菊地成孔の『グリーンブック』評:これを黒人映画だと思ったらそりゃスパイクも途中退場するよ。<クリスマスの奇跡映画>の佳作ぐらいでいいんじゃない?

これ何映画?

 本作は一体、カテゴリー何映画か? 「南北戦争は終っちゃいねえ系の人種差別糾弾映画」全然違う。「(流行りの)バディもの」まあ、ギリ違う。「感動の実話映画」実際に実話だけれども、やはり違う(この点は、ある意味すごい)。「心温まるヒューマンドラマ」まあ、括りが大雑把すぎて、もうほとんどそれでいいじゃないかと思いかけるが、やはり違う。

 筆者は本作を「クリスマスの奇跡」映画、特に「ニューヨークのクリスマスの奇跡」映画の佳作だと思う。歴史上のクラシックスから、誰も知らないマニアックな小品まで、「ニューヨークのクリスマスの1日を描いた、あるいは、クライマックスがニューヨークのクリスマスであるしかも(だからこそ)、奇跡的な何かが起きる映画」の歴史は存在する。『素晴らしき哉、人生!』だとか『34丁目の奇跡』みたいなのだけではない。『ダイ・ハード』も『ホーム・アローン』も『第十七捕虜収容所』だってこの系譜にある。

 このカテゴリーの最大の属性は「善意しかないこと」である。「ニューヨークのクリスマス」映画に、悪意があってはならない。絶対に。何故なら、クリスマスに奇跡が起こるのである。神の、ちょっとした采配によって。

 筆者が勉強不足なだけで、クリスマスに奇跡が起こるかと思ったら、逆にトラウマになるような陰惨な事が起こる映画とか、ニューヨークのクリスマスの一夜を舞台にした、人が何百人も死ぬ戦場アクション映画、主演である子供か若者が難病で苦しみぬいた挙句、ニューヨークのクリスマスの夜に衰弱しきって息をひきとる絶望的映画とかもあるのかも知れない。世の中には、ただ単にひっくり返せば凄い事でもしたかのように錯覚してしまい、それで得意になっている気の毒な人々もいるから、そういう気の毒で安っぽい(考えも覚悟も薄い単なる童貞的なトゥイストは、全て安っぽい)産物も、地下にはあるだろう。

 しかし、悪夢的な『バットマン リターンズ』だって、物語上は結構な悲劇的結末である『8人の女たち』だって、筆者の見る限り、大変な愛と、理知的な善意に満ちている。ティム・バートンは『バットマン・リターンズ』や『シザーハンズ』を、「ちょっとトゥイストしたクリスマスの奇跡映画=善意の塊」であろうとして、若気の至りで果たせきれなかった事を、後年、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』によって雪辱しようとしているように思える。

この縛りが、マハーシャラ・アリを

 「新・黒人映画の監督(ニュースクーラー)」とすべきであろう、バリー・ジェンキンス(『ムーンライト』『ビール・ストリートの恋人たち』)の盟友であり、「新・黒人映画」の象徴という格から、金に転んで牙を抜かれた、つまり、ある瞬間のエディ・マーフィーや、あらゆる黒人俳優、または、ゴダールとキツいビーフ関係に陥り(お互いボコボコにディすりあった)、未だに決別したままのジャン=ポール・ベルモンドに比するべき、転向の瞬間を見せた。とすべきかどうか? 筆者の判断では、「(演ずるピアニスト)ドクター・ドナルド・シャーリーが、ゲイだったかどうかの微妙な判断を、ほんのちょっとした、しかし確実な力加減によって、きちんと押さえている。事によって、硬派であり、牙が抜かれた。とするのは早計では、、、、ないかな」程度である。

 話をAAA(米国アカデミー賞)に限定すればするほど、「黒人映画」は可視化しやすい。厳密には「黒人映画のスクーラー分類だが、映画ファンにヒップホップ業界のジャーゴンを使って通じるかどうか甚だ疑問なまま&、ちょっとしたルール違反になるが、筆者が他誌にスパイクの『ブラック・クランズマン』に書いた記事を引用する(編集部注:初出「タワーレコードintoxicate vol.138(2019/2/20)」/Mikiki)。

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