『スーサイド・スクワッド』が悪役たちを“人間らしく”描いた理由ーーデヴィッド・エアーの真意は?

 本作は、一部で批判も浴びているという。それは、「彼ら悪党が悪党らしくなく、むしろ良い人たちのように見える」ということへの不満だ。おそらくここで期待されていたのは、悪党が自らの残虐性を発揮して、もっとのびのびと人殺しを楽しみ、はしゃぎまくる姿なのだろう。それは劇中の政府高官たちが望んでいた展開でもあったはずだ。しかし、デヴィッド・エアーが脚本を書き、監督した本作では、そうはならなかった。彼らの本当の姿は、ささやかな「普通の」幸せを求め、ときに自分の犯した罪に悩む「普通」の人間だったのである。

 多くの善良な市民の考える「悪」とは、自分の感性や性格とは完全に隔たりのある「異常さ」であろう。犯罪に手を染める人間と、そうではない人間に、本質的な違いが存在するのであれば安心である。だが、犯罪の多発する地域で生活をし、軍隊で人を殺す教育を受けたデヴィッド・エアーは、あらゆる人間が、いつでも「あちら側に行ってしまう」可能性があるということを理解しているのではないだろうか。

 彼の監督作『フューリー』は、第二次大戦での戦車に乗った兵士たちの戦いを描く問題作だった。この作品で最も違和感が残るのは、アメリカの兵士が、民家に隠れていた敵国の少女を、武力で脅してベッドに連れ込んでしまう場面だ。にも関わらず、この作品ではそのような蛮行をはたらいた兵士を、ときに善良な人間として描いてもいる。多くの映画では、そのような罪を犯す人間に共感を込めるなどということはあり得ない。そこには理想化されることも断罪されることもない、戦場におけるひとりの兵士の等身大の姿が、そのまま描かれているといえるのである。彼らはただ、命を張っているという一点において、映画の作り手に共感されている。それをどう評価するかは、観客自身に委ねられているのだ。

 『スーサイド・スクワッド』の悪役たちは、私利私欲による殺人を犯しているような凶悪犯であることに違いはない。だが同時に、彼らは家族や恋人を大切にし、仲間たちへの信頼も厚い。そういう価値観のなかで生きている。それこそが「悪党」の等身大の姿のひとつであるといえないだろうか。そして、そんな風に描かれる世界こそ、デヴィッド・エアーが眺めてきただろうロサンゼルスのひとつの「風景」なのである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『スーサイド・スクワッド』
9月10日(土)全国ロードショー
監督・脚本:デヴィッド・エアー
製作:チャールズ・ローブン、コリン・ウィルソン、リチャード・サックル
出演:ウィル・スミス、ジョエル・キナマン、マーゴット・ロビージャレッド・レト、ジェイ・コートニー、カーラ・デルヴィーニュ、福原かれん
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2016 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., RATPAC-DUNEENTERTAINMENT LLC
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/suicidesquad/

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