『わたナギ』大森南朋が“ツンデレ”キャラではない新鮮さ “頭ポンポン”シーンが排除された理由

 『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)は、四ツ原フリコによる漫画をドラマ化したものである。このドラマは、ヒロインの仕事と恋愛を描くという意味では、これまでにたくさん作られてきたラブコメディと同種のものだといえるが、その相手が「家政夫のおじさん」である(まだわからないので、そうかもしれない)ことが、ほかの作品とは違っているところだろう。

 しかし、それ以外で新鮮なのは、この家政夫のおじさんのナギサさんが、まったくもって「ツンデレ」ではないところではないだろうか。

 というのも、原作のナギサさんは、もう少し無口で、表情もシャープな感じで、ヒロインのメイが「無口、でかい、厳つい、強面」とナギサさんを評している場面もあり、多少「ツンデレ」気味であったから、余計にそう思えるのだ(もちろん漫画は漫画でニーズもありそれで成功しているのだと思う)。

 ナギサさんを演じる大森南朋も、これまでさんざん強面な役をやってきた俳優である。CMなどで、少し情けないサラリーマン役をやったりして、今では両方のイメージもあるが、映画の世界で考えると、むしろ強面のイメージのほうが強いくらいだ。だから、もしもこのドラマの方向性が、原作と同じように「無口、でかい、厳つい、強面」なナギサさんを演じようと思えば演じることは可能だっただろう。

 しかし、このドラマのナギサさんは、とことん威圧感がなくて、ヒロインがナギサさんがどう思っているか案じることはあっても、びくびくしたり気兼ねしたりするシーンはない。家政夫と依頼主なんだから当然だろうと思うかもしれないが、年上の男性が年下の女性と接するときに、また徐々に親しくなっていく中で、どうしても出てしまいがちな「パターナリズム」をドラマの中で徹底的に排除しているのだ。

 それには理由もある。ナギサさんは、「お母さんになりたい」と思っている人である。メイとナギサが家政夫と雇用主であるという関係性を超えて親しくなっていくときに、「パターナリズム」が出てしまっては、「お母さん」ではなく「お父さん」を思わせてしまうからだ。

 ドラマを作っているスタッフがどこまでそれを意識したのかはわからないが、ナギサさんから、威圧感をなくしたことはとても「今」を感じさせるし、成功しているように思える。

 もちろん、今でも「ツンデレ」な男性のイケメンな登場人物とヒロインとのハラハラドキドキを感じたい視聴者も存在しているだろうが、「ツンデレ」ではない登場人物を求めている視聴者も、たぶん増えつつあると思うのだ。

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