1980年代ラブコメ勃興期、男子を熱狂させた漫画家・三浦みつる「ピチピチ学園コメディーなんて言われてた」
■1980年代、「マガジン」のラブコメ漫画事情
三浦みつるの『The・かぼちゃワイン』は、1981年に「週刊少年マガジン」で連載開始、1983年にはテレビアニメ化されたヒット作だ。意地っ張りで低身長の青葉春助と、“エル”の愛称で呼ばれる大柄なヒロインの朝丘夏美の“SLコンビ”が繰り広げるラブコメディで、エルの「春助く〜ん、だ〜い好き!」というセリフは当時の男子たちをメロメロにした。
さて「マガジン」ほど、時代によってイメージが大きく変わる雑誌は珍しいかもしれない。現在の「マガジン」はラブコメ漫画が多数掲載される誌面になっているが、三浦が連載を始めた頃は、劇画タッチの硬派な漫画雑誌からソフト路線へと移行する転換期だった。
そんななかで、『The・かぼちゃワイン』の連載を開始した心境はどのようなものだったのか。最近ではアナログイラストの魅力を伝える「マンガ☆ハンズ」の活動でも注目され、8月23日にはキャリア初の画集『LOVELY GIRLS〜MIURA MITSURU ILLUSTRATIONS』の刊行も控えている三浦に、当時のラブコメ漫画事情について話を聞いた。
■編集部は3匹目のどじょう狙い?
――「週刊少年マガジン」といえば、1960~70年代には梶原一騎さん原作の劇画で、劇画ブームを牽引した硬派な漫画雑誌というイメージです。1981年に『The・かぼちゃワイン』の連載が始まった頃は、「マガジン」にラブコメ漫画はあったのでしょうか。
三浦:ありましたよ。柳沢きみおさんの『翔んだカップル』の連載が1978年に始まり、「マガジン」のラブコメ漫画の火付け役になったんです。そのあと、1980年に村生ミオさんが『胸さわぎの放課後』を連載。その直後に『The・かぼちゃワイン』の連載が始まったんです。「マガジン」では3匹目のどじょうを狙っていたのかもしれませんね(笑)。
――『The・かぼちゃワイン』の前に、連載経験はあるのですか。
三浦:「マガジン」では『あいつはラプラス』『きまぐれザンボ』と、連載が2本立て続けに失敗しているんです。その間に、手塚プロの先輩だった大和田夏希さんの漫画が絶好調で、人気でした。同じ富士見台に住んでいたので、「三浦くんの漫画は面白くないよ」と会うたびごとに言われ、かなり凹んでいましたよ。
――三浦先生は女の子を描くのはお好きだったのでしょうか。
三浦:もちろん女の子を描くのは嫌いじゃありませんでした。ただ、本当はSFが描きたかったんです。ところが、当時、SFと時代劇は少年誌では人気が取れなかったんです。その頃、6人くらいの漫画家が読み切り形式で漫画を描いて、読者投票で人気順位を競う企画がありましてね。僕は『武蔵とエル』『恋のシャッターチャンス』を描いて、ともに1位を取らせてもらったんです。それらを編集部が評価したのでしょう。この路線で連載しないかと提案してきたんです
■ラブコメではなく“ピチピチ学園コメディー”
――『The・かぼちゃワイン』は読切の『武蔵とエル』が原型になっているそうですね。
三浦:その前に、増刊号で『彼女(あいつ)はコロッケまんじゅう』という恋愛ものの読切を巻頭カラーで描きました。その作品がアンケートで1位をとったので、これを土台に連載を……という流れで進んだわけです。といっても、先達と同じものをやってもしょうがない。いかに違うテイストで連載しようかと考えました。
――何度も試行錯誤を繰り返した結果、1980年代のラブコメ漫画の傑作『The・かぼちゃワイン』が生まれたわけですね。
三浦:僕自身はラブコメを描いている意識はなかったんです。当時はまだそういうジャンル分けがなかったんじゃないかな。キャッチコピーには、“ピチピチ学園コメディー”なんて言葉が使われていますからね。1990年代に入って、赤松健さんのようなアキバ系のアニメっぽい絵が出てきて、ラブコメというジャンル分けができたんじゃないかと思います。
――“ピチピチ学園コメディー”とは、なかなか刺激的なコピーですね(笑)。
三浦:ちょうど1970年代後半~80年代前半はアイドルブームでした。流行を受けて、アイドルと学園マンガを混ぜた、ちょっとエッチな感じの漫画が受けました。ちなみに、僕は中学生の頃に永井豪さんの『ハレンチ学園』の洗礼をしっかり受けてますから(笑)。あれは衝撃的でしたね。スカートめくりのチラリズムにはかなり影響されたと思います。
――春助くんは不良と戦いますし、応援団にも入るなど、王道の学園漫画らしい描写も入っています。こうした描写は最近のラブコメ漫画にはない要素ですね。
三浦:学園ものとしてとらえると、テレビドラマ化された津雲むつみさんの『おれは男だ!』のイメージが入っていて、敵役と正義の味方が繰り広げる王道の物語構造だと思っています。ちなみに、青葉春助の“青葉”は『俺は男だ!』の舞台である青葉学園からとっていて、春助が応援団に入るのはどおくまんさんの『嗚呼!!花の応援団』あたりがヒントかな。
■エルのルーツは手塚治虫のあのキャラ!?
――ヒロインのエルこと朝丘夏美は、宮崎美子さんがモデルとうかがっています。大柄なヒロインは当時の少年漫画では珍しかったですよね。
三浦:エルのキャラクター・イメージを考える時に、宮崎さんが出演していたあのカメラ CM 映像を思い浮かべたんです。当時は河合奈保子さんや堀江しのぶさんのような、ぽっちゃりしたアイドルが人気でした。ヌードグラビアの麻田奈美さんなんかも、童顔でグラマラスな感じがエルのイメージと被るかなぁ。もっとも高校時代、僕が一番好きだったのはキャンディーズのランちゃんでした。ぜんぜんぽっちゃりじゃないけど……(笑)。
――三浦先生、かなりのアイドルファンですね(笑)。様々なアイドルやモデルのイメージがエルに投影されているということでしょうか。
三浦:いつの時代も男の子はみんなアイドルが大好きでしょ。男子が抱く恋愛感情には、無意識に母性を求めているところがあるんじゃないかというのが、僕の持論です。エルは小さい春助が母親のように甘えられる恋愛対象で、菩薩様の掌でいいように転がされる感じを描こうと思ったんです。
――設定を考えるうえで、既存の漫画のキャラはモデルにしていないのでしょうか。
三浦:ずいぶん後になって他人に指摘されたんだけれど、春助とエルは、『三つ目がとおる』の和登さんと写楽くんなんじゃないですかって。和登さんは大好きなキャラだったので、無意識にそういう感覚で描いていた可能性はありますね。
――『三つ目』は「マガジン」で連載されていた手塚治虫先生の漫画ですね。そして、三浦先生は、手塚先生のもとでアシスタントをしていましたよね。
三浦:『ブラック・ジャック』と『三つ目』が制作されていた時代にアシスタントをしていました。僕はどちらかというと『ブラック・ジャック』よりも、『三つ目』のほうが好きだったんですよ(笑)。お風呂で和登さんが写楽くんの背中を洗ってあげるシーンもあって、これはいいなと思って、脳裏に焼き付いていたのかもしれない。僕が写楽くんの立場だったら、こんな人がそばにいてくれたらいいなぁ、ってね(笑)。和登さんって、恋人であり、アシスタントであり、本質は母親だと思う。そして、恋愛対象に母性を求めるのは、男の子の本来持っている願望だと思いますよ。
■硬派な男子もアイドルに関心あり?
――三浦先生は、ご自身の漫画が受け入れられた理由をどう考えていますか。
三浦:1970年代は男主人公の汗臭い漫画が多かったですよね。ラブストーリーも『愛と誠』のような、シリアスな生き様や青春の悩みを描いていました。その反動で、軽くてエッチな漫画がきたのかなと思います。80年代の「月刊少年マガジン」なんか、『Oh!透明人間』や『いけない!ルナ先生』など、きわどいエッチな漫画で部数が一桁増えたと聞きましたから。
――当時の男子は硬派なイメージにも憧れつつも、実はかわいい女の子との恋愛にも関心があったと。
三浦:硬派な男子だって、家に遊びに行くと、部屋にアイドルのポスターが貼ってあったりして……(笑)。アイドルに憧れて読んでいる層が一定数いたんでしょうね。
――「マガジン」の主流である劇画は、ライバルだったのではありませんか。
三浦:あんまりライバル意識はなかったですね。自分が描けるものが描ければいいと思っていたので、雑誌の中で1位をとりたいとか、順位を意識したこともあまりありません。当時はちばてつや先生がダントツの1位でした。ちば先生が休載するとその号だけ10万部以上部数が落ちたそうですから、その影響力は絶大でした。それでも、アニメが始まったときは『The・かぼちゃワイン』もベスト3くらいまでいって、やっぱり嬉しかったですよ。