菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第2回(前編)

日本のノワール映画は“エグいジャパンクール”ーー菊地成孔が『木屋町 DARUMA』を読み解く

<正気>の人たちが形成する社会の底辺

 最後に、本作に関して一番強調したいのは、こういう映画はすぐに「狂った映画」といった風なステレオタイプが口にされがちなんですが、実はこの作品は狂気ではなく、正気を描いている作品だということです。所謂、精神病的な狂人は一人も出て来ません。  

 設定こそグロいですが、出てくるキャラクターは全員が完全に正気で、寺島進さんなんかはだんだんと狂って行くんですが、追いつめられてるだけで、大して狂っていません。

 現代的な狂気。たとえば『冷たい熱帯魚』みたいな場合は、普段は熱帯魚屋として暮らしている善人が快楽殺人者であるし、『悪人』や『ヒミズ』みたいな場合は若くて美しい主人公たちが、狂おしい状況に身を置かれて、いわば狂気と正気の臨界的体験をこれでもかというほどに訴えかけてくるわけです。

 この映画の主人公は身体こそ過酷な状況に陥っているものの、人間的には全然狂っていないわけで、むしろ屈強な精神を持っています。武田梨奈さんが演じる高校生だって、状況は悲惨だけれども、その“墜ち方”も本当に狂っている感じではなくて、普通の昭和の女の落ち方です。人は殺すけど、殺す相手は間違えていないのだから、その行動は正気に基づいたもので、説明の付くものです。

 <正気の人たちが形成する社会でも、ちょっと裏に入ると、これだけのことが起こっている>こんな映画は、昭和には掃いて捨てるほどありました。それが少なくなった今、敢えてその事を描いたのがこの映画の長所なのではないでしょうか。「<現代的な狂気とやら>をちょいと掘り下げてほい文芸作品一丁上がり」という映画は昔から後を絶たず、その多くはイージーウエイです。

 『仁義なき戦い』の頃は、我が国全体に敗戦トラウマという巨大な外傷が横たわっていたからこそ、任侠というものが成り立ったのだと思います(それでも「仁義なき」というのは、「そういう時代も、もう終わった」というテーマですけどね)。

 しかし、いまはむしろ戦争へと向かっているわけで、いまの市井の人たちに敗戦トラウマはリアルではない。戦争予期不安のが100倍リアルでしょう。だから任侠というものがリアルやアンリアルという足場を失って、ファンタジックに一人歩きをしている。

 最初に話した、ニュースに映った実際の山口組関連の人々の顔、昔は、こういう顔をした日本人が、まだまだ路上にもいっぱいいたし、映画の俳優のなかにも、こういう顔の人はいました。

 でも、いまや彼らは完全にアンダーグランド化してしまっている。お母さんたちが警戒しているのはヤクザではなく、自分の子供を狙う変態です。健康的な社会というのは、任侠社会というのが、一般の社会の脇にちゃんと寄り添っているのが、それを様々な方法で抑圧したから、行き場のなくした狂気が野に放たれてバランスを崩し、ロリコンやら快楽殺人者やらといった病理へと繋がったというのは、余りにステレオタイプな社会的病理の見方ですが、嘘偽りとは言えないでしょう。

 つまり、本作は「現代的な狂気」が出てこないので「空虚」なのである。と仮説する事が出来ます。

 一見、安易なイメージとして、空虚っぽく、真空っぽく見える「狂気」ですが、実際狂気の実質というのは、嵐のように激しい物で、空虚でも真空でもありません。精神分裂病も、鬱病も、精神的なエネルギーは煮えたぎったマグマです。

 本作の「空虚さ」は、前述の「物語が、見るもの誰にも関係ない」という非現実感だけではなく、「現代的な狂気」という、ずっしりした実質がなく、正気で満ちているので、「空虚」なのです。「やりすぎ」と「空虚」の相互補完的な絡み合いがお解り頂けたでしょうか?

 だって、一般的に「ジャパンクール」と呼ばれる物の中に「狂気の登場人物」はいるでしょうか?「ちょっと不思議なキャラクター」はいるかもしれないけど、それはセーフティであって、本物の狂気は、作中には登場せず、作外、つまり作者、ユーザー、そしてこの国に蔓延する現代的狂気として位置されるのがジャパンクールでしょう。本作と同じ構造です。

 様々な意味で懐かしさと志を感じましたし、ユーモアもあるし、それを支える井筒チルドレンの演技も素晴らしい。そういう意味では、好感の持てる作品でしたが、まだ若い彼等が、「俺たちゃ男の世界で、オタクなんか関係ねえ」とかいった誤った自己既定から解き放たれ、更に出来うるならば、「女性性」を作品に組み込んだ時が、ネクストレヴェルでしょう。後編の韓国ノワール「無頼漢」で、その事を扱います。

 監督もキャストも「まさか映画館で上映出来るとは思ってなかった。こんな強烈な映画」と口を揃えるのですが、全然そうでもないです。「タイトルでさえ、マスメディアでは言えないんですから」なんて言ってるんですけど、別に「ダルマ(四肢欠損者)」をタイトルに入れる必要性もなし、ほかのタイトルにすれば、もっと広く訴えかけることができたかもしれない。志の高い良い映画なのだから、全国ロードショー目指しても良いと思いました。何せ、ジャパンクールなのだから。そうそう、もっとも重要な事を。「ダルマが出て来るなら見ない」という方へ。ダルマのシーンはちょっとです。逆に純粋ダルマフェチの方は残念。

※筆者の希望により、初出時から改稿しています。

■公開情報
『木屋町DARUMA』
2015年10月3日(土)より渋谷シネパレスほか全国順次ロードショー
キャスト:遠藤憲一、三浦誠己、武田梨奈、木下ほうか、寺島進、木村祐一
監督:榊英雄
(c)2014「木屋町DARUMA」製作委員会
公式サイト:http://kiyamachi-daruma.com/

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