綾野剛は“演じる”のではなく役を“生きる” 集大成となった『ヤクザと家族』に至るまで

 最新作『ヤクザと家族 The Family』を、綾野剛はいま現在の自分の「集大成」だと言う(※1)。本作で彼が演じるのは、天涯孤独の身となったところをヤクザの組長に拾われる山本賢治。情の篤い組長とのあいだに疑似父子関係を築くが、やがて時代の変化に翻弄されることになる彼の20年間を、映画は1999年、2005年、2019年の三つのパートに分けて語っていく。

 山本は1982年生まれの綾野とほぼ同年齢。無鉄砲さの裏によるべなさが見え隠れし、ついには組長の前で痛々しいもろさを露呈させた少年は、やがて信頼を集め、貫録を身に着けた大人の男へと成長していくが、ある種の渇きが彼から抜け落ちることはない。その渇きはあるときは狂気すれすれの暴力として発現し、あるときは彼を諦念へ、あるいは無私の愛情へと導くことになる。

 山本賢治の役には、過去に綾野が演じた数多くの役の要素が見て取れる。綾野剛は変幻自在の俳優として知られているが、おそらく最も強烈な印象を残すのは、〈絶望〉を表現する役や〈暴力〉を表現する役を演じたときだろう。そしてしばしば彼はひとつの役のなかで、このふたつの要素のあいだを瞬時に移動する。

『武曲 MUKOKU』(c)2017「武曲 MUKOKU」製作委員会

 代表作『そこのみにて光輝く』(2014年)で、過去の記憶に囚われて絶望の底を這うようにして生きていた主人公が、愛する者の幸せや尊厳を守るべく、突如美しい野獣のように俊敏な動きを見せる複数のシーンは、どれも息を呑むほど感動的だ。同様に絶望のなかを無気力に生きている『武曲 MUKOKU』(2017年)の主人公もまた、あるシーンで一気に沸点に達して暴れまわる。どちらも、獰猛なエネルギーを一瞬で解き放つことのできる、綾野の瞬発力と身体能力の高さがあってこそのシーンである。

 彼のこの能力をフルに活用した『亜人』(2017年)は、綾野剛が超一流のアクション俳優であることを証明した一本だった。また、度を越した純粋さゆえに悪へと転落していく主人公をパワフルに演じた『日本で一番悪い奴ら』(2016年)もまた、『亜人』に劣らず、彼の熱量と瞬発力に支えられた作品である(この映画はまた、『ヤクザと家族』に先立ち、彼がひとりの人物の人生を長いスパンで演じきった作品でもある)。

『日本で一番悪い奴ら』(c)2016「日本で一番悪い奴ら」製作委員会

 もちろん綾野剛はいつも絶望したり暴力をふるったりしているわけではなく、コミカルな役も可愛らしい役もあるのだけれど、特筆しておくべき役の系譜がもうひとつある。〈繊細さ〉を表現する役がそれだ。綾野自身が「綾野剛三部作」と呼んでいる『楽園』(2019年)、『閉鎖病棟』(2019年)、『影裏』(2020年)での役などがこれに属するが、この系譜の究極と言えるのは、なんといっても『怒り』(2016年)だろう。彼がこの映画で演じた大西直人という役の、目を離したらそのすきに空気に溶けて消えてしまうのではとさえ思わせる「はかなさ」は、綾野剛以外には絶対に体現できないものだった。

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