『MIU404』は作り手の“本気”が詰まったドラマだった 横川良明×佐藤結衣がその魅力を振り返る

ドラマが現実世界に入り込んでくる感覚

ーー最終回の展開には大きな驚きがありました。

横川:異例の事態に直面して、放送が延期されたドラマはコロナ禍以前のお話として展開するか、それとも大幅に修正してコロナ禍を取り入れるのか、ふたつの選択があったと思うんです。前者が悪いわけではないのですが、半年後から1年後に公開される映画とは違い、今を取り入れることができるのがドラマの強みだと思います。『MIU404』も大幅な変更を余儀なくされたようですが、最後の最後に今を描いたところに、“ただでは転ばない”精神を強く感じました。

佐藤:第1話から劇中の設定が「2019年」というのを印象づけていましたが、最後の最後に2020年の現在につながっていく流れは、圧巻でした。新国立競技場の「0(ゼロ)」のサブタイトルが最後に出てくる演出は、「く~~、やるーー!」っと思わずしびれました(笑)。最終回では伊吹と志摩が久住(菅田将暉)に捉えられてしまい気絶する。いわゆる“バッドエンド”かと思いきや、彼等が見た“悪夢”であり、時計が巻き戻る演出がされました。ただ、これは“夢オチ”という以上に、もうひとつのパラレルワールドのようにも見えました。

横川:“分岐”というのは『MIU404』の中でも第1話から描き続けたテーマであり、単なる“夢オチ”という解釈よりはその考えのほうがしっくりきますよね。

佐藤:久住を捕まえる、コロナ禍の現在にたどり着く、あのルートこそが“夢”という可能性もありますし、解釈は人それぞれですよね。でも、まだまだこの世界線の伊吹と志摩を見ていたいという思いからかもしれませんが、正直最終回は時間が足りないなとも感じました。もし、当初予定されていた全14回ができるのであれば、久住が志摩たちに投与したドラッグがどんな効果を生み出すのかなど、それぞれのディテールがよりしっかり描かれていたように感じます。

横川:ちょっと駆け足感はありましたよね。とはいえ、伊吹と志摩が目覚めてからの展開は、第1話に戻ったくらいの勢い、「最後はエンタメでやりきるぞ」という表明のようで気持ちよかった。

佐藤:追いかけっこはまさにそうでした。カーチェイスを繰り返さないと思ったらまさかクルーザーを使うとはと(笑)。予算が削られがちな最近のテレビドラマで、やりたいことを全部やっていくという気概を改めて感じた最終回でもありました。

横川:綾野さん、星野さん、菅田さんという、世代はそれぞれですけど、本当にいい俳優を揃えたなと改めて感じました。かなり大変なスケジュールだったと思うのですが、俳優たちが「野木さんとやりたい、このチームとやりたい」と思うのがすごいなと。

佐藤:確かに。自粛明けにスケジュールをずらして対応したってことは、それだけの気持ちがあったってことですしね。

横川:だから、“お仕事ドラマ”ではないんですが、俳優、スタッフ、全員の良い仕事を見ていると、何か自分も自分の持ち場で頑張ろうって。『MIU404』を観てそう思った方は多かった気がします。

ーー『MIU404』は作品内と現実のTwitterトレンドがシンクロするなど、SNS時代との相性の良さも際立っていました。

横川:ドラマでもバラエティ番組でも、「テレビとネットの連動」をテーマにしている作品はありますが、いまだに“正解”があるわけではないと思うんです。そんな状況の中で、本作はまさにひとつの答えを出したように感じました。

佐藤:まさかドラマの中で見た風景が、そのまま自分のTwitterに表示されるなんて思ってもみなかったです。作品の中で久住がフェイクニュースで多くの人を騙したように、私たち自身もいつ加担者になっていてもおかしくはないんだと。ドラマを観ながら“実況”する文化は定着してきたように思いますが、ドラマが現実世界に入り込んでくる感覚を味わったの初めての経験でした。

横川:そのときに思ったのが、ドラマの“考察”なんです。「このシーンにはこんな意味があるんじゃないか」「あの台詞は第1話と第4話で繋がっている」とか。もちろんドラマの楽しみ方は人それぞれ。考察する楽しさもあっていいと思います。ただ、木を見て森を見ずじゃないですけど、断片的な情報から意図を読み取ることばかりに目がいって、作品の本質を見落とす危うさがある。『あなたの番です』(日本テレビ系)から“考察”ブームが続いていますが、“考察”ありきになってしまうのも考えものなんじゃないかなと。メディアや書き手は“考察”という言葉を使いがちですけど、それが作品の見方の主流になってしまうのはちょっと怖い。だから僕が記事を載せるときは、考察ではなく“感想”にしてほしいとメディアにはお願いしています。『MIU404』でも、「あなたは点と点を強引に結びつけてストーリーをつくり上げているだけだ」という台詞がありましたが、書き手である自分自身も読者に向けて同じことをしてしまう危険性があることを感じました。

佐藤:そうなんですよね。面白い作品を伝えたい、だからこんな解釈もできるんじゃないか、と記事を書くわけで、製作者の意図をすべて汲んだ“正解”を出しているわけではありません。あくまで感じたことをそのまま受け取っていただきたいと思ったのに、その記事も“考察”されてまったく違う方向に進んでしまうこともある。本筋ではないところに話題が展開してしまう怖さをハッキリと見せてくれたのは、個人的にもグッときたところです。

横川:“考察“が前に出過ぎてしまうと、より斬新な“考察”をして注目を浴びたい、ネットでバズりたいという承認欲求が膨らんで、特派員REC(渡邊圭祐)と同じになってしまう落とし穴がある気がしました。

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