“最狂”の言葉に偽りなし? ソ連再現プロジェクト『DAU. ナターシャ』に圧倒される

 以上を踏まえつつ、膨大なフッテージ(映像素材)から創出された第1弾の長編映画『DAU. ナターシャ』を観ると、やはりその異様な迫力に圧倒される。

 筋立て自体はシンプルだ。時代設定は1952年。主人公は物理工学研究所に併設されたカフェのウェイトレスである40代の女性、ナターシャ(演じるのは一般人)。彼女が働く店は秘密実験について話す科学者たちで賑わっており、閉店後、ナターシャは同僚である20代の女性オーリャ(やはり演者は一般人)と残りもののシャンパンを呑みながら世間話する。やがて罵り合ったり、取っ組み合いの喧嘩になったりするが、彼女たちはささやかな人生を過ごす中で不思議な共依存の絆で結ばれている。

 だが、あるきっかけでナターシャの運命は一変する。オーリャの自宅で科学者たちの盛大なパーティーが開かれ、そこでナターシャはフランス人科学者のリュック(演者は実際に生化学の著名な学者)と関係を持った。宴は酒池肉林の退廃に流れ、ナターシャとリュックが性愛に耽る姿も赤裸々に(しかも長々と)映し出される。

 この件が原因で、ナターシャはソヴィエト国家保安委員会の犯罪捜査の上級役員である、KGB調査官のウラジーミル・アジッポ(演者もKGB職員)の尋問を受ける。「ここでは外国人と寝れば、裁判や取り調べなどせずに殺されるんだ」「お前の命など何の価値もない。ホコリと同じだ」などの酷い言葉を浴びせ掛けられたナターシャは、全裸に剥かれ、殴打され、頭をトイレに押し込まれ、コニャックボトルを性器に挿入される。

 この拷問シーンも、あくまで演出ではなく即興で演じた。ちなみにアジッポは本作の撮影後に亡くなったが、普段は知的で礼儀正しい人間だったらしい。ナターシャ役の女性はこう語っている。

「95%の時間、私は私でした。撮影後、本当の自分に戻る必要はなかったのです」

 この傑作(並びに「DAU」プロジェクト)の核となる主題は「システムの悪」だろう。それは暴力や性などをめぐる過剰な矛盾に満ちた人間の本性から生じてくるものであり、「我々もまったく他人事ではない」と本作は鋭く突きつける。例えば太平洋戦争中の軍部が敷いたコードに則った日本人たちの振る舞いでも判るように、悪と道徳は平気で共存する。酒やセックスに溺れるウェイトレスと科学者たちの姿は痙攣した笑いをも引き起こし、『DAU. ナターシャ』は超絶なまでにブラックなシチュエーション・コメディだと取る向きもあるかもしれない。

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