『鬼滅の刃』なぜ猗窩座のファンが増えたのか? “同情できる鬼”に共通する特徴とは

※本稿は『鬼滅の刃』無限城編のネタバレを含みます。

 7月18日の公開以来、日本映画史に残るほどの大ヒットを記録している『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』。同作では上弦の参・猗窩座の壮絶な過去が明かされたことで、多くの観客が心を打たれているようだ。

 そこで本稿では、これまで作中で描かれてきた鬼たちの過去について検討。“同情される鬼と同情されない鬼”の境界線を探っていきたい。

 まずは猗窩座の過去を簡単におさらいしておくと、人間だった頃の本名は「狛治」(はくじ)で、病床の父を救うため、幼少期から盗みを繰り返していた。しかしその父は息子が自分のために罪を犯すことに耐えられず、自ら命を落としてしまう。

 自暴自棄になりかける狛治だったが、そこで武術道場の主・慶蔵と出会うことに。病弱な娘・恋雪の看病を頼まれた狛治は、しばし平穏な日々を過ごした後、夫婦になる約束を交わす。だが、ある日慶蔵と恋雪に唐突な悲劇が降りかかり、幸せの絶頂から絶望の底まで叩き落とされるのだった。

 猗窩座は何よりも「強くなること」を追求するストイックな鬼だが、その背景には人間だった頃、大切なものを何一つ守れなかったという強い後悔が存在した。すなわち性根から邪悪だったわけではなく、鬼になって記憶を失った結果として、生き方が歪んでしまったのだと捉えられるだろう。

 多くのファンを同情させた鬼は、猗窩座だけではない。たとえば「遊郭編」で炭治郎たちの前に立ちふさがった上弦の陸・妓夫太郎と堕姫の兄妹は、あまりにも壮絶な境遇をもっていた。

 2人が生まれたのは遊郭の最底辺で、堕姫の本名「梅」は、亡くなった母親の病名から付けられた名前だった。極度の貧困のなかで育ち、とくに妓夫太郎は醜い容姿ゆえ、周囲から「怪物」のように忌み嫌われていた。

 その一方で梅は美しい容姿から花魁となるが、あるとき客だった侍の目を簪で突き、生きたまま焼かれるという報復を受けてしまう。そして妓夫太郎は理不尽に妹を“取り立てられた”ことに怒り狂い、侍を始末した後、童磨に鬼にされるのだった。

 幸せそうな他人から奪い、取り立てる……。それはまさに、ひたすら奪われるだけだった人生への復讐行為だった。妓夫太郎の胸にあったのは、自分たちを助けてくれる人間はだれもいないという絶望だ。

 また「那田蜘蛛山編」に登場した下弦の伍・累も、悲しい過去の持ち主だ。人間だった頃は病弱で、両親がつねにかかりきりだったが、無惨に出会い鬼にされることに。それによって活力を取り戻すも、人の血肉を必要とする身体になってしまう。

 そこで両親は罪を共に背負う覚悟で累との心中を試みるも、その想いは伝わらず、悲劇的な最期を迎える。そして累は両親が自分に愛情を抱いていたことに気づかず、孤独に支配されるのだった。そんな過去を踏まえると、鬼となった累が“偽りの家族”を作り続けていたことが何とも切ない光景に見えてくるだろう。

 こうして見てみると、“同情される鬼”はいずれも周囲の環境や他者からの暴力によって、否応なく不幸になったという特徴があるように思われる。本人たちの意志によって悪事に走り、その報いを受けたわけではないため、読者たちは「これ以外の生き方はできなかったのかもしれない」と同情するのではないだろうか。

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