大根仁は伊丹十三の正統継承者か? モルモット吉田の『SCOOP!』評

“アレンジャー”としての大根仁

 映画監督を大別すると、他人の映画を観る監督と、観ない監督に別れる。「映画を撮ったり観たり同時にできるか」というのが、観ない側の言い分だ。映画を撮る以前から「僕の作品は全部元ネタありき、パクリというかサンプリングというかオマージュというか、その手の要素だけで出来上がっている」(『21世紀のポップ中毒者』川勝正幸 著/白夜書房)と語っていたのが大根仁だ。

 『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(93年)を完コピしたテレビ版『モテキ』の第2話を挙げるまでもなく、単なる引用、模倣ではなく自作に定着させるアレンジャーとしての才が突出している。脚本家の荒井晴彦も事あるごとに口にするテーゼ、つまり〈あらゆる映画はすべて撮られてしまった――われわれが先人に勝っているのは現代を生きていること〉を自覚的に実践する監督である。しかし、「全部元ネタありき」と言っているのを真に受けて見くびると、テレビドラマ、バラエティ、ミュージック・ビデオ等で培った演出技術を目の当たりにして打ちのめされる。映画に限らずサブカルチャー全般への批評的な視点を自作に応用しながら商業映画で成功した稀有な存在――伊丹十三(俳優出身)、原田眞人(映画評論家出身)の系譜に連なる監督である。

 『SCOOP!』は原田眞人が32年前に監督し、後に劇場公開もされたテレフィーチャー『盗写1/250秒 OUT OF FOCUS』(84年)のリメイクだが、リスペクト&リビルドをこれほど巧みにやってのけた作品はめったにあるまい。そもそも長年の再映像化構想(連ドラとしても企画したこともあるという)が、福山雅治主演企画として通り、実現したという多幸感に満ちた作品である。ただし、『盗写1/250秒』は原田作品の中でも最初期作に当たり、知る人ぞ知る幻の佳作だけに、まずはオリジナル版の内容を紹介しておこう。

 熊本日本新聞の記者だった名女川野火(斉藤慶子)は、写真週刊誌「OUT OF FOCUS」編集部に採用される。上京した翌日、編集部へ挨拶に訪れるが、副編集長の横井定子(夏木マリ)の指示で、警察署に護送される容疑者を狙う記者の加柴大作(宇崎竜童)とカメラマン都ノ城静(原田芳雄)のもとへ向かう。署内に強行突入して取調中の容疑者を撮る静の荒業を目の当たりにする野火。文芸誌の編集部から移動してきた馬場(矢崎滋)と合流し、今度は結婚詐欺で自殺した被害者女性の実家を訪れる。遺族から追い払われて閉口する野火と馬場を尻目に、加柴は口八丁手八丁で遺族から被害者の写真を巻き上げてみせる。続いて情報屋のチャラ源(内藤陳)から女性議員が男連れでホテルへ行ったというタレコミが入る。静からカメラの使い方を教わった野火はホテルの廊下で見張り、部屋から出てきた中年カップルと共にエレベーターに乗り込み激写に成功するが、それは人違いで誌面を華々しく飾ったのは静が撮ったものだった。悔しがる野火は、編集部が次に狙う永野元総理の公判写真でタブー破りをやろうと意気込み、逡巡の末に乗った静、加柴らと共に法廷盗撮に挑む。

 

 『SCOOP!』を観れば、ベースとなるプロットは踏襲されていることがわかるはずだ。なお、役名はオリジナルから微妙に変更されており、名女川野火→行川野火、都ノ城静→都城静、横井定子→横川定子などになっている。最も大きな変更は、宇崎竜童と原田芳雄にまたがっていた役を福山雅治が演じる静へ統合した点だろう。野火に対して宇崎は荒っぽく、原田は優しく接するが、福山ならば2人のキャラクターを1人で演じることが可能という見極めが、本作を成功させた要因である。この変更によって静と野火のバディフィルムとしての骨格が明瞭になっている。どれだけ異なる境遇の2人を設定し、共通の目的に向かって走らせることができるか、またその過程で愛憎を抱きながら最後には理解しあい、互いに成長するか。ベテランカメラマンの福山と新人記者の二階堂ふみが最初は反発しながら、やがて互いの能力を認めるようになり、絶妙のコンビネーションを発揮してスクープを追い求め、愛情も抱き合う。まさに間然する所がない構成である。

 しかし、よく出来た構成というだけでは映画は面白くならない。ここからがアレンジャーとしての大根の腕の見せどころである。当時は斬新だった『盗写1/250秒』も、32年の歳月による部分腐食は避けられない。そこで修正アップデートが必要となる。例えば「今どきタバコ吸える編集部なんかないよ」「なんで例えが野球なんですか」等々、オリジナルへの今の視点からのツッコミとも言える台詞が巧みに織り交ぜられる。ただし、除去しすぎると都城静という現代には存在しそうにない荒っぽいキャラクターまで漂白しかねないので、福山雅治が演じることで成立することを折り込み済みで(脚本を書く前に衣装合わせを行ったという)、時代に沿わない台詞もあえて残されている。

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