パレスチナの少年が世界的歌手へと“駆け上がる”まで 『歌声に乗った少年』が示すアラブの希望

 ところでこの映画をみていて常に驚かされるのが、ほとんどの登場人物の瞳が澄み切っているということである。みながみな宝石のような瞳をきらきらさせながら、目の前の人物と接し合っているのだ。はじめはオーディション番組に出場しようとするムハンマドをよしとせず、エジプトとの国境の間に立ちはだかるものの、ムハンマドの「神に祝福された声」を聞き、結局旧友を温かく見送ろうとするウマルの美しい瞳には忘れがたいものがある。そこにはかつて焼き魚泥棒を遠く見据えていたムハンマド少年の姿が自然と重なる。そうした多くの美しい瞳の持ち主たちの眼差しを一挙に受けながら、ムハンマドはスターへの階段を上るべく旅立ってゆくのだ。

 

 この映画が感動的な大団円を迎えるのは、言うまでもなくムハンマドがスターへの階段を上り切った瞬間である。それは物語の登場人物としての「ムハンマド」から現実にアラビアのスターとなった「ムハンマド・アッサーフ」に転じる瞬間を意味しているのだが、物語が「虚構」の枠をこえ、大衆メディアとしてフレキシブルに世界の国境をもこえようとする、「マス的」な感動がそこから広がり出すのである。デジタル・メディアを駆使することによって「春」を迎えたアラブ世界で、このような作品がうまれるのも必然ではないだろうか。

(文=加賀谷健)

■公開情報
『歌声にのった少年』
9月24日(土)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国順次ロードショー
監督・脚本:ハニ・アブ・アサド
出演:タウフィーク・バルホーム、ナーディーン・ラバキ、ムハンマド・アッサーフ
提供:ニューセレクト
配給:アルバトロス・フィルム
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