瀬々敬久監督が語る、『ヘヴンズ ストーリー』から7年の変化 「“自由”が大切な時代になっている」

「個人であることが難しくなってしまった時代」

――この映画のモデルとなった光市母子殺害事件は、公開後の2012年に被告の死刑が確定しました。何か感じるものはありましたか。

瀬々:死刑判決が確定した後、遺族の本村洋さんのインタビューをテレビで見ました。記者から、今あなたはどう思いますかと問われた時の本村さんの答えが「きちんと仕事をして、納税をして、社会人として恥ずかしくないように生きていきたい」みたいな発言だったんです。僕には、どこか場違いな奇妙な印象があったんですよ。その後、門田隆将さんが本村さんについてのルポルタージュ(『なぜ君は絶望と闘えたのかー木村洋の3300日』新潮文庫)が出て、それを読んだら、その中に答えみたいなものが見つかった。最初の裁判で無期懲役と出た直後、絶望的になった本村さんは会社の上司の方から、「今、君は会社を辞めようと思っているかもしれないけど、君は一社会人としてこの裁判を戦うべきだ」と言われてるんです。その言葉に勇気づけられて彼は裁判を戦っていく。それが死刑判決が出た後の、あの答えと繋がっていると思ったのは、僕の勝手な解釈ですけど、あの言葉は、勇気を与えてくれた上司に向けて言ったんだと僕は思ったんです。それで何を感じたかと言うと、本村さんが裁判闘争を続けることができたのは、周りの人から支えられた部分が大きかったと思うわけですよ。

――『ヘヴンズ ストーリー』で妻と娘を殺されたトモキにはそうした支援はありませんね。

瀬々:一人孤立して、どんどん心を閉ざしていった。じゃあ、社会的な被害者である彼を護ってあげたり援助したりする共同体的な手助けがあれば、トモキの存在もまた違っただろうと。だから、僕たちが映画でやろうとしたのは、“個人”としての加害者、“個人”としての被害者がぶつかる時にどうなるかというものだったんですね。その“個人”というのは、同じように社会から阻害されていた個人と個人だったんだろうと。そこには語弊がありますけど、同類項みたいなものがあるというドラマだったと思うんですね。

――映画の製作時と現代の状況に違いは感じますか。

瀬々:2008年ぐらいから撮影していましたけど、その頃は個人と個人が発言して、思いをぶつけたりすることがまだ可能だった気がする。あれから7年ぐらい経ってますけど、今は個人が発言することがためらいがちな社会になってしまったなと思うんですよね。SNSというものが発達しているように見えるけども、何か言えば炎上だとか、周りが批評的な目で色んなことを見てしまいますよね。個人が個人であることが非常に難しくなってしまった時代に来てしまったという気がすごくして、そういう意味では犯罪事件にしても屹立した個人が見えてくるような事件は最近あまりないような気がしてくるというか。

――元々企画段階では、『ヘヴンズ ストーリー』を作るか、戦前の女相撲とギロチン社のテロリストを絡めた『菊とギロチン』を作るか迷った末に『ヘヴンズ』を作ったとのことでしたが、時代の空気を感じ取って企画を選ばれたような気がします。製作中の新作『菊とギロチン』はまさに今の時代に相応しい企画と思います。

瀬々:当時は『ヘヴンズ ストーリー』をやるべきだと思ったんでしょうね。今は『菊とギロチン』をやるべきだと思ったんだと思います。『ヘヴンズ ストーリー』を作るときは、渦中に入るということが重要だと思ったんですよ。自分が渦中に入って物事を見るんだみたいな。今、自分が何を大事にしようとしているかと言うと、「自由」ということが大切だなと思うんです。『菊とギロチン』はアナーキストと女相撲という自由に生きようとしている人たちを題材にしていますが、それは今がどんどん自由を狭められている時代という気がするからなんですよね。

――自由といえば、『ヘヴンズ ストーリー』は自主映画規模で製作されているだけに低予算ではありますが、5期に撮影期間を分けた長期撮影で、最初の脚本からもどんどん膨らんでいったそうですね。撮りながら検討する時間を設けられるというのは商業映画にはない贅沢な作り方ですね。

瀬々:それは大きいですね。普通は完成品が何時間になるか分かりませんというのは許されませんからね(笑)。そういう作る過程自体が映画を決めていくというか、撮影現場で起こること自体が映画なんだみたいな発想は、商業映画ではなかなか許されないところがあるので。

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