早見和真はなぜ失敗覚悟で“余命もの”を書いたのか? 『春までのセンセイ』に込めた心境を語る

小説家・早見和真の最新作『春までのセンセイ』(双葉社)が好調だ。9月16日の発売以降、重版が続々と決まるなど注目を集めている。
本作は私立女子中学校を舞台に、余命を宣告された担任教師と3年E組の生徒32人を描く物語だ。
早見は「泣ける話」を意識して執筆したというが、その理由とは? そして、中高時代を男子校で過ごした早見が、なぜ「女子中学生」の世界を描いたのか。作品に込めた思いを本人に訊いた。
泣けない人間があえて「泣ける話」を書いてみようと
──作品ごとにさまざまなテーマを書いてきた早見さんですが、新作『春までのセンセイ』は泣ける話にしようと思ったそうですね。

早見和真(以下、早見):僕は、これまでに小説を読んで泣いたことがないんです。現実世界でも小2から泣いた記憶がないし、母親が亡くなったときも涙がこぼれるところまでいかなかった。
僕は自分を泣けない人間だと思っているんですけど、小説の読者からはやたらと「読んで泣きました」と言われるんですよね。特に『アルプス席の母』(小学館)や『ザ・ロイヤルファミリー』(新潮社)はそういう声がすごく多くて。
もちろんありがたいことなんですけど、泣かせようと意識して書いた小説は本当にひとつもないんです。でもあまりにも言われるので、あるとき「これは自分の武器なのかもしれない」と開きなおることにしたんですよね。そんな自分が、あえて泣ける話を書いたらどうなるだろうと。
──では、ちょっと打算的な思いもある?
早見:それで大失敗する可能性もあるだろうと危惧しつつ、試行錯誤の中で自分に新しい文体やテーマが手に入るかもしれないという期待もありました。そこで、変に怖気づくことなく、一般的に泣ける話といえば「余命もの」だろうと。
──そうでしたか。ただ「余命もの」は恋愛を軸にした話が多いですよね。本作はなぜ、先生と生徒の話に?
早見:恋愛要素を入れたほうが売れるような気もしたんですけど、僕は若い男女の片方が命を落とす純愛小説みたいなものをほとんど読んだことがなく、さらに自分が書くイメージもなかなか持てなくて。
そこで出てきたのが「説教くさいと思われている担任の先生に余命が宣告されて、クラスにハレーションが起きる」という話でした。わりと早い段階でこの縦筋がパンと浮かび、これでいこうと思えました。
娘の中学入学式で見た「衝撃の光景」
──『春までのセンセイ』の舞台は、都内の私立女子中学校ですね。早見さんは中学・高校と私立男子校に進んだのに、なぜ女子中学生の物語を?
早見:ひとつは、この小説を書き始めた年に、僕の娘が私立の女子中に入ったというのがあります。
僕は小説家になってから、数年おきに住む場所を変えてきたんです。娘も僕の都合でずっと引っ越す人生だったので、小学校6年間は愛媛の公立に通っていました。でも、中学校は彼女自身の希望で東京の私学の女子校に進んだんです。その彼女の口から出てくる日常の話が、逆に中高の6年間を男子校で過ごしてきた僕にはいちいち面白くて。
──たとえば?
早見:昨日まで親友みたいに仲がよかった子と、今日はいきなり険悪になっていたり。あとは、すっかり年を取った僕にすればどうでもいいと思うことにきちんと傷ついていたり、泣いたり、すぐ「鬱だ」とか言ってみたり……。ちゃんと話を聞いてみても「よくわからないなぁ……」と思うことが多くて。
でも一方で、理解できることもあって。というのは、僕自身は神奈川県の桐蔭学園というところで野球をしていて、友だちも多く、一見リア充っぽく生きていたと思うんですけど、特に中学時代は毎日のように死にたいと思っていたんです。でも本当に死ぬ気なんてさらさらなくて、そのことにも自己嫌悪が募って、それも含めて常に「何なんだ俺は」「サイテーだ」とか思っていたんですよね。
だから、娘と僕はまったく違う環境で生きてはいるけれど、根っこの部分は共感できる気がしました。今せっかく一人娘の父親をやっているのだからという気持ちもあり、照れずに正面から女子中学生の世界を書いてみようと思いました。
思春期女子が「めちゃくちゃ頑張る」ときに宿る“何か”
──物語では、先生の余命を知った3年E組の生徒たちが、文化祭や合唱コンクールに取り組んでいきます。早見さんも娘さんの学校などで、中学生たちが頑張るシーンを見たのでしょうか。
早見:いや、この話は僕が実際に見た何かを書いたわけではありません。そもそも僕は娘の学校にあまり行ったことがないし、どんな学校行事をやっているかもよく知らない。
ただ、うちの娘はわりとマセていて、小4くらいから完全に思春期に突入したんですよ。周りの大人にも斜に構えて心を開かない、そのわりにすぐ泣いて落ち込むみたいな。
──思春期の真っただ中という感じ。
早見:そうです。その姿を見ていて、斜に構えたそういう人間が「ひたむきに頑張らざるを得ない瞬間」を小説で書けたら、何かが宿るかもという予感がありました。
たとえば、学校行事で「クラス対抗30人31脚」みたいなのがあるじゃないですか。そのためにみんなですごい頑張って練習して、でも結果が優勝でも大負けでもあまり意味がないというか……あとで振り返ると、どうでもいいことだったりするんですよ。
──たしかに、大人になると記憶に残っていない行事も多いです。
早見:でも僕は10代女子の父親で、かつ40代後半という年齢のせいか、年端もいかない女子たちがそういう一見意味のないことに頑張る瞬間に、グッとくるんですよね。
だから先生の「余命」という要素に「頑張る女子たちの姿」を組み合わせれば、自分が思う「泣ける話」になるかもしれないと思ったんです。
“補欠”とひとまとめに扱われ「30年経った今も恨んでいます」
──『春までのセンセイ』では、3年E組の32人全員がほぼ均等な分量で描かれています。あえて「主役級の生徒」をつくらなかったように見えますが、なぜこういう構成にしたのでしょう?
早見:最初は《生徒Aの話、先生の話、生徒Bの話、先生の話……》と、数人の生徒と先生が交互に出る形で書こうとしたんです。でも「いや、ちょっと待てよ」と。自分の野球部時代が蘇って。
僕が高校時代に所属していた野球部は、在学中に甲子園に2度行くような強豪でしたが、僕はずっと補欠の選手でした。
新聞記者を含めいろんな大人たちが群がっていた中で、いつも感じていたのは、レギュラー選手には「ピッチャーの〇〇くん」「キャプテンの△△くん」といったふうな固有名詞が与えられているということでした。一方の僕たちはひとまとめに「補欠」としか扱われなかった。そのことに対するムカつきが、17歳から30年以上経った今でもちゃんと残っていて。いまだに恨んでいるんですよね、僕。
その怒りがデビュー作の『ひゃくはち』を書く原動力にもなったはずだという気持ちも蘇り、クラスの数人だけピックアップして他の生徒をモブとして扱ったら、自分は物書きとして終わりだと思いました。
──自分が許せないと。
早見:あの大人たちと同じことをするのは耐えられなかった。だから「1人も脇役にしない」と決めました。それで、まず名簿をつくることから始めました。
──名簿?
早見:3年E組のクラス名簿です。登場人物に名前をつけるときは、どうしてもクセが出るんですよ。今回は生徒が32人もいて、みんなの名字が「ア行」や「タ行」ばかりだとおかしいでしょう? だから、ア行からワ行まで散らばるよう、最初に全員の名字を決めました。
──名付けから始めたんですね。物語には生徒1人ずつ、育った環境や家族の事情などまで細かく書かれています。
早見:ゲラを読み直しながら「俺、なんでこんな大変なことをやったんだろう」と思いました。1作で32人を書き分ける作業はやっぱりただごとじゃなくて、1人の設定を少し変えると他の子にも影響を及ぼすんです。だから修正作業もすごく細やかに見る必要がありました。
ただ、書くときはわりと没頭していた気がします。物語としては「先生の余命宣告」とか「合唱コンクール」などの縦軸があるけど、話の添え物として生徒を書くのは絶対にダメだと思っていて。だから大筋はいったん取っ払い、32人の名簿を見ながら「名前しかないこの子は、どういう15年間を歩んできたのか」と想像して書いていきました。
たかが中2で「自分を見限った」怒りと後悔
──先ほど高校野球部時代の話が出ましたが、その頃の経験も本作に反映されているのでしょうか。
早見:そのことは「11月」の章、担任の加賀美先生が自分の中学時代を告白するシーンに込めています。
少し自分の話をすると、僕は中2の頃に、二つ上の高橋由伸という先輩と出会っているんです。その瞬間に野球の道を諦めてしまった当時の自分に対して、悔いと怒りがあるんですよね。由伸さんとの出会いは確かに、僕の根幹を揺るがす大事件でした。でもその後、たかが中2で「俺はこんなもんだ」と自分の野球を見限った、という後悔をずっと引きずったんです。
その悔いが僕を小説家にした原動力だとも思っています。それでも野球への未練と恨みは消えず、小説を書き続ける中で「今を頑張ることで、過去の意味が変えられる」と思うようになりました。ひたすら目の前の作品と向き合うことで、ただ野球を諦めただけの過去ではなくしていったというか。
──作中で加賀美先生は「当時の自分を今も恨んでいる」「あのときの経験を伝えるために、この仕事に就くことを目指したのかもしれない」と言っていました。
早見:たしかに。僕と加賀美先生の共通点に「あのとき諦めてしまった」という悔いがあるのかもしれません。でも「今」の自分が何かを頑張ることで、その後悔の意味をやっぱり変えられると思うんです。この物語で、僕は加賀美先生に伝えたいことを託していますが、中でもここは大きいところかなと思います。
──今の自分次第で、未来だけじゃなく過去が変えられると。
早見:うん。ただ、未来にも期待してほしいんですよ。これは僕が娘にいつも思っていることで、でも彼女に直接言えないんだけど、若い人間って「自分はこんなもんだ」とすぐに悟りすぎなんですよ。……僕自身も本当に、本当に何をやってもダメで。野球はダメ、成績も悪い、就職が決まっていたのに大学はダブるし、結局中退だし。自分の人生を明るく切り拓けるとは、全く思えていませんでした。
その僕だから伝えられる言葉として、あえて言いますけど「たかがおまえらぐらいの年齢で、人生を勝手に決めつけてんじゃねーよ」と。一度「自分はこんなもんだ」という枠を取っ払ってほしいという願いがあります。あなたはそんなもんじゃない。頑張ればなんとかなる公平性を、この国はまだギリギリ保っている。頑張れば報われる場面が必ずある。だって、僕がなんとかなったので。ちょっとだけやる気になってほしいんですよね。届いてほしいなぁ。
──作中の「今日1日だけ、がんばってください」という加賀美先生の言葉が響く読者も多いと思います。そんな思いを込めた『春までのセンセイ』を書き上げて、早見さんは泣きましたか?
早見:いや、やっぱり泣かなかったですね(笑)。ただ、この本がたとえ批判にさらされたとしても、今回はあまりひるまない気がします。誰が何と言おうと、今回は「書けた」と思えているので。今まで何十冊も本を出させてもらっていますけど、こういう気持ちは初めてなんです。
最新作はいつも「これが現時点での代表作」と言っているんですけど、今回は本当にそう思っていますし、多くの人に届いてほしい。『春までのセンセイ』は、素直にそう思える勝負ができた小説です。

■書誌情報
『春までのセンセイ』
著者:早見和真
価格:1,980円(税込み)
発売日:2026年9月16日
出版社:双葉社
特設サイト:https://fr.futabasha.co.jp/special/harumadeno_sensei/























