S・キング原作の最注目ドラマ『11/22/63』がついに日本上陸! いま“大統領暗殺”を描く意義

 1970年代生まれの自分の世代にとってスティーヴン・キングとは、映画館で同時代に観た『スタンド・バイ・ミー』(1986)や『ミザリー』(1990)や『ショーシャンクの空に』(1994)といった傑作の原作者であり、初めて観たのはレンタルビデオであったが、それに先行する『キャリー』(1976)、『シャイニング』(1980)、『デッド・ゾーン』(1983)といった正真正銘のクラシック映画の原作を手掛けてきた当代きってのスター作家であった。今挙げた作品以外にもキング原作はその多くが映像化されていて、その中には観た直後に観たこと自体を忘れたくなるような作品も少なくなかったが、そのことが半ば「ネタ化」されていたことも含め、特に1980年代から1990年代にかけての映画/ドラマ界における「原作者:スティーヴン・キング」の存在感と威光に比肩するような作家は、その前にも、その後にも現れていない。

 

 キングの偉大さを挙げていけばきりがないのだが、ここでは二つ挙げておこう。一つは、その主戦場がホラー/SFという強固なジャンル性を持つ分野であるにもかかわらず、その支持層が完全にジャンルを超えていること。それは日本における同業者の評価にも表れていて、ホラー/SF作家に限らず、たとえば村上春樹や吉本ばななや宮部みゆきといった人気作家も心酔していることを公言(村上春樹がキングを愛好していたのは初期作品限定とのことだが)、それがきっかけでキングの小説を手に取るようになった人も多かったはずだ。

 もう一つは、1973年に『キャリー』で商業作家としてデビューして以来、現在にいたるまでの43年間、時には別名義を使わなくてはいけなくなるほどの(アメリカの出版界には人気作家は年間1作までという慣習があったため)多作家であり続け、常に小説界の第一線に君臨し続けてきたことだ。それは、特定の時代にあれほど世界的&大衆的な人気を誇った作家としては、驚異的なことである。

 したがって、キングにおいて「再評価」という言葉はまったく相応しくないのだが、それでもここ数年、その存在感がにわかに高まってきていることを感じている人も多いのではないか。テレビシリーズ『アンダー・ザ・ドーム』(2013〜2015年)のヒットもそうだし、1990年に一度テレビシリーズ化されたキングの代表作『IT』の映画化(2017年公開予定)のニュースもそうだし、最近ではキング自身が「まるで自分の作品のグレイテスト・ヒッツを見ているようだ」とtwitterで絶賛した、キング作品へのオマージュに満ちたテレビシリーズ『ストレンジャー・シングス』の登場というトピックもあった。

 そう、大長編ものが多いキング作品にとって本来相性がいいのは、限定された時間に凝縮しなくてはいけない映画よりも、その独特の叙述と描写に丁寧に寄り添うことができる長時間のテレビシリーズの方なのだ(キング原作の映画化での成功例が短編原作に多いのも同じ理由)。にもかかわらず、(1990年に本国で放送された『IT』のようなテレビシリーズでの成功例もあるにはあったが)1980〜90年代当時の映画界とテレビ界の経済力及び影響力の格差から、キングのような人気作家の作品の映像化で優先権を持ってきたのは常に映画界の方だった。しかし、ご存知のように映画界とテレビ界のパワーバランスは、ここ数年で大きく変わった。テレビシリーズ全盛時代の2010年代とは、つまり「キングの時代」の再来にして、遂にその本領が発揮される時代でもあるのだ。

 

 そんな時代を象徴する作品が、この8月にスターチャンネルで独占日本初放送される『11/22/63』である。日本でも2013年に原作が刊行されると(アメリカでの刊行は2011年)、その年の「このミステリーがすごい!」の海外小説部門で1位、「週刊文春」のミステリー年間ベスト10で1位と、圧倒的な評価を獲得した、正真正銘、キングの21世紀における代表作である本作。今年発表されたテレビシリーズも世界中で大反響を起こしていて、口うるさい(そしてその多くが自分のような「キングど真ん中世代」の)批評家からも絶賛されている。そのテレビシリーズが、遂に日本に上陸するのだ。

 タイトルの『11/22/63』は、ある世代以上のアメリカ人ならば誰もが即座に思い当たる、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディがダラス市内のパレード中に銃で暗殺された日付、1963年11月22日のことである。オリバー・ストーン監督の『JFK』(1991)を筆頭に、これまで数え切れないほどのフィクション作品やノンフィクション作品が制作されてきたケネディ大統領暗殺事件というベタな大ネタに、満を持してキングはタイムトラベルものという、これまたベタな手法でアプローチする。というか、「ケネディ暗殺」というネタも「タイムトラベルもの」というネタもどちらも大ネタではあるが、それを組み合わせようなんて大それたことは、キングほどのネームバリューと手腕がなければなかなか挑めるものではないだろう。

 

 これはキング作品に限った話ではないが、優れたフィクションの一つの掟として、「大きな嘘は大胆につくこと」「小さな嘘はできるだけつかないこと」というのがある。本作でいうなら、アメリカの田舎町の寂れたダイナーの厨房の倉庫が「1960年のある日」(暗殺事件のあった1963年でなく、その3年前の1960年というのがこの物語の大きなポイントとなっている。ちなみに、原作ではさらに遡って1958年の世界へと主人公はタイムトリップする)へのタイムトンネルになっているというのが「大きな嘘」。一度、その嘘(前提)さえ飲み込んでしまえば、あとは細部にいたるまで完璧に、そこには1960年代のアメリカが映像で完璧に再現されているのが本作『11/22/63』の見所だ。

 「完璧に再現」というのは、何も美術や衣装や小道具だけでない。たとえば、昨今のアメリカ社会全体を揺るがしている黒人差別問題にしても、社会における女性の役割や立場に関しても、まだまだ現代社会においてまったく解決はしていないものの、「たった50数年前にはこんなひどいことが当たり前のように起きていたんだ!」と驚かされるような社会慣習や風俗の描写を、視聴者への問題提起として、一切逃げることなく、あえて詳細に描いているのだ。それが、本作を単にエンターテインメントとして優れた作品であることを超えて、2016年に映像化される深い意味のある作品にしている。

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