『やぶさかではございません』『ぼくらはみんな*んでいる』……漫画ライター・ちゃんめい厳選! 9月のおすすめ新刊漫画
今月発売された新刊の中から、おすすめの作品を紹介する本企画。漫画ライター・ちゃんめいが厳選した、いま読んでおくべき5作品とは?
『やぶさかではございません』Marita先生
やぶさかではございません。実はこの言葉を「仕方なく~する」という意味だと誤認している人が多いそうだが、実際のところは「喜んで~する」というポジティブな意味を持つものだ。この言葉通り、非常に前向きな恋愛ドラマが始まりそうなのに、とある理由から一筋縄ではいかない。そんな焦れったくも、このスムーズにいかない感じが読者を思わずニヤつかせる恋愛マンガ.......それが『やぶさかではございません』だ。
主人公は、初恋のトラウマのせいで男性不信になってしまったアラサーの不思議(ふしぎ)さん。30歳を迎えて心機一転、新天地へと引越しをした彼女はとあるカフェでバイトをすることに。そこで出会ったのが、年下のイケメン男子・上下(かみしも)くんだった。ビジュアルもさることながら、距離感も、言動も、良い意味で全てが限界突破している上下くん。そんな彼は、なぜか不思議さんに興味を持ち、シフトが一緒になるたびに何かと接触をはかってくる。
ある日突然現れたスーパーイケメン、そして立ち並ぶフラグ。恋愛マンガではよくある展開かもしれないが、上下くんが不思議さんに興味を持つのも、2人が次第に惹かれあっていくのも、全て運命だったように感じる.......そんな各々のキャラクターの緻密な感情の積み上げが本作の魅力だ。そして、冒頭でも話した通り、たとえ互いが惹かれあっていたとして一筋縄ではいかない……決して甘いだけじゃない、ほろ苦い恋愛ドラマがそこにはある。
あぁ、焦ったい~~~! と心の中で叫びつつも、不思議さんと上下くんのやり取りにニヤニヤが止まらない『やぶさかではございません』。1、2巻が同時発売されたばかりだが、これからもこうして焦らされながら、じっくりゆっくり2人の恋の行方を追っかけるのは.......やぶさかではございません!
『ぼくらはみんな*んでいる』金田一蓮十郎先生
物語の舞台は、人間が死後にゾンビ化して蘇るという未知のウイルスが蔓延した現代社会。となると、生き残りをかけてゾンビ化した元人間と戦うのか、ウイルスの謎を解明すべく荒廃した世界を駆け巡るのか.......。ゾンビ化、ウイルス、この2つのキーワードを聞くとなんとなくそんな想像が膨らむ。だが、それを良い意味で軽々と裏切ってくるのが金田一蓮十郎先生の最新作『ぼくらはみんな*んでいる』だ。
まず、驚くべきというか、拍子抜けなのがゾンビ化した者には“理性”が備わっているという設定。理性があるから、ソンビ化した人間は人を襲うどころか、死亡届を自分で提出したり、社会人ならば普通に出社するし、学生なら通学する、恋愛だってできる。つまり、人間が死後にゾンビ化する......この異常自体がもはや“異常”になっていないというか、「まぁ、そんなこともあるよね」くらいのフランクさで受け入れられている世界なのだ。
本作では、ブラック企業で過労死した男性社員、通り魔に殺された女子高生、妻に毒殺された浮気夫.......様々な理由で命を落とすもゾンビ化して復活を遂げた人間たちが登場する。各々の視点で物語が展開していくが、福祉や法制度、または腐敗の進行を止める医療技術も備わっているため、男性社員は相変わらず会社で働き、一方の女子高生は「ゾンビ化してみてどう? 」なんて、まるでちょっと風邪にでもかかったかのようなフランクさで友達と語らう。そこには悲壮感や絶望感は一切なく、従来の“ゾンビモノ”の概念を覆すかのような、淡々とした日常の物語が広がっている。
型破りな設定のなかに、日常コメディ、恋愛といった陽気さを感じる要素が入ってくるのは代表作『ラララ』『ゆうべはお楽しみでしたね』しかり、金田一蓮十郎先生ならではのスタイル。だが、今回はここにどことなくシリアスさがプラスされており、作者の新境地を感じさせるような内容となっている。例えば、ゾンビ化しても“理性”をトリガーに人間として社会に適応して生きているが、では、この世界で人間を人間たらしめるものはなんなのか? そして命とは? じわじわと読者に襲い掛かる、深淵を覗くような薄気味悪い展開がくせになる。
『ぼっち博士とロボット少女の絶望的ユートピア(上・下)』山田鐘人先生
魔王を倒した勇者一行の“その後”から始まる『葬送のフリーレン』。実は、作者の山田鐘人先生は以前にも“その後”に迫る物語を手掛けている。それが、『ぼっち博士とロボット少女の絶望的ユートピア』だ。本作は、2018年に「サンデーうぇぶり」で連載されていた作品で、9月20日に新装版となって上下巻が同時発売された。
人類が滅亡した後の世界を舞台に、人付き合いが苦手なぼっち博士と、可愛いけれどやや辛辣なロボット少女が織りなす日常を描いた『ぼっち博士とロボット少女の絶望的ユートピア』。人類が滅亡した後の世界というと、そこは暴力と孤独が支配する空間.......的なイメージがあるが、本作に関してはそういった薄暗さとは無縁。ぼっち博士がボケ、ロボット少女がツッコミ、という具合で、低温度なゆるっとした笑いに満ち溢れた日常を送っている。そんな2人の掛け合いは、滅亡した後の世界という“静けさ”とマッチするような.......なんだかゆったりとした心地良さがある。
そして、本作の見どころはなんといっても“その後”という舞台設定の魅力が遺憾無く発揮されている点にある。大切なものは失ってから初めて気づく.......なんてよく言われるが、ぼっち博士も似たような経験をする。人類が滅亡するまでは、自分は孤独で、周囲とは決して相容れない存在だと思っていたが、何もかもが“終わったあと”だから、そしてロボット少女と静かな対話を続けていくなかでぼっち博士はようやく気づく。自分は決して孤独ではなかったし、それなりに充実した人生だったのかもしれない、と。
“その後”に迫る物語というのは、その視点の珍しさに注目されがちだが、実は“その後”だから見えてくる、人生の輝きや尊さがあるのだろう。そんな“その後”という設定がもたらす、物語としての面白さを再認識させてくれる作品となっている。