人は古代から「騙されたがる」生き物だった? 歴史学者がパピルスから読み解く、魔術に託された人間の欲望

 「古代ギリシア語魔術パピルス」とは、古代地中海で用いられた魔術の実践マニュアルである。『魔術の古代世界』(角川新書)は、遺跡から出土した「呪詛板」の解読をきっかけにこの文書群と出会った著者・前野弘志が、伝統宗教からキリスト教へと移り変わる時代の人々の日常を読み解いた一冊だ。研究の裏話や12の魔術から見える古代人の生々しい欲望、現代の生成AIにも通じる人間心理について、前野に話を聞いた。

「呪詛板」の解読依頼から始まった

前野弘志『魔術の古代世界 「古代ギリシア語魔術パピルス」を読む』(角川新書)

――前野先生が普段研究されている専門領域について教えてください。

前野弘志(以下、前野):私の専門は古代史、特に古代地中海世界を研究対象にしているのですが、その中で「ギリシア語碑文学」という分野にも取り組んでいます。古代ギリシア語が刻まれた石板や金属板など、いわゆる出土文字史料の解読です。それと関連して、レバノン考古学も手がけています。レバノン南部にはティール(ティルス)というユネスコの世界遺産にも登録されている都市遺跡があり、そこを2022年から発掘しています。私自身は考古学者ではありませんが、ご縁があって発掘チームのリーダーを務めることになりました。

――古代史が専門の歴史学者でありながら、考古学とも近い距離におられるといった立ち位置でしょうか?

前野:そうです。通常、西洋史といえば文献史学が中心で、古文書や文書館に保管された史料などを読み解くのが一般的です。しかし私の場合は、どちらかというと出土遺物や出土文字史料を研究対象としているため、考古学とも縁があるというわけです。

――そんな前野先生が、今回「魔術」に関する新書を執筆されることになったのは、どのような理由からだったのでしょうか?

前野:それは、実は今のお話とも繋がっています。そもそもの話をしますと、2000年にイスラエルがレバノン南部から撤退した後、その地域の考古学的な調査が盛んに行われるようになり、日本にも様々なオファーが届いたんですね。私は考古学者ではないので最初は関係なかったのですが、2010年に京都大学の調査隊がティール郊外にある大きな地下墓を発掘した際、その中から「呪詛板(じゅそばん)」と呼ばれる遺物が発見されたのです。

 呪詛板というのは、手のひらに乗るカードほどの大きさの鉛の板で、そこに釘や針などで文字が刻まれているものです。まあ、神々に対する一種の手紙のようなものですね。現地で発掘されたものもその類であろうということは分かったのですが、当時それを解読できる人がいませんでした。そこで私のもとに解読の依頼が来まして、実際に解読してみると確かに呪詛板だったのです。

 この呪詛板は一種の「魔術」の道具であり、その書き方のマニュアルにあたるものが存在します。それこそが、今回の著書で扱った「古代ギリシア語魔術パピルス」と呼ばれる文書群なのです。

――そこで点が線として繋がるわけですね。

前野:そうなんです。魔術パピルスには、そうした「呪詛」をはじめ、多種多様な「魔術」の手順がレシピのように具体的に記されています。それを読み解いていくうちに、だんだんと魔術パピルスの研究自体が面白くなってしまいまして(笑)。

 ある程度の数の文書の解読が進んだら、何らかの形(学会発表や専門書など)で発表したいと考えていたのですが、ちょうどそのタイミングで編集者の方からお声がけをいただいたため、喜んでお引き受けしたという次第です。

魔術の根底にあるのは人間の「欲望」

――学会や専門書ではなく「新書」という幅広い層に向けた形で執筆されるにあたり、まずどのような点を意識されましたか?

前野:「魔術」や「呪術」といったものは、私自身も研究を始める前はどこかおどろおどろしいものだと思っていました。私個人としてはそうした怪しい世界観にも興味があるのですが(笑)、研究を進めていく中で、それほどおどろおどろしいばかりのものではないと気づいたのです。

 「魔術」や「呪術」というのは、誰かに仕返しをしたいとか、こうなってほしいと望んでも、自分の力ではどうにもできないことを神様や死者の霊にお願いして代わりに叶えてもらう行為です。その根底には、やはり人間の「欲望」が存在しています。

――現代を生きる私たちとも変わらない、人間の「欲望」ですね。

前野:まさにそうです。つまり「魔術」や「呪術」とは、人間の「欲望」の表現形式であると言えます。そうした観点から魔術パピルスを読み解いていくと、その背後にある当時の人々の暮らしや人間関係が、浮き彫りになって見えてくるのです。

 いわゆる記念碑のように、権力者が自身の偉業を大きな石に刻んで建てたような史料は各地で発見されています。しかし、それらを読んでも、当時の名もない民衆がどんなことに悩み、どんな欲望を持って生きていたのかまではわかりませんよね。そうした古代の人々の心の内面が、魔術パピルスから読み取れるのではないか。魔術パピルスを解読していくことで、人間の本質や古代社会のリアリティが見えてくるのではないか。そういった面白さを、一般の方々に向けて書いてみたいと思ったのです。

――今のお話とも重なりますが、本書の「序章」では、そもそも「古代ギリシア語魔術パピルス」とは何世紀ごろ、誰が誰に向けて、どのような目的で書いたものなのか、なぜそれがエジプトで発見されるのかといった多岐にわたる要素がきっちりと解説されていて、一気に引き込まれました。

前野:ありがとうございます。「序章」に関しては、かなり気合いを入れて書いたつもりです。

 その理由として、「魔術」に関する書籍はすでに世の中にたくさん存在し、興味深いものも数多く出ています。ですが私としては、「魔術研究」というのは「パピルス学」という学問の一ジャンルであるということを、まずはっきりと読者に伝えたかったのです。「魔術」はオカルト的な観点からも非常に興味深いテーマですが、それだけに留まらず、ひとつの学問分野として確立しているものなのだと。本書はそうした学術的な手続きを踏まえた上で、魔術パピルスを読解しようとした本であるという前提を提示したかったので、「序章」にはそうした背景をかなりきっちりと書き込みました。

恋愛・呪い・そして「知りたい」欲求

前野弘志氏(本人提供)

――それに続く本編では、「愛の秘術」に始まり「災難からの防衛術」「影の操術」など、12の魔術パピルスを具体的に読み解いていくわけですが、これらの文書はどのように選定されたのでしょうか?

前野:最初は「欲望」の種類によってジャンル分けを行いました。「魔術」が人間の「欲望」の表現であるとするなら、何を叶えてほしいのかによって、大きく5つほどのカテゴリーに分けることができます。

 やはり最も数が多いのは、恋愛に関するものですね。もっとも、恋愛と言ってもより直接的な行為を求めるものが大半なのですが(笑)。表裏一体である相手を呪うようなものも多く存在しますが、その次に多いのが「知ること」に関する魔術なんです。

――「知ること」ですか?

前野:過去や未来の出来事、あるいは他人の本心を知りたいという欲求です。恋愛に関する魔術は、人間が生物として持っている生存戦略や本能から来る「欲望」と言えますが、「知りたい」という欲望は、恐らく人間特有のものと言えます。人間は知ることに快楽を感じる、おそらく唯一の動物ではないでしょうか。それは現代でも同じですよね。別に今すぐ知らなくてもいいようなことを、わざわざ占ってみたりします。

 なぜそれを知りたいのかというと、知ることで「不安を解消したい」からなのです。いずれ結果は出ると分かっていても、どうなるか予測がつかないから前もって知りたい、早く知ることで心を落ち着かせたいという心理ですね。

 あるいは、もっと高尚な「知りたい」という「欲望」もあります。それこそ、神のみが持っている全知全能の知識に近づきたいという「欲望」を抱いた人々も存在しました。そうした探求者たちのことを、古代世界では「フィロソフォス」と呼んでいたのです。

――いわゆる「哲学者」のことですね。

前野:そうです。「フィロソフォス」とはギリシア語で「知を愛する者」という意味ですが、その「知」とはまさに神のみが有する全知全能の知識のことであり、そこに近づこうとした修行者が「フィロソフォス」でした。

 これを日本語に翻訳すると「哲学者」となってしまうのですが、それでは少しニュアンスがズレて伝わってしまう面があります。日本語で「哲学者」というと、「どう生きるべきか」といった道徳や倫理を考える人というイメージが強いですよね。しかしピタゴラスに代表されるように、古代ギリシアの哲学者たちの多くは神秘主義者であり、真義において神に近づこうとしていた人々だったのです。

――また、非常に面白いと思ったのが「魅惑の奇術」という章でした。

前野:ここで扱う「魔術」は英語で「マジック」ですが、日本語の「マジック」には「手品」や「奇術」という意味合いも含まれますよね。本書にも書いた通り、古代世界にも「手品」のような「魔術」が存在していたようです。暗闇の中で火を使った大掛かりなイリュージョン演出などが、実際に行われていたと考えられます。そうした演出によって人々を魅了し、自分たちの信仰へ引き込んでいく。あるいは民衆の側も、そうしたイリュージョン的な驚きを求めて入信していったような側面があったようです。

――いわゆる「科学」が確立する前の時代においては、科学的な役割の一部を「魔術」が担っていた側面もあるのでしょうか?

前野:そうですね。実際、動物や植物、鉱物が持つ科学的な効用について、古代の人々も経験則からある程度把握していました。そして実際の医師たちも、そうした成分を用いた薬の処方を行っていたのです。

 現代の「ファーマシー(薬局)」の語源となったギリシア語の「ファルマコン」には、「薬」という意味と「魔術」という意味の両方が含まれています。「薬」も、見方によっては魔術のような側面を持っていますよね。咳が止まらないときや熱が下がらないときに、それを飲めばケロッと治ってしまう。それはある種の魔術的な体験であり、明確な証拠こそ残っていませんが、恐らく麻薬に類するような物質も使われていたはずです。

生成AIは現代の「魔術」か?

――古代の人々が抱いたそうした「知りたい」という欲求や魔術的な思考は、現代の私たちにとっても決して遠い話ではないように思えます。本書の終盤でも触れられていた「生成AI」の話題などは、まさにその現代的なあらわれと言えるでしょうか?

前野:私が教えている学生たちも日常的に活用していますが、ChatGPTに代表される生成AIは、要するに「知りたいこと」を即座に教えてくれるツールですよね。これはある意味、「占い」や「魔術」の役割と非常によく似ています。古代人が「知りたい」という欲望を魔術に委ねたように、現代人は生成AIに依存している部分があるのではないでしょうか。

 ただ、そこで注意しなければならないのは、「魔術」というものが「権力」を生み出す足がかりにもなるという点です。

――どういうことでしょうか?

前野:もしその「魔術」に効果があったと感じられた場合、人はそれを処方してくれた人物や、その背景にある宗教そのものに従属するようになります。そこに一種の「権力関係」や支配構造が生まれるわけです。そうした意味で、魔術は古代の権力構造を分析するための重要な視座になります。

 本書で扱ったのは3世紀から5世紀頃のエジプトで書かれた魔術パピルスですが、その時代は「序章」でも触れたように、キリスト教が他の宗教を排逐し、徐々に支配力を強めていく移行期でした。4世紀後半になると、キリスト教会やローマ皇帝は「魔術」の行使を禁止し、さらには個人の「護符(アミュレット)」の所持までも禁じます。護符を持つということは、その護符に頼らなければ防げないような「魔術」や「呪術」が存在することを認めることになるからです。そうした民間の信仰対象をすべて没収・排除し、キリスト教が一元管理しようとしたのです。

――なるほど。

前野:そのようにして「魔術」や「魔術師」は、古代世界において排除・追放される対象となりました。なぜなら、それらがやがて既存の「権力」を脅かす存在になり得るからです。時の為政者よりも強い影響力を持ち得るものは、権力側によって排除されるのが歴史の常です。

 現在、生成AIの開発を一時ストップすべきだという議論が巻き起こっていますが、それも生成AIが現代の「魔術」として、人間のコントロールを超えた巨大な「権力」を持ち始めるリスクを警戒しているからだと考えられます。

 そう考えると、「魔術」の本質は形を変えながら現代の世界にも脈々と生き続けていると言えます。生成AIを上手に活用してユートピアを築けるのか、あるいは支配的なディストピアに行き着くのか、まさにこの1〜2年がその重大な分岐点になるのではないかと感じています。

古代の魔術が教える現代への示唆

――現代社会との地続きのつながりを感じさせるお話ですね。そうした点も含め、先生が本書を通じて読者に最も伝えたかったのはどのようなことでしょうか?

前野:まずは、「古代ギリシア語魔術パピルス」という非常に面白い研究対象が存在することを、皆さんに知っていただけたら嬉しいですね。

 実際、欧米の学界では「古代ギリシア語魔術パピルス」に関する論文が数多く発表されており、研究テーマとしても非常に人気があります。しかし、日本ではほとんど知られていません。これまでもごく簡単に紹介した本はありましたが、ここまで本格的に文書を解読・提示した書籍はなかったと自負しています。取り上げたのはわずか12の文書ですが、まずはこうした史料が存在することを知ってほしいと思います。

 さらに一歩進めて、文書の裏にある「人間の心」を探り、「人間とは何か」を考えるひとつのきっかけになればと考えています。人間とは古代から本質的に「騙されたがる」、あるいは「何かを信じたがる」生き物だったのではないか、という思いがあるのです。

――いつの時代も人は何かを信じたいと願う生き物なのかもしれませんね。

前野:そうですね。「嘘ではないか?」と疑いつつも、どこかでそれを信じてしまう。現代における「陰謀論」なども、全く同じ構造と言えます。人間は高度な精神活動を行っているからこそ、過度な不安を抱いたり、過剰な期待を寄せたりして、精神のバランスを崩してしまうことが多々あります。また、人間は社会的な動物であるため、一人では生きていけない一方で、多くの人と関わると今度は精神的に疲弊してしまう。そうした問題に対して、かつて人々がどのように折り合いをつけてきたのか。その解決策のひとつが、古代における「魔術」だったのです。本書を通じて、そうした人間のあり方にまで思いを巡らせていただければ嬉しいですね。

■書誌情報
『魔術の古代世界 「古代ギリシア語魔術パピルス」を読む』
著者:前野弘志
価格:1,320円
発売日:2026年8月10日
出版社:KADOKAWA
レーベル:角川新書

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