内田有紀の再評価作となるか? 型破りな設定が話題の『偽装の夫婦』を分析
そのエクストリームな人物造形(ヒロの家族関係が、また強烈なことになっている)からも分かるように、本作の基調となるトーンは、思いのほかコメディだった。しかし、その内面には、案外シリアスな“リアル”が詰まっている。まわりの人間とうまくやっていくためには、良くも悪くも自分を押し殺す必要があるのだろうか。それはたとえ、家族や夫婦であっても、変わらないのか。というか、そもそも“家族”や“夫婦”、さらには“誰かを愛する”とは、どういうことなのか。『偽装の夫婦』……見方によっては、ある種、素っ気ないタイトルであるにもかかわらず、そこでコミカルに描きだされるものには、かなりの含蓄が詰まっているようだ。
そして、もう一点。初回を観た限り、個人的ないちばんの発見は、“謎のシングルマザー”役として登場する、内田有紀のミステリアスな“可憐さ”であった。小さな娘の手を取り、左足を引きずりながら(なぜ?)歩く内田有紀のハッとするような美しさ。そう、何を隠そう筆者は、ドラマ『ひとつ屋根の下』(1993年)、『北の国から 2002遺言』(2002年)といった作品はもとより、松尾スズキ原作・監督の映画『クワイエットルームへようこそ』(2007年)、芥川賞作家・絲山秋子による原作を金子修介監督が映画化した『ばかもの』(2010年)、星野智幸による原作を三池聡監督が映画化した『俺俺』(2013年)など、近年の内田有紀出演映画を高く評価する者なのだ。特に『ばかもの』の彼女の演技は、本当に素晴らしかった。その彼女が、かなり重要な役として配置されているらしい。しかし、第一話の最後、彼女は天海祐希演じるヒロに、こうのたまうのだった。「私たちの家族になってくれませんか?」「私、あなたのことを好きになってしまいました」。劇中のヒロの台詞じゃないけれど「はい?」である。というか、沢村一樹演じる超冶の“ゲイ”という設定を含め、このドラマは、“家族”や“夫婦”、さらには“愛”といった問い立ての先に、男女の“セクシュアリティ”の問題をも射程してゆくのだろうか? それはかなり、野心的な試みであるように思われるのだが……ということで、とりあえず次週も観ること決定です!
(文=麦倉正樹)