渡辺えりと小日向文世が輝きを与える 『私の恋人』で示した“何者にでもなれる”のんの現在と未来

のんの現在/未来を想像させる「何者なのか」

 さて、こんな難しい役どころに挑んだ一人が、今は俳優だけでなくミュージシャンなどとしてもマルチに活躍しているのんである。彼女が演じるのもまた、演劇界の匠である渡辺、小日向の二人と同じく、自身の年齢とも国籍とも違う役の数々。井上ユウスケ(「私」の一人)という物語の核になる存在から、ネアンデルタール人、老神父、ネコ、セーラー服の少女、歌姫まで、人種、性差をも超えて、それらは多岐にわたる。一人の俳優がいくつもの役を演じるーーこれもまた、演劇の醍醐味だ。

 映像でも、一人の俳優が複数の役を演じることはある。しかし演劇では、観客が体感する時間の中で、彼らはキャラクターを転換していかなければならない。のんは快活な青年として笑顔を弾けさせたかと思えば、腰が90度に曲がった老父に扮し、かと思えば、ギターを抱えた歌姫として身体を揺らし、可憐な歌声で私たちを魅了した。

 物語の冒頭で渡辺に「何者よあんたは」と問われたのんは、「何者なのか? まだ何も……」と答えている。数々の衣装とともに華麗なキャラクターの転換を見せた彼女自身、俳優であり、ミュージシャンであり、文章も書くことができるマルチな才能の持ち主だということは、広く知られているだろう。先の渡辺のセリフに対するのんの返答は、“まだ何者でもない”という意味として捉えることができるが、同時に、“何者にでもなれる”という彼女の現在/未来を思わせるものでもある。

 演者と観客の時間と空間の共有、飛躍、そして交歓するこのステージは、いまののんにとって、もっとも輝くことのできる表現の場だと感じられた。いち俳優としてだけでなく、表現者としての可能性を、彼女自身その心と身体とで感じることができたのではないだろうか。

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