『いだてん』“俺たちのオリンピック”はどこにたどり着く? 美談だけにはしない“危うさ”も描く面白さ

 ドラマ自体だけではなく、現実の世界においてもあらゆる苦難にぶつかり、乗り越え、まさに走り続けてきた『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』も遂に終盤である。共に泣き笑い、共に乗り越えようと見守ってきた視聴者も多いことだろう。

 特に11月24日放送の第44回における、後半の主人公・田畑政治(阿部サダヲ)の失脚は、そこに絶妙な「間」のユーモアが加えられたことで、殊更に哀しかった。さらには、彼が、彼自身の初期の頃にしてしまった根本的な過ちに気づくことが、なによりこのドラマの凄みであろう。1940年の「幻の東京オリンピック」の開催を信じて疑わず死んでしまった嘉納治五郎(役所広司)もそうだが、田畑もまた、直前で夢を奪われる登場人物たちのうちの一人だったのかと思わずにはいられなかった。

  「俺のオリンピック。違う、俺たちのオリンピック」と、オリンピック組織委員会事務総長としての責任問題を問われ会場から締め出され、扉が閉まる寸前の田畑は叫んだ。彼は常に「俺のオリンピック」という言葉を連呼していた。田畑だけでなく、それぞれに「俺のオリンピック」はあった。

 岩田(松坂桃李)にとっての「俺のオリンピック」は幻の東京オリンピックを目指していた選手時代に終わったと彼は第41回で言及している。嘉納の「俺のオリンピック」は、田畑が「俺のオリンピック」と指すところの模型と同様に、彼が嬉しそうに見つめていた明治神宮外苑競技場の模型だろう。“悪役”である川島(浅野忠信)にとっても、金栗(中村勘九郎)や、満州で命を落とした小松(仲野太賀)はじめ、オリンピックを夢見た選手たちにとっても、「俺のオリンピック」があった。それぞれの才能や体力、なにより思惑や理想が、時の流れだったり、政治や震災だったりに翻弄され、歪み、彼ら自身さえ気づかないうちに変えられていく様を、1年を通して見てきたように思う。

 『いだてん』は、そんなたくさんの「俺」たち、つまりは「オリンピックの顔と顔」が描かれ続けた。建設しては破壊され、新しく建設しては破壊されることを繰り返してきた東京の町並みと、「こんな時に」という声に「こんな時だからこそ、面白いことを」と返し続けてきた人々の不屈の物語だった。だが、決して美談だけでは終わらない。「オリンピック」の熱狂の裏側にある危うさをも内包しているのが、このドラマの面白さだ。

 第44回のサブタイトルは「ぼくたちの失敗」だった。さて、「ぼくたち」のうち一人は、紛れもなく主人公・田畑であるが、他は誰を示すのか。「負けたんだよ、我々は」と田畑を道連れにした津島(井上順)か、それとも、全ては「まーちゃんのため」と集った人々か。

 関東大震災以降を描いた第2部、田畑政治編における「ぼくたち」は、田畑と嘉納治五郎と言ってもよいだろう。彼らの失敗は、東京オリンピック、つまりは「俺のオリンピック」に固執するあまり、本来失ってはいけなかったはずの「純粋にスポーツをすること」から逸脱してしまったことだった。第2部でことあるごとに登場した「スポーツと政治」問題である。純粋に「スポーツを楽しむ」ための大会だったはずのオリンピックは、震災や戦争で暗くなった日本を明るくしたい、スポーツで国を変えたいという大きな志を前に、戦前はいつのまにか「国を挙げての戦い」にすり替わってしまったし、1964年東京オリンピック直前の第44回においても、いつのまにかたくさんの政治家の思惑が飛び交う政治問題にすり替わってしまっている。

 第44回において、田畑は、川島が言った「東京オリンピックを政府の国家事業と捉え、金を出す。時には口も出して、しっかりと管理する所存です」という「政治はスポーツに介入しない」という鉄則を逸脱した最悪の宣言が、かつて金策に走る田畑自身が高橋是清(萩原健一)に対して言った「政府は金も出して、口も出したらいかがですか」という提案と変わらないことに気づき、種を撒いたのは他ならぬ自分だったと気づく。

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