『ボーダー』監督が語る、“ジャンル映画”に挑む理由 「いろんなことを自由に掘り下げられる」

 第71回カンヌ国際映画祭ある視点部門グランプリ受賞作『ボーダー 二つの世界』が10月11日より公開中だ。イラン系デンマーク人の新鋭アリ・アッバシ監督と、『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者としても知られるヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストが原作と共同脚本を手がけた本作は、人並外れた嗅覚を持ちながらも醜い容貌のせいで孤独を強いられるティーナが、ある男との出会いにより、人生を変えるような事件に巻き込まれていく模様を描いたミステリーだ。この独創的な映画はどのように生まれたのか。メガホンを取ったアリ・アッバシ監督に話を聞いた。

「映画はものすごく可能性を感じるメディア」

ーー原作自体の独創性もあるかもしれませんが、この映画は、多くの人が「今までに観たことがない」と感じるような作品だと思いました。

アリ・アッバシ(以下、アッバシ):「何かユニークなものを、誰も観たことのないものを作ろう」と意識したわけでは全然なくて、今回は幸運なことに「こういう風に作りたい」と思った方向性に沿って作ることができたんだ。作品自体がユニークであるかという判断をするのは僕ではないと思う。ただ、この物語にはいろんな要素があって、例えばカメラマンや美術スタッフに「こういうものを参考に……」と、何か参考にできるものを探すのがものすごく難しかったのは確かだ。でも僕としては、ユニークなものをというよりも、良質なものを作ることの方が大切だった。

ーーあなたはもともと文学に興味があり、「映画は大衆だけのもの」という考えを持っていたそうですね。

アッバシ:文学は、地下室にこもって10年近く物語を書いたとしても、全くお金がかかるわけではないし、負担になるのはその本人だけだ。一方、映画は、多くの人が関わってお金もかかるわけだから、経済的な側面がある。アート系であれ商業的な作品であれ、映画を作るには、その側面と向き合わなければいけない。経済が内容に影響を与えてしまう、そういうメディアだと思う。でも、僕が映画を好きだと思うのは、メディアとしてポテンシャルがあると思っているからなんだ。僕が興味がある感覚や、文学では言葉にしにくいようなものを示唆したり、伝えられるという意味で、映画はものすごく可能性を感じるメディアだと思う。ストーリーテリングも、連想するような形でいろんなことを感じさせるものに興味を持っている。だから、そういう意味では映画がベストなメディアなんだ。

アリ・アッバシ監督

ーーそもそもどのようなきっかけで映画監督になろうと思ったのですか?

アッバシ:僕にとって映画は仕事ではあるけれど、それよりももっと大きなものでもある。何か伝えたいことがあるから映画を作っているわけで、それがなくなってしまったら映画は作らないだろうし、毎年1本何か作らないといけないというものでもない。映画監督になろうとしたきっかけというのは、何か特定の1本があったというわけではなく、少しずつ可能性に気付いていった感じかな。特に、かつては「映画ってこういうものだよね」と自分の中で決めつけていたんだけど、ヨーロッパのアートハウス系の作品を観ている中で、少しずつメディアとしての可能性を感じて、その考え方が間違っていたということに徐々に気付いていった感じかな。

ーールイス・ブニュエルとシャンタル・アケルマンがあなたにとって大きなインスピレーションとなる映画監督だそうですが、同時代の映画監督でそのような存在となりうる人はいますか?

アッバシ:全然同世代ではないけれど、デヴィッド・リンチがやっていることはものすごく好きだよ。あとは、去年のカンヌ国際映画祭で上映されていた『ディアマンティーノ 未知との遭遇』はすごくいいなと思った。完璧な映画というわけではないけれど、いろんな側面を持っている作品で、核のところがとても政治的であるというのが好きなんだ。まぁ、そもそも僕は普段あまり映画を観ないんだけどね(笑)。

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