『ファインディング・ドリー』が持つ、小市民映画としてのやさしさーー痛みとともに描く人生の意味

 1955年に製作された『ふろたき大将』という日本の実写映画がある。ベテラン俳優・石橋蓮司が、60年以上も前に子役として主演した、東映児童映画第一回作品だ。子供向けながら物語は過酷で、戦争で母と離ればなれになった子供が戦争孤児として施設に入所するが、読み書きやそろばんが全くできず、他の生徒たちにノロマだと馬鹿にされてしまうという、かなり気の毒なものだ。彼の楽しみは、外でひとり佇みながら、母親との一番楽しかった思い出にひたることだけである。ただ風呂を焚くことだけが得意な少年を演じている子役時代の石橋蓮司も、現代的な愛らしい子役としての見た目ではなく、現在の石橋蓮司がそのまま子供になっているような顔で、一見なんとなく共感を呼びにくい。だが本作は、だからこそ深い感動を呼ぶことも確かだ。

 有能で勇敢で見た目もいいキャラクターというのは、実写、アニメ作品を問わず、万人に好まれ主役になりやすい。しかし多くの人々にとって、そのような登場人物に憧れこそすれ、深い共感を得て自分の人生と重ね合わせるようなことは困難だろう。もちろん、映画はひとときの夢を与え、つらい現実を忘れさせるという役割もある。だが一般的な目線で、自分の能力の範囲の中で、どうやって現実に対処し、どうやって幸福を得るかという問題を描く作品も、同時に必要とされているはずだ。それが、『ファインディング・ドリー』や『ふろたき大将』が持っている、小市民映画としてのやさしさなのである。

 

 しかし、ドリーには素晴らしい能力もあった。ニモの父・マーリンは、絶体絶命のピンチに陥ったとき、いつも前向きに状況を打開することができるドリーに対して、「不思議な力がある」と感想を漏らす。だが、その力とは、主役を特別扱いするような魔法でも奇跡でもなかったことが、ドリーの過去の謎が解かれていくことで明らかになってくるのである。それはドリーの両親が、彼女の能力について絶対に否定的なことを言わず、長所を肯定し続けるという愛に溢れた教育方法に起因していた。表面的な理解で得るような情報はすぐに忘れても、何かを成し遂げたときに精一杯褒められて評価されたという嬉しさそのものは忘れにくい。彼女は幼少時の成功体験によって救われ、忘れていたはずの両親の愛情に支えられて、いままでひとりで生き抜くことができたのである。

 本作『ファインディング・ドリー』は、前作以上の深さで、耐え難い痛みを乗り越えながら、人間とは何か、人生を生きる意味とは何かということを考えさせ、ひとつの説得力ある答えを与えてくれる作品である。英雄として世の中を変えるのではなく、自分自身の人生を切り拓き、幸福を実感する静かなラストシーンがあまりに感動的だ。紛れもない傑作である。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ファインディング・ドリー』
全国公開中
監督:アンドリュー・スタントン
共同監督:アンガス・マクレーン
製作総指揮:ジョン・ラセター
日本語版声優:木梨憲武(マーリン役)、室井滋(ドリー役)、上川隆也(ハンク役)、中村アン(デスティニー役)
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
(c)2016 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
公式サイト:http://www.disney.co.jp/movie/dory

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