延命は幸せか? 久坂部羊が語る『欲張らない死に方』と医療の限界「長生きは操られた欲望」

 医療の目覚ましい進歩の一方で、膨らみすぎた医療への期待が現実とのギャップを生み、人々の悲しみや苦しみ、怒りといった負の感情を呼び起こしている。「長生きは良いことだ」という価値観に縛られ、少しでも長く生きたいという欲望に振り回される現代人に対し、医師であり作家の久坂部羊は警鐘を鳴らす。

 久坂部が今年9月に上梓した『欲張らない死に方——賢く老いるヒント』(ちくま新書)は、そうした過剰な期待や欲望を手放し、賢く老いていくためのヒントをまとめた一冊だ。どのようにして人生の最期と向き合えばよいのか。「納得のいく最期」を迎えるための思考法や、答えの出ない事態を受け入れる「ネガティブ・ケイパビリティ」の重要性について、久坂部に詳しく話を聞いた。

「長生きは良いことだ」という幻想

久坂部羊『欲張らない死に方——賢く老いるヒント』(ちくま新書)

――本書では「欲望」が大きなテーマとなっていますが、先生にとって「欲望」とは一言で言えば何でしょうか。

久坂部羊(以下、久坂部):欲望というのは「喜び」と「苦しみ」の両方の元になるものだと考えています。欲望が叶えば嬉しいですし、逆に欲望が叶わなければ苦しいわけですね。ただ、欲望といっても、誰もが共通して持っているような欲望もあれば、もっと個人的な欲望もある。そう考えると、欲望にも色々なレベルや段階があって、一言で語るのはなかなか難しいなと思います。

 また、欲望を「善か悪か」で割り切るのも一筋縄ではいかないところです。欲望がなければ楽かもしれませんが、社会の進歩や発展も生まれません。一方で欲望が強すぎると、目の前のニンジンを追い続ける馬のように、どこまで行っても満足が得られず、結果としてそれが苦しみの根源になってしまうわけです。

 つまり、受け入れられる欲望もあれば、過剰な欲望もあることから、まるで正体のつかめない「鵺(ぬえ)」のような怪物と言えます。動物の欲望はテリトリーを守りたい、子孫を残したいといったシンプルで分かりやすいものが多いですが、人間の場合はすごく複雑化されているため、欲望の本質を一言で捉えられないと思っています。

――「元気に長生きしたい」「苦しまずに死にたい」という願いが、行き過ぎると“欲張り”になってしまうのは、どういう理屈なのでしょうか。

久坂部:長生きしたいというのは、「長生きが良い」という前提に立っているわけで、ある意味で“操られた欲望”なんですよ。もちろん、長生きには良い面もあって、人生を長く楽しめるし、孫の成長を見られるかもしれない。しかし実際には、長生きは「老いていく」ということでもあるわけですね。

 高齢者医療の現場を見てきた立場から言えば、寝たきりや排泄の介助、誤嚥、呼吸の苦しさなどが毎日続き、なかには拷問を受けているような状況が続くケースもある。そうした現実が正確に伝わっていれば、「何が何でも長生きしたい」という欲望はもう少し弱まるはずです。

 それでも長生きを望む人が多いのは、現実が十分に知られていないからでしょう。私たちは知らないうちに「長生きは良いことだ」という価値観に動かされています。その方が世間にも受け入れられやすいからです。だからこそ著書では、嫌がられる内容であっても、長生きの現実を包み隠さず書こうと考えました。

 心地よい話だけでなく、目を背けたくなる現実まで伝えることが、自分の欲望を客観的に捉え直すために必要だと感じています。

膨らみすぎた期待が生む「医療のギャップ」

――医療への「期待」と「現実」の間には大きなギャップがあるということですね。こうした実態について、どうすれば良い方向に進むとお考えですか。

久坂部:医療は大きく進歩しているのに、患者の満足度はむしろ下がっているように感じます。なぜかというと、医療への期待値が上がりすぎているからです。「これだけ進歩したのだから治らない病気はないはず」という思いが強くなり、実際には治せない病気や元に戻せない障害が残ることに、強い悔しさや悲しみを覚えてしまうのです。

 治せる病気が増えているのに評価が下がるのは、医療者にとっても辛い現実です。だからこそ、医療の限界や厳しい現実についても、きちんと伝える必要があると思っています。

 一方で、医療者の側にも責任はあると思います。医療の進歩については、自分たちの成果を広めたいがために良い話を発信し、メディアも再生医療や免疫療法など前向きな話題ばかりを取り上げる。その結果、世間の期待が過剰に膨らみ、現実とのギャップが失望や怒りを生んでいるのです。

 私たちに求められているのは、「今の医療がどこまでできて、どこから先はまだできないのか」という“現在地”を正しく知ることです。人間はいつか必ず死ぬし、誰もが長生きできるとは限らない。若くして亡くなることだってある。そういう現実をきちんと受け入れるところから、医療との向き合い方が始まると考えています。

答えを求めない「どっちゃでもええ」の境地とネガティブ・ケイパビリティの本質

久坂部羊氏

――答えの出ない事態や、不確実な状況に耐え続ける「ネガティブ・ケイパビリティ」は、現代においてなぜ重要になるのでしょうか。

久坂部:現代はさまざまな技術が進歩したために、「分からないこと」が減っているんです。一例を挙げると、昔の天気予報はどうなるか分からなかったのが当たり前だったのに、今では雲の映像や衛星画像から正確に予測されるのが当然になっています。つまり、昔の人々は天気が分からない状況に耐えていたのに、現代人は天気予報が外れたりすることに耐えられなくなっているわけです。

 これは医療の世界でも全く同じで、技術革新によって分からないことが減ったために、「分からないことに耐える能力(ネガティブ・ケイパビリティ)」が低くなってしまいました。例えばコロナの場合でも、「ワクチンが効くのか、どういう治療が有効なのか」は長期予後を見ないと分からないのに、多くの人が今すぐ答えを知りたいという状況になりましたよね。

 「分からないことは分からないんだ」という現実を受け止める“落ち着き”が必要なのに、それに耐えられない人が増えていると感じています。そう考えると、「答えの出ない状況」をそのまま受け止めるネガティブ・ケイパビリティを備えることが重要だと言えるでしょう。不確実な現実を受け入れる冷静さがあれば、医療もやりやすくなるし、患者側も余計な嘆きや苦しみ、悲しみを背負い込まずに済むと思うんです。

――逆に、答えが分からないからこそ、自分で探求する方向に向かえばいいのでしょうか。

久坂部:それはちょっと違うんです。むしろ、「分からない状態のままでいい」と受け入れて、無理に何かをしようとしないことが大事なんですよ。「探す」というのは答えを求めている動きなので、ネガティブ・ケイパビリティがまだ弱い状態とも言えるわけです。

 ネガティブ・ケイパビリティが強くなってくると、著書にも書いた「どっちゃでもええ」という心境に至ります。これは答えが出ない状態に耐えて、「まあ、どっちでもええやないか」と思えること。言い換えれば、「なるようにしかならない」という“ケセラセラ”のような境地ですよね。

 先述したように、現代は技術が進歩しすぎたゆえに、「何かを調べれば答えが出てくる」のが当たり前になってしまった。特にAIの進化によって、誰もが即座に答えを得られるようになった反面、「答えの出ない状態に耐える力」を低下させているわけで、まさにAIがもたらした大きな弊害の一つと言えるでしょう。

 もちろん、何も分からない状態に耐えるというのは大変なことだと思いますが、その「耐える力」こそがネガティブ・ケイパビリティです。

――どうしても耐えることが続かなくなってしまった場合、ネットの情報やAIに頼らずに乗り越えるおすすめの手段や行動はありますか。

久坂部:おすすめは、昔の人が書いた本を読むことです。鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書である『歎異抄(たんにしょう)』が今なお評価されているように、昔は技術が発達しておらず、過酷な現実の中で生きていくのが大変な時代でした。

 医療も進んでおらず、食の選択肢も限られている中で、懸命に生きた人たちが書き残した『徒然草』や『方丈記』といった古典の中には、今でも活かせる知恵がたくさん詰まっています。わたしの父も仏教や道教(タオイズム)の本をたくさん読んでいて、そこから得た知恵で現実の苦しみを乗り越えていたんです。

デス・リテラシーを高め、医療の「現実」を受け止める

――「納得のいく最期」を迎える上で、見送る側の家族にも求められる「デス・リテラシー」とはどのようなものでしょうか。

久坂部:死を迎えるにあたって望ましい方法や道を選べる力が「デス・リテラシー」です。「上手な死に方」をするには良い面だけでなく、医療によって悲惨な結果になった事例や、思いがけない苦しみを味わったケースも知る必要があります。病気や死、老いは誰にとっても不安で辛いものなので、「何かにすがりたい」と思ってしまう人が多いのですが、実はそれこそが不幸や失敗を招く根本的な原因になっているのです。

 望ましい最期のためには、医療の正しい情報を知り、公平な立場で考えることが大切です。多くの人は「死にたくない」「長生きしたい」という前提で情報を探し始めますが、その時点でバイアスがかかっているため、どれだけ集めてもデス・リテラシーは高まりません。本当に必要なのは、嫌な話や厳しい現実にも背を向けず向き合うことです。偏りのない視点を持つことでデス・リテラシーが向上し、望まない苦しい最期を迎える人を減らせるのだと思います。

 同じ死に方をしても、「もっと何かできたんじゃないか」と悔やむ人や、「医療が進んでいるのに医療ミスで死ぬのか」とないものねだりをする人は、デス・リテラシーが育っていない状態です。医療に完璧はなく、名医でも合併症や死亡のリスクはあります。デス・リテラシーが身についていれば、「これで良かった」と現実を受け入れられるようになるでしょう。

――著書の中で「昔は自宅で看取ることが多かった」と触れていますが、現代においても選択肢として成り立つのでしょうか。

久坂部:自宅で亡くなる方は、ほぼ100%望ましい死を迎えられます。なぜなら、医療は死に対して“無力”だからです。医療は病気を治せても死は止められず、逆に死を止めようとする行為は患者を苦しめることがほとんどです。そっと自然に死なせてあげるのが本人にとって最も楽なのに、人工呼吸器や心臓マッサージ、チューブ栄養、電気ショックなどが行われます。こうした蘇生措置の多くは“パフォーマンス”に過ぎず、患者にとって無力どころか有害でもあります。しかし、それを伝えると「命を粗末にしている」と批判されるため、医師はなかなか言い出せません。

 だからこそ、私は「医療に過度な期待をしないでほしい」と伝え続けています。昔は医療が未発達だったため、穏やかに死を迎えることが自然にできていました。医療の進歩で寿命が延びたのは良い面ですが、死を迎える瞬間において医療はむしろ有害で、何もしないことが死にゆく人にとって最も好ましい状態なのです。

 「死人に口なし」の言葉通り、病院で苦しみながら亡くなった人は「あんな治療はやめてほしかった」と語れず、同じ悲劇が繰り返されます。そこに「医療で死を食い止められる」という過度な期待が幻想を生み、苦しい死を大量に生む原因になっています。この不条理な現状を正したいのが、私の思いです。

広い視野を持ち、長期的な視点で見ることが幸福度を高める

――「どっちゃでもええ」という柔軟な姿勢や、“足るを知る”という考え方を実践する上で重要なことは何ですか?

久坂部:「視野を広く見る」と「長い目で見る」の2つが重要なポイントです。視野が狭く近視眼的にものを見ていると、目の前の欲望が叶わないだけで悲しみや悩み、嘆きが生まれます。しかし、「他にも選択肢はあるじゃないか」というように、日頃から視野を広くして長い目で見る訓練をしておけば、目の前の不運や不幸にとらわれなくなります。

 結局のところ、すべては考え方次第なのだと思います。「足るを知る」という感覚を持てるかどうかは、自分自身の心のあり方にかかっていると言えます。生き方が上手な人は、今すでに持っている幸せや満ち足りている事実にきちんと目を向けられますが、今ある幸せに気づけない人ほど、自ら苦しみを深めてしまう。

 例えば、ウクライナやガザのように、毎日の生存が脅かされている地域があれば、日本でも突然の災害によって平穏な暮らしや大切な財産を奪われた方々がいます。普通の、何も特別なことがない日常がどれほどありがたいかに気づければ、それが「足るを知る」という心境につながっていくのです。

――お父様から受け継がれた「死生観」について教えてください。

久坂部:父は不平不満がとても少なく、本当に上手く人生を歩んだ人でした。大金持ちになったり地位を得たりしたわけではありませんが、日々の生活に対する満足感が非常に高かったのを覚えています。だから母と喧嘩することもほとんどありませんでしたし、食事が口に合わない時でさえ、「こうして食べられるだけでありがたいことだよね」と捉え直すことができる人でした。

 父は物事に対して、無理をせずとも自然と「良いところ」に光を当てられる賢さを持っていたんですね。もちろん、父にだって欲望はありましたが、それが叶わなかったとしても「諦めたらそれで終わりや」というように、自分の欲望を手放すことも上手な人でした。

 こうした“足るを知る”という考え方から、「欲張らずに最期を迎える」という死生観を学んだように感じています。

耳当たりの良い情報や欲望に振り回されない心構えを持つこと

――「欲張らない死に方」を得るために、日頃からどのような心構えをしておくべきでしょうか。

久坂部:耳当たりの良い情報に振り回されないことです。「医学が進歩している」とよく言われますが、その裏には報道されない問題点がたくさんあります。物事を一面的に受け取らず、うまい話に騙されないようにすることが重要です。少しでも長生きしたい、という欲望に振り回されるのではなく、今あることのありがたさを認識して、今を十分に生きること。そして、一定の「諦め」を持つことが肝心です。

 「諦め」という言葉に抵抗を感じる人も多いかもしれませんが、仏教的には物事の本質をしっかりと見極めて「明らかにする」という意味から来ている言葉なんですね。こうした考えを持つことができれば、死が近づいてきても「自分はやれるだけのことをやった」という満足感や納得感が得られるはずです。

――本書を通して一番伝えたいメッセージをお願いいたします。

久坂部:これまで話してきたことをまとめると、「欲の深い人は、苦しんで死にますよ」ということなんです。その欲望をうまく抑え込む方法が「知恵」なんですね。古典をはじめとする質の良い知識や、先人たちが積み重ねてきた生き方の知恵を身につけておけば、欲望に振り回されずに済むでしょう。

 目先の利益に惑わされる生き方は、どうしても苦しくなります。だからこそ、少し地に足をつけて古典や歴史から生きる知恵を学び、自身の精神を磨いていく姿勢が大切なのではないでしょうか。

■書誌情報
『欲張らない死に方 賢く老いるヒント』
著者:久坂部羊
価格:1,012円
発売日:2026年9月10日
出版社:筑摩書房
レーベル:ちくま新書

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