その形には何か意味があるのじゃないかと思わせるという、僕が今までやってきたホラーとは少し違って、トレパネーションという実際にある施術に基づいているという発想に驚かされました。連載中に山本先生と会った際に、原作を描く上で苦しんでいた姿も見ていたので、映画化も生半可な思いではできないと考えていました。

綾野剛(以下、綾野):はじめて『ホムンクルス』を読んだとき、こんなにも人の脳内にある圧倒的な狂気を漫画化していいんだと驚きました。頭の中って、とてもファンタジックで危ないし、それを具現化できる方ってそうそういない。漫画だからできる表現の幅の広さやコントラストにとても感動したのを覚えています。人の痛みの感じ方や、狂気の感覚は共通していると考えていたので、まさにそれが漫画になっていることへの衝撃でした。初めて読んだときから先生と原作の大ファンです。

――漫画原作がある作品を演出する、演じるうえでどういった難しさを感じましたか?

清水:映画だと後半を盛り上げるために風呂敷を広げて……と考えがちですが、そんな定番から外しながらも、原作のテーマに乗っ取った生々しい人間の姿のダイナミズムは描けたと思います。自分の心理の中だけで大きく膨らんでしまったものって誰もが抱えていて、それを漫画がしっかり描いているので、「映画もそこだけはやりきらないと」と思い、迷いました。役のまま生きてくれるような俳優と組みたいとずっと思っていたので、綾野くんと組むために構想に何年もかかったのかなと思うほどに感じています。

綾野:清水監督は、オリジナルの作品にずっと向き合ってきた監督で、本当にすごいことだと思うんです。清水監督の作品には、常に能動的な実験が行われていて、「こう撮ればエンタメになる」と原作ものを扱うことに慣れているような人が作るものとは根底から違う。だから、監督と同じ感覚を持ち合わせなきゃいけないなと意識することはありました。画や照明などの作品の世界観をつくることは、監督と同じようにオリジナルに向き合ってきたスタッフのみんなが生み出すものだから、何の不安もありませんでした。その中で、いかに僕自身を良い意味で馴染んでいないように見せるかが難しい。

清水:『ホムンクルス』はとても写実的に描かれているので、そのままトレースすればいいと思えるけれど、だからこその難しさがありました。そこには本来、匂いも息遣いもあって、むしろトレースだけをしてはいけない部分が山ほど出てきます。俳優さんにも役として息をしてほしいし、演出する側も、実世界で描くにあたって、物語やあらすじをなぞるだけではいけない。漫画のなかでは描かれていなかったものが見えることや、記号化されていたはずのものがそうでなくなることの怖さがあるはずで、空虚の世界観を現実にもってきたらどうなるのかというオリジナルではないからこその壁がありました。同時に、巻きこんでいる人たちを裏切りたくないという思いと、「漫画と同じことをするなら漫画を読めばいい、俺は違うことをするから」という裏切りも一緒にやっていかなければいけなくて。綾野くんとたくさん話し合いながら作っていきました。

清水崇という監督性

綾野:清水監督の作品で、男性が主役の映画は『稀人』くらいでほとんどないですよね。監督の意図とは違うかもしれませんが、男性がホラーの世界で叫んだり怖がっていても、説得力を持たせるのが難しいのでは? と考えてました。そのなかで、僕たち男性からしたら畏怖を感じる女性に対峙し続けている監督はそうそういないと思います。清水監督の作品はホラーの中に、文学や実験が入れられていて、一概に“ホラー”というひとつのジャンルで清水さんを語るには少し暴力的に思えるし、その実験的要素がこの『ホムンクルス』という作品に欠かせないものだったと思います。

清水:まさに『ホムンクルス』もそうですが、一時、僕がホラーばかりを撮り始めて「この人ホラーが得意なんだ」と、そのジャンルのオファーばかりになったとき……今もそうですが(笑)、自分のなかで「こういう時はこうすればいい」、「みんな欲しがっているものはこれでしょ」と高を括った状態になったことがありました。ただ、正攻法だと思ってそれをやっても、自分の中の驕り高ぶりも含めて楽しめなくて。楽ではないことを自分に強いないと、仕事として面白くないし、それは観てくれる方にも伝わってしまうので、同じホラーでも、僕としては「次は何をしてやろう」と自分の中で考えて毎回作っています。