『HiGH&LOW THE MOVIE 3』評論家座談会【前編】 「理想的な終わり方だった」

加藤「LDHのシステムは『サンクチュアリ』と同じ」


成馬:『HiGH&LOW』には“世代交代”というキーワードがありますが、今作を見る限り、世代交代はまだ成功していないですよね。大人がみんなで可愛いコブラちゃんを奪い合うっていう、『BANANA FISH』みたいな構造になってしまった。でも、それはいまの三代目 J Soul Brothersを巡る状況を示唆しているのかもしれない。で、彼らはいまなお琥珀さん=AKIRAさんの強い影響下にある。

西森:三代目のメンバーはみんな、本作でめちゃくちゃ重要な役まわりですよね。私は、世代交代って、コブラから下の世代へっていうよりも、琥珀世代からコブラへっていう意味だと思っていたんで、わりと納得してるんですよ。そしてリアルでも三代目J Soul Brothersは中核になると。でも、リアルで見ても、世代交代をちゃんとしたうえで、もとのEXILEを盛り立てるフェーズに入るから、単に世代交代は、上の世代にお疲れさんっていうのではなくて、お前らが今度は中心となって全体を盛り上げるんだってことだと思うんですよね。そう考えると、もっと先にある継承が、コブラから、GENERATIONSのメンバーになるはずで。とはいえ、白濱亜嵐くんや、まだ入ってきていない片寄涼太くんが中心となる時代はもう少し先で、そこをこれからじっくり描いていくかなという気がしますが。

加藤:ところで、継承をテーマしてるのは間違いないし、見ていて十分伝わるんですけれど、具体的に何を継承しようとしているのかは、実はよくわからないですよね。

西森:たぶん、LDHではパフォーマーやシンガーとして一人前になったら、今度はAKIRAさんや橘ケンチさんみたいに自らプロジェクトを先導する立場も担うようになるんですよね。三代目でも、NAOTOさん直己さんもプロジェクトを率いていて。そういう世代が『HiGH&LOW』でも、加藤さんいうところの「大人の格闘」をしている人たちじゃないですか。まあNAOTOさんは今のところ、まだどっちかわからないけど、今後そうなっていく可能性はありますよね。

成馬:そうか、琥珀さんクラスのメンバーは現実でも自分の“しのぎ”があるんだ。お店を起こしたりとか、企業内起業をやってこそ、LDHのメンバーは一人前ということなんですかね。そんな芸能事務所、聞いたことないです。すごいですね。

加藤:つまり芸能活動しつつも、ビジネスをやらなければいけないわけですね。それなら、たとえば体壊して明日から踊れない状態になっても、食うには困らないわけだ。池上遼一と武論尊による『サンクチュアリ』という漫画があるんですけれど、それと同じ発想ですね。ヤクザのリーダーは組員全員に勉強させて資格取らせたり大学行かせたりして、まともなしのぎで世界で戦える人材にしようとするんです。それで構成員たちを華僑みたいに世界中に送り出すっていう。それのまんまですよ。いや~やっぱり世界展開を本気で目指す会社は違いますね。

西森「『HiGH&LOW』は批評を受け入れる姿勢を持っていた」

成馬:ところで、琥珀さんによる救出劇以外にも「ん?」と思うところがたくさんありましたよね。

西森:これはつっこみではないんですけど、山田裕貴くんが演じる村山が、「あんまりよくない就職先をつぶしておかないと」ってセリフが印象に残って。あれって、不良でケンカばっかやってても、裏社会に単にリクルーティングされるべきでなくて、正業というか、ちゃんと利益を生み出す仕事につかないといけないっていう話で。さっきの『サンクチュアリ』的な話だと思うんですよね。そういうところに、HIROさん的なものを感じましたね。そして、いまさら免許かよ!とか、バイク乗ってるMUGENのみんなと村山の学力そこまで違うのかよっていろいろ皆さん突っ込んだんじゃないかと(笑)。

加藤:あの世界に免許っていう概念があったんですね。

成馬:それ突っ込みだしたらヤバくないですか?

加藤:そうなんです、これ突っ込んだら負けなんです。

成馬:最後にYOUとKYON²が「パチンコ行こう」って言ってたけれど、あそこまで荒廃した世界でまだパチンコあるのかよって。

加藤:何気に「パチンコで稼ごう」って言っていたけれど、本来ならデンジャラス表現ですよね(笑)。でも、この世界ならOK。その辺のガバガバ具合が『HiGH&LOW』の醍醐味ですから。

成馬:みんな衣装とかどうやって揃えたんだよとか、突っ込みだしたらキリがないですよね。一方で、WHITE RASCALSのお店を植野龍平が三倍くらいの値段で買収するシーンとか、急に超リアルな話になったりして。

加藤:今回はリアルとフィクションの行き来が激しかったから、頭の切り替えが大変でしたね。

西森:善信会の連中がビルの屋上でゴルフしているシーンとか、ものすごい大都会ですけれど、SWORD地区の外があんなに栄えているのも驚きでした。

成馬:前回のラストで戦った駅とか、完全に廃墟と化していたのに。SWORD地区は『シン・ゴジラ』のゴジラが来たあとくらい酷い状況のはずだけれど、外の世界はぜんぜん違う。

加藤:もしかしたら、まだ描かれていない未来都市みたいなのがあるのかもしれませんね。セレブだけが住んでる街とか。

西森:三代目J Soul Brothersのライブ「UNKNOWN METROPOLIZ」が、架空の未来都市が出てきましたけど、そういう感じなのかも。

加藤:SWORD地区は下々の者たちが住む外の廃墟みたいな地区なのかもしれませんね。で、SWORD地区はすごい高い壁かなにかで隔離されている。そう考えると、彼らがSWORD地区の成り立ちを知らなかったのも納得できます。情報統制されて、事実を伝えられていない。文明とちょっと隔離された場所なのかもしれません。

西森:そんな中でノボルが大学にいくってことの意味がしみじみきますね。昔だったら、田舎で初めて大学に行った神童とかの逸話ってありましたけど。

成馬:ウルトラ格差社会ですね。

加藤:テーマに関してはものすごく真面目に考えて作られていて、キャラクターそれぞれも丁寧に作りこまれているんだけれど、それを物語に落とし込むときにディティールがガバガバになってしまうのが『HiGH&LOW』なんですよ。その心意気はすごく好きですけれど、辻褄を合わせるのに脚本に無理が生じている。だから、今回は説明台詞が多くなってしまっていて、村山が突然ネット批判を始めたりとか、違和感のあるシーンも少なくありませんでした。あの世界でインターネットといったら、それこそ『ドラゴン・タトゥーの女』みたいな人たちだけが操ることができる特別なツールだと思っていたんですけれど、どうやらそうでもない。

西森:えっ、インターネットばっかりやってる私どうしよう!って急に現実に戻されましたよね(笑)。

加藤:物語の都合でキャラを動かして、結果的にキャラがブレることはあっても良いと思うんです。でも、脚本家や監督が伝えたいメッセージを、それまでの流れと関係ないタイミングでキャラクターに言わせると、やっぱり違和感が出ちゃうんです。

西森:村山は拳で語るのが好きで、ネットで人を叩くヤツらが嫌いというよりも別世界の人に見えているんだとは思うんですよ。さっきの免許の話にもつながるし、格差の話なんだとも思いますし。ただ、やっぱりファンとしてはどう解釈していいのか悩んでいる人もちらほら見ました。なんとか良い解釈を見つけようと、それぞれで脳内補完をしているのも、Twitterで見ました。

成馬:みんな優しい(笑)。

加藤:でも、それは健全な状態ではないと思います。脚本もいろんな人が協力して書いているものだから、誰が悪いというわけではないのですが、もう少しうまく落としてほしかった。

西森:まあそんなに多くはないと思います。ただ、『HiGH&LOW』は見た人がネットで盛り上がってヒットした作品で、批評や解釈を受け入れる姿勢を持っていたからこそ、みんながもっともっと好きになっていったわけじゃないですか。そこには、俳優も、解釈をして自分たちでセリフをアドリブでいったとか、そういうこととも関係していて、我々にも想像して好き勝手言わせてくれる懐の広さがあって、だからファンたちはこの作品に自由を感じることができたんですよね。もちろん、村山の台詞はインターネットで語り合っているファンたちを批判しているわけではないし、一部かもしれないけれど、そういう背景もあったので、一瞬「えっどういうこと?」って立ち止まらせる台詞ではあったのかもしれないなと。

成馬:まあ、僕はその台詞を真に受けてショックを受けるというのも、ナイーブすぎる反応だとは思いますが。ともあれ、今どきのエンタメらしい話ですね。

西森:本当はスルーしてもいいと思うけど、まあこちらにひっかかりがあるセリフっていうのは、またいろいろ考えるきっかけにもなりますし、それも含めて楽しいですけどね。他も含めて、ひっかかりがなかったら、ここまで語れないだろうし。

成馬:僕がそういうシーンをあまり気にしなかったのは、全体的に音楽に救われていたからかもしれません。鬱展開が多かったからこそ、音楽がじゃんじゃんかかって、みんなで団結して行くぞ!ってなったときに、すごくテンションが上がりました。エンディングのかっこよさもそうで、音楽ありきで作っているのがめちゃくちゃ良かった。ライブ的な興奮があったというか。『HiGH&LOW』シリーズは音楽で成り立っている作品だなって、改めて思いましたね。

加藤:エンディングの卒業アルバム感はヤバかったですね。音楽も最高だけれど、今日に至るまでの積み重ねを一気に見せられて、すべてのシリーズを見てきた者としては思い入れを感じずにはいられませんでした。ある意味、そこに頼りすぎている感も否めませんでしたが。

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