『麒麟がくる』はシェイクスピア劇のような父子の愛憎劇に 織田・斎藤家の親子関係を読み解く

 NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、よく泣く男としたたかな女のドラマだ。彼らが繰り広げる、豪華絢爛戦国親子愛憎絵巻である。

 第12回、第13回は、迫り来る父親の死を前に苦しむ織田信長(染谷将太)を鼓舞し、彼女の父親・斎藤道三(本木雅弘)と信長との関係を良好にするためなら手段を選ばず、あらゆる手立てを尽くし、謀略を巡らせる帰蝶(川口春奈)の回だった。

 『麒麟がくる』の女たちは皆強い。強気の帰蝶、無垢な駒(門脇麦)に可憐な煕子(木村文乃)、ユーモアの牧(石川さゆり)、気位の高い土田御前(檀れい)、妖艶な深芳野(南果歩)と、与えられた衣装の色に合わせるように、声色含め明確なキャラクターが定められている。一方で、キャラクターは様々に関わらず、過酷な状況に置かれても決して動じることがない強さをそれぞれに持っている。揺るぎない信念が心の奥底にあるから、小さなことでは動じない。いざとなれば男たちを守るだろう迫力さえある。

 一方の男たちはよく泣く。感情的になる。怒りに震え拳を握りしめる。足利義輝(向井理)は麒麟をつれてくることができないと泣き、道三の息子・斎藤高政(伊藤英明)は父親が憎いと泣き、信長は母親が憎いと泣き、明智光秀(長谷川博己)は恩のある主君と親友との間で板ばさみになって苦しいと泣く。また、道三はじめとする泣かない男たちは、盃から酒を溢れさせ盆を感情渦巻く海にする。

 第13回では、後の豊臣秀吉である藤吉郎(佐々木蔵之介)が、爽やかな音楽と共に登場した。背の高い飄々とした佐々木版秀吉は、猿と重ねられながらも、知識を吸収することの快楽を声高に語る。喜びのあまり歌い出しそうだ。ここで示されるのもまた、「純粋」なのである。『麒麟がくる』は、子供のように純粋な、理想に燃え、ロマン溢れる男たちの「国盗り物語」なのだ。

 これまで放送の13回分を通して、一貫して描かれてきたのは、父と子の愛憎である。全ては本日放送の第14回、息子・高政から憎悪され続ける父親・道三と、母親・土田御前に疎まれ、父親・信秀(高橋克典)にも愛されていないと孤独を募らせてきた息子・信長が、義理の父子として初めて出会う「聖徳寺の会見」のためにあったとも言える。

 本木雅弘演じる道三と、染谷将太演じる信長。これほど斬新で、奇妙で、魅力的な父子もない。

 染谷将太演じる信長は、まるで浦島太郎のような出で立ちで光秀と視聴者の前に登場し、朝の鳥の囀りと海の音と共に、婚礼をすっぽかされて待ちぼうけの帰蝶の前に現れた。

 信長はとにかく「褒められたい男」だ。民が喜ぶのが嬉しいと漁に出たり、化け物退治に加わったりする。父親・信秀が喜ぶと思ったからこそ、松平広忠(浅利陽介)の首を持参するも激怒される。母親に褒められたのが嬉しくて毎日大きな魚を釣って持っていったら嫌な顔をされるようになったという幼少期のエピソードからして、仕留めたネズミを咥えて持ってきて飼い主に嫌な顔をされる猫のようなところがある。

 第12回において、信長は、城と家臣の兄弟間の配分を、父・信秀から聞き、それを不服だと抗議し、帰蝶の前で「父は母の言いなりだ」と泣く。信秀に真意を聞きにいき、本当に信秀自身が口にしたのか、帰蝶がある程度創作したのかわからない“遺言”を信長に伝える帰蝶。彼女を前に、まるで子供が泣きやんだ後のように安心した顔で笑う信長を見ていると、彼は今で言う、子供の頃家庭内トラウマによって傷つき大人になった「アダルトチルドレン」なのではないかとも感じる。

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