松江哲明の“いま語りたい”一本 第6回

松江哲明の『シン・ゴジラ』評:90年代末の“世界認識がグラグラする”映画を思い出した

 『シン・ゴジラ』を観て、まず最初に、僕が90年代末に感じていた“日本映画の面白さ”を思い出しました。たとえば、押井守監督の『パトレイバー』や金子修介監督の『平成ガメラ』シリーズ、あるいは三池崇史監督の『DEAD OR ALIVE 犯罪者』とか『漂流街』などがそうだったんですけれど、誰かにおもねることなく、作り手が面白いと思うものを打ち出している感じがしたんですね。80年代は“洋画の時代”で、言ってみれば日本映画は若者にとってダサいものだった。人情話や動物モノが多くて、僕も全然かっこいいとは思わなかったんです。でも、90年代に入ると、様々な制約がある中でもすごく面白いものを作る人達が出てきた。観客に媚びることなく、センスで観せる監督が出てきたんです。正直、観客を呼べていたかというと、そうではなかったんだけど。ただ、ここから新しい日本映画が生まれるんじゃないか、という機運はあったんです。

 ところが2000年代に入って、『世界の中心で、愛をさけぶ』が大ヒットしてからは様相がガラッと変わってしまう。ベストセラー小説や漫画を原作とした映画や、テレビドラマの映画版などがすごく増えて、そうした作品の興行成績は良いけれど、僕が映画として本当に面白いと感じるものは減っていったんです。でも、今回の『シン・ゴジラ』は庵野秀明監督のセンスを信じて作られている感じがして、すごく興奮したんですよ。「ゴジラって本来、こういうものだったよね」っていうのを、思い出させてくれた感じで。

 2014年に公開されたアメリカハリウッド版の『GODZILLA ゴジラ』は、怪獣プロレス映画としてすごく面白くて、僕は正直、もう日本でゴジラを作る必要はないのかもしれないと思っていたんです。僕はいわゆる平成ゴジラがあまり好きではなくて、なぜかというと、ストーリーが子ども向けだったり、アメリカ映画を意識しているような作りが気になったからなんですね。アメリカ映画を意識した日本映画って、ダサいじゃないですか。だから、もうハリウッドに任せてしまえば良いと思ったんです。

 それが今回の『シン・ゴジラ』は、一番最初の本多猪四郎監督の『ゴジラ』ーービキニ環礁の核実験から着想を得て、戦後の日本だからこそ感じられる恐怖がにじみ出たゴジラになっていた。最初の『ゴジラ』では、死を覚悟した母親が子どもに対して、「もうすぐお父ちゃんのところに行けるのよ」ってセリフを言うシーンがあるんですけれど、その描写は当時の人々にとってのリアルな恐怖を表現したはずです。一方の『シン・ゴジラ』は、3.11の記憶が色濃く反映された作りで、その精神性はまさに初代『ゴジラ』から引き継がれたものです。最近のマーケティングを意識した日本映画とは、一線を画する作品だったと思います。

 

 街の破壊の描写ひとつ取っても、平成の『ゴジラ』が観光地を破壊するのは娯楽として爽快感のあるものだったけれど、『シン・ゴジラ』で東京駅が壊されていく様には、痛快さと同時に悲しさがあります。僕は、映画には必要な破壊があると思っていて、今回の破壊描写は本当に見事でした。たとえば、退避命令が出ている中、おじいさんが逃げ遅れていたりして、ゴジラを攻撃するチャンスを逃してしまったりするシーンは、否応なく3.11を思い出させます。ああいうシーンを正面から描き切ったのは、作り手としてとても覚悟がいることだったと思います。また、アメリカ映画では、9.11以降は安易に“爆破”の描写が使われなくなって、『宇宙戦争』や『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』のようにビルが壊れるときは粉塵で表現するようになっていきましたが、『シン・ゴジラ』では水の怖さがリアリティを持って描かれていました。ゴジラの上陸によって川の水が逆流して、瓦礫が散乱していく描写は、3.11を経験したからこそのもので、この映画のキモになっていると思います。

 キャストについては、映画が始まってすぐは「どんなリアリティで見ればいいのだろう」と思うところもありました。特に大杉漣さんの芝居とか、彼は存在感で芝居をするタイプなのに、こんなに喋らせてしまって良いのかなって。そしたら登場人物全員に早口で専門用語を次々飛び交わさせて、これは感情より情報を優先して芝居をさせているんだな、と気づきました。 普通の映画なら会議のシーンで「(中略)」なんてしないですよ(笑)。激昂する演技なんて、日本映画が最も得意とする場面ですから。良くも悪くもですけれど。この映画ではそういう盛り上がりを一切省いてます。さらに石原さとみさんが出てきたあたりで、この映画はこれで良いのかって、納得しましたね。彼女がリアリティの基準を定めてくれたんだと思います。 一方で、長谷川博己さんが率いるチームには、自然な演技ができる人たちを集めていましたね。特に塚本晋也さん、高橋一生さんが素晴らしかった。ものすごくフィクション性の高い設定に説得力を与えていたと思います。物語が進むに連れて、だんだんと彼らの芝居に盛り上がっていくのと同時に、ゴジラが東京に近づいていく。身近な風景が壊されていく中で、彼らが組織の指示とは別に一致団結して戦う姿にはグッときます。「今の時代、こんな人たちがいてくれたら心強いな」と思う人も多いんじゃないでしょうか。そんな中、ゴジラが光線を出して、尻尾をグルングルン振り回すカットなんかは涙が出そうになりましたね。冒頭の展開や「(中略)」の演出に油断させられた分、東京が破壊される頃には衝撃と感動が入り混じった気持ちで観ていました。「この映画はどこまで連れてってくれるんだろう」と。

 

 たぶん、この映画のリピーター率が高いのも、そのあたりがポイントなんじゃないかと思います。『シン・ゴジラ』は良い意味で粗があって、50点のところもあれば120点のところもあるんです。けど、その落差があるからこそ、「このシーンは圧倒的に好き! だからよし!」みたいな、結果的に全編を通して好きになってしまうような作品です。ちょっと稚拙に感じるところも、見ていくうちに味に変わってしまうんですよね。石原さんの隣にいる無言で立っている大きな外国人とか。 あれはダウンタウンと板尾創路のコントを思い出しましたよ。あの感覚、海外の人には通じるのかな(笑)。

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