イ・チャンドンは村上春樹作品をどう改変した? 『バーニング』が捉えた現代韓国の若者たちの感覚

 『バーニング』には原作にも存在するエピソードがところどころで挿入されているが、とりわけ興味深いのが、ヘミがパントマイムをやっていると話すくだりである。ミカンを剥く動作を披露したあと、「“ある”と考えるのではなくて、そこに“ない”ということを忘れればいい」というヘミ。原作で「僕」は「まるで禅だな」といかにも春樹作品の主人公らしい気の効いたことを言うのだが、ジョンスはただ口を開けている。なぜならば、ジョンスのような持たざる者にとって“ない”というのはいつだって切実な問題であって、けっして忘れることなどできないものだからだ。

 映画のハイライトは中盤、マイルス・デイヴィスが流れるなかヘミが上半身裸で踊る退廃的で優美な一幕だろう。自然光で撮影したと思しきそのシーンを経て、画面はほとんど何も見えなくなるほどどんどん暗くなっていく。そしてベンが件のビニールハウス焼きについて漏らし、映画は不可解な領域に突入していく。ジョンスは失踪したヘミを追えば追うほど何も掴めなくなり、優雅な佇まいを崩さないベンに迫ることもできない。何も見えない。見つからない。この、自分の預かり知らないところですべてがコントロールされ、すべてが奪われていくという感覚は、現代韓国の貧しい若者たちが実際に抱いているものに違いない。「なぜか分からないが裕福なやつら」によって自分たちの人生は搾取されていて、それはけっして覆せないという感覚。消えることのない嫉妬と怒り。

 だからこそ、その怒りが閾値に達するラスト・シーンは生々しい迫力をスクリーンに刻みこむ。息を呑む長回しのワンカットは、まさにそうした怒りがいまにも爆発しそうであることを観る者に突きつけてくるのである。その後ジョンスが取る行動には様々な解釈が可能だが、つねに受動的だった彼がついに主体的に「持たざる者」であることを受け入れたのだと自分には感じられた。翻って日本では、低収入であるにもかかわらず自分自身を「貧しい」と思わない層がいまだに多いというデータがあるそうだが、そうして現実に目を向けないまま格差は広がっていく。『バーニング』は、我々の知らないところで起きている不可解な現実に翻弄され、それでもどうにか対峙しようとする苦悶についての映画である。いまもどこかで、ビニールハウスが焼け落ちている。

■木津毅(きづ・つよし)
ライター/編集者。1984年大阪生まれ。2011年ele-kingにてデビュー。以来、各メディアにて映画、音楽、ゲイ・カルチャーを中心にジャンルをまたいで執筆。編書に田亀源五郎『ゲイ・カルチャーの未来へ』。 

■公開情報
『バーニング 劇場版』
全国公開中
監督:イ・チャンドン
原作:村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』(新潮文庫)
出演:ユ・アイン、スティーブン・ユァン、チョン・ジョンソ
2018年/韓国/カラー/148 分/国際共同制作 NHK
配給:ツイン
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