『ロケットマン』は観客に体験させる映画!? “フィクション”と“映画”ならではの面白さ

 イギリスのそれなりに複雑な家庭で暮らす少年は、5歳にして圧倒的なピアノの才能を自覚する。少年は“神童”として音楽の英才教育を受けつつ、当時世界を席巻していたロックンロールの洗礼を浴び、音楽産業の世界へ飛び込んでいく。そして自らエルトン・ジョン(タロン・エジャトン)と改名し、優れた作詞家にして親友のバーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)を得た。エルトンは瞬く間にスターの階段を駆け上がっていくが、ロックスターとしての生活は、徐々に人生を蝕んでいく。切るに切れない親との関係、去っていく仲間たち、あの時代に同性愛者を生きること、酒に薬に浪費癖……。きらびやかなステージと裏腹に、エルトンの生活は荒れ果てていく。果たしてその先に何があるのか?

 ……と、本作『ロケットマン』(2019年)のあらすじを書いてはみたものの、皆さんご存じの通り、エルトン・ジョンは健在だ(つい先日公開された『ライオン・キング』(2019年)でもバリバリに歌っていた)。また、インターネットの普及によって、エルトン・ジョンを知ろうと思えばファンサイトやWikipediaでいくらでも知ることはできるし、彼のパフォーマンスだってYouTubeに無数に上がっている。つまり物語の結末については最初からネタバレ全開だ。昔の『世界まる見え!』的にいえば、エルトンは今日も元気に芝生を駆け回っている……こういう結末になるのは仕方がない。

 そこで本作の作り手たちは大胆な決断をした。情報ではなく、体感の映画にしたのだ。本作は「知られざる事実」を描く作品ではない。エルトン・ジョンの人生を、歌とダンスに彩られたファンタジーに昇華させ、観客に体験させる映画だ。本作を手がけたデクスター・フレッチャー監督は、昨年大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)も「後任」という形で手がけている人物である(同作の監督交代劇について書くと大変なので、今回は割愛させていただきます)。

 『ボヘミアン~』では、クイーンの音楽を使い、いくつかの「フィクション」を混ぜつつ、あくまでノンフィクション映画としての体裁をとっていた。しかし、本作は映画を完全なファンタジーに振っている。たとえば、幼いエルトンがベッドの中でオーケストラを指揮する妄想に浸れば、目の前に本物のオーケストラが現れ、彼と音楽を鳴らす。こうしたシーンはWikipediaでもYouTubeの過去映像でも、ドキュメンタリー映画でも味わえない。現実には起きえない「フィクション」、そして視覚を重視する「映画」ならではの面白さだ。

関連記事