『チャイルド・プレイ』は現代のホラー映画として見事な出来! 作り手がクリアしたリブートの課題

 いろいろと問題を抱える少年アンディ(ガブリエル・ベイトマン)は、生活に疲れ切ったお母さんカレン(オーブリー・プラザ)から、せめてもの贈り物として「バディ」という人形をもらう。バディは単なるオモチャではなく、各種家電の操作や人工学習機能まで身に付けたペッパー君とアレクサが一緒になったようなハイテク機器だ。ただし完全な子ども向けなので、思春期に差し掛かっているアンディはちょい恥ずかしいからと拒否するが、どうもこの人形は様子がおかしい。ガタが来ているだけではなく、自ら「チャッキー」を名乗り、本来なら使えないはずの卑猥な単語も口にする。なんとなくアンディはチャッキーを受け入れ、共に楽しい時間を過ごすが……。

 リブートとは、すでにあるものを一旦ゼロにした上で、仕切り直すことである。『チャイルド・プレイ』(2019年)は、『チャイルド・プレイ』シリーズ(1988年~)のリブート作として十分な成果を上げているといえるだろう。特に殺人人形チャッキーを観客に「かわいい」と思わせなかったのは、作り手たちの「私たちはチャッキーをホラー映画に戻すんだ」という意地を感じた。ホラー映画における悪役(幽霊、殺人鬼、怪物)は、どうしてもアイドル的な人気が出てしまう。ジェイソン、フレディ、レザーフェイス、ジグソウ、貞子、エイリアン(ゼノモーフ)……。こうした人気キャラクターたちは恐怖よりも「よっ、待ってました!」という千両役者的な扱いを受けるし、いくら残忍な手口で人を殺しても、「大将、今日もやってるね」「そうでなくっちゃ」と安心感すら漂ってしまう。そりゃそうだ。見慣れたキャラが期待通りのことをしているのだから。人気シリーズの宿命だといえるだろう。特に『チャイルド・プレイ』のチャッキーは難しい。彼は凶悪な連続殺人鬼だが、ちゃんと人格があるし、なんなら嫁がいて、子どもがいる。何よりいくら顔を禍々しく歪めたところで、基本の見た目がかわいいのだ。

 この課題をクリアするために、本作の作り手たちは非常に大胆な決断を下した。まずはチャッキーの設定、およびビジュアルの大幅な変更だ。オリジナルのチャッキーは魔術によって殺人鬼の魂が宿った人形だったが、今回のチャッキーは暴走するマシンである。人形やオモチャではなく、家電やデジタル機器の一種だ。さらに公開前から話題となったように、見た目も全然かわいくない。こうした変更点には私も否定的だったが、実際に観てみると気にならなくなり、むしろこれがベストのように思えた。なぜならチャッキーの存在が怖いと感じたからだ。

 今回のチャッキーは殺人鬼ではなく、持ち主であるアンディの暴力性の鏡だ。チャッキーは持ち主の親友になるべく作られた存在であり、アンディが何の気なしに言った無邪気な一言を忠実に遂行する。アンディが「〇〇なんて死ねばいいのに」と呟けば、そいつを――必要以上に残忍な手口で――殺しに行く。アンディは取り返しのつかないことをしたチャッキーを捨てて、何もなかったことにしようとするが、それでもあの手この手でチャッキーは戻ってくる。

 個人的に、こうしたチャッキーにオリジナルとは別種の、SNSが当たり前になっている今の時代ならではの恐怖を感じた。自分が軽い気持ちで吐いた言葉が取り返しのつかない事件に結びついてしまう。本気じゃなかったと弁解しても取り返しはつかない。どれだけ頑張って過去を消そうとしても、ログは永遠に残ってしまう。これは今の現実世界で度々起きていることだ。本作のチャッキーには、そうした身近な恐怖があった。ちなみに本作のチャッキーの声優はマーク・ハミル。言わずと知れた『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカーだ。彼は声優として超一流で、『バットマン』のアニメではアメリカを代表するヴィランであるジョーカーを演じている。本作では彼の実力を存分に味わえるはずだ。

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