『空の青さを知る人よ』が示した岡田麿里のネクストステージ 『さよ朝』以降の作風から考える

 2018年に公開された映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』(以下、『さよ朝』)で監督デビューを果たした脚本家の岡田麿里。2019年夏から秋にかけ、岡田が脚本を手がけた作品が多く公開されている。岡田原作の漫画をテレビアニメ化した『荒ぶる季節の乙女どもよ。』では全12話の脚本のほか、映画『惡の華』や『空の青さを知る人よ』でも脚本を担当している。今回は『さよ朝』以降の岡田の脚本作品を考えていきたい。

『さよならの朝に約束の花をかざろう』(c)PROJECT MAQUIA

 岡田の脚本の特徴の1つとして挙げられるのは、生々しい性を表現する点だ。岡田は生々しい性表現を、時に日常描写として、あるいはキャラクター描写の核として活用してきた。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(以下、『あの花』)の主要キャラクターである安城鳴子のあだ名を“あなる”とすることで、登場人物たちがあなるという言葉が卑猥な言葉であると認識しないほどに幼い頃からの仲であったことが伺える。また高校生になった安城鳴子があだ名で呼ばれることを忌避することで、キャラクターの成長だけでなく友人としての距離感が遠くなったことを表現しているのだ。

 他にも岡田がシリーズ構成と全話脚本を担当した『放浪息子』では、自分の体の性と心の性の不一致に悩む少年少女たちの思いを繊細に汲み取り、シリアスな性の悩みの描写にも真正面から取り組んでおり、卓越した手腕を発揮している。

 その特徴は『荒ぶる季節の乙女どもよ。』でも発揮されている。この作品は、知識としての恋しか知らず、男性の視線や女子生徒の性体験談を汚らわしいものと捉えてしまうほど潔癖な文芸部員の女子高生5人が物語の中心となり、男子の純粋な好意や大人の性欲まじりの視点、クラスメイトの妊娠騒動などに翻弄されながらも成長していく様を描いている。女子の目線だけでなく、主人公の小野寺和紗に思いを寄せる典元泉が自分の部屋で自慰に耽る場面を和紗に目撃されてしまう描写を入れるなど、男性としても肝が冷えるような性表現を真正面から描く。

 異性愛、教師と生徒の恋愛、同性愛、概念としての性などの多様な性に迫っており、内容はシリアスな部分もある。しかし、塚田拓郎監督のインタビューで語るように漫画的な表現やキャラクターの可愛らしさを生かすように演出されており、視聴者が深刻に捉すぎないような工夫もされている(参考)。

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