『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』フランソワ・ジラール監督インタビュー

美声に包まれた音楽映画『ボーイ・ソプラノ』監督が語る、映画作りで才能よりも大切なこと

「『セッション』のパワフルさに感心したよ」

——音楽教師と生徒という関係性で言うと、ちょうど日本でも『セッション』(14年)が話題になったばかりです。ジラール監督はこの映画、ご覧になりました?

ジラール:もちろん観た。感心したよ。確かに音楽、そして師弟関係といったテーマについては『ボーイ・ソプラノ』と似ているね。僕らの映画では師弟愛を前向きなものとして捉えたつもりだ。一方、『セッション』は極めて破壊的(笑)。

——対極にあると言っても過言ではないですよね。

ジラール:そうだね。あと、僕は経験則で音楽をテーマとして扱うことの難しさをよく知っている。演奏シーンひとつ取ってみても、演者がその場で演奏するとなるとある種の即興性が生まれてくるから、周囲もそれに応じて柔軟かつ俊敏に動かなければならない。それが巧く噛み合ないとああいうパワフルな映像にはならないんだ。相当な力量と才能だよ。

毎日が自問自答、試行錯誤の連続

——『ボーイ・ソプラノ』の主人公は目の前にチャンスがあるのに一歩踏み出すのに躊躇してしまいます。これは現代人の多くに通じるメンタリティだと思うのですが、監督はどのように捉えていますか。

ジラール:面白い指摘だね。確かに僕ら大人でも最初の一歩を踏み出せないことってよくあるものだ。その点、主人公は、先生に指摘されてはじめて自分の才能を意識的に見つめることが可能となる。序盤では、目の前にチャンスがあっても彼にはそれが何なのか見えておらず、ただ漠然とやり過ごすだけなんだ。人は目標や夢をしっかりと見据えることで、初めて具体的に動き出すことができる。本作はそういった過程を描いた物語と言えるのかもしれない。

——ジラール監督は夢や目標、あるいはプロジェクトを形にするにあたり、ご自身の才能をどう花開かせているのでしょう?

ジラール:果たして自分に才能と呼べるものがあるのかどうか。これは日々、切実なまでに自問していることなんだ。とはいえ、そこにばかり囚われていてはダメで、むしろ何か伝えるべき、表現すべき題材を妥協せずに探し続ける努力こそが表現者にとって最も大事なことなんじゃないかな。その中で僕自身、失敗することも多いし、自分で書いたアイディアや脚本をビリビリにして破いてしまうこともしょっちゅうある。ほんと、血と汗と涙しか残らないことばかりなんだ。試行錯誤の連続だね、この仕事は。

——本作もそういった努力の賜物なんですね。

ジラール:そのとおり。スケジュールはタイトだし、劇中の音楽収録でも難題が山積みだった。けれど今回、撮影現場のどこにカメラを向けても常に子供たちの活き活きした表情が飛び込んできたのは素晴らしい経験だったな。教室や寮、それに聖堂でもフレームの中は常におびただしい人口密度の高さなんだ。そのことがどういうわけか、僕にある種の爆発的なエネルギーを与えてくれた。きっと監督と出演者もまた、音楽のように互いに影響を与え合っているんだろうね。おかげで納得のいく作品を生み出すことができたよ。彼らにも心から感謝しなきゃいけないな。

(取材・文=牛津厚信)

■公開情報
『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』
2015年/アメリカ
配給:アスミック・エース
9月11日(金)TOHOシネマズシャンテ他全国ロードショー
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