売れ筋ビジネス書、なぜタイトルに「教養」入る? 背景に「知らない」へのコンプレックス
『教養としての決済』(東洋経済新報社)、『ビジネス教養としての半導体』(幻冬舎)、『世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン』(ダイヤモンド社)、『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)など、近年「教養としての〇〇」というタイトルの本が数多く出版されている。さらにビジネス系YouTuberやインフルエンサーが発信する、数十分ほどで手軽に知識を得られる動画も人気だ。「教養」がビジネスの土台として重要視され、高コスパでわかりやすいコンテンツが求められているのだろう。
もちろん「教養が大事」という言説は今に始まったものではない。江戸時代には論語や蘭学などが立身出世のために学ばれてきたことを振り返れば、仕事のために教養を身につけようとすること自体は不思議ではないだろう。とはいえ、その需要が昨今ここまで増大し、人気となっているのはなぜか。
今日的な「教養」のあり方への問題提起と次の時代への処方箋をまとめた新書『ファスト教養』の著者であるレジー氏に、その背景を聞いた。
「”ビジネスパーソンのための教養”というものが今のような形で持て囃され出したのは、2010年代の中ごろからではないかと思います。池上彰や出口治明といった知識人による教養論が人気を博し、一方では従前からビジネスパーソンの必須スキルとして扱われてきた英語・会計・ITに物珍しさがなくなってきました。いわば”ビジネスシーンにおける差別化のツール”として教養に白羽の矢が立ったわけです。そういった流れと「それぞれのキャリアや生活を自己責任で守らないといけない」という風潮の強まった今の世の中の空気が合わさった結果として、「周りと差をつけたい」「そんなことも知らないの? と思われたくない」などのビジネスパーソンの本音を追い風に「教養としての○○」といったビジネス書が乱立するようになったのではないでしょうか。
教養を売りにしている本の帯や目次には『デキるビジネスパーソンは知っている』『知らないと恥をかく」といった扇情的な文言が書かれていることもあり、人々のコンプレックスを効率的に刺激する作りになっています。こういった態度は「教養」とは遠いもののような気もしますが、逆にこの言葉の持つ気品が商品としての身も蓋もなさをカモフラージュしているとも言えます。
最近では『Feeling & Knowing : Making Minds Conscious』という原題を持つ本が、『ダマシオ教授の教養としての「意識」』というタイトルになっていました。『教養』がビジネス書のシーンにおけるトレンドワードとなっているのは間違いありません」
『ファスト教養』では、ビジネスの役に立つ情報をジャンル問わず効率的に摂取することこそが「教養あるビジネスパーソン」の振る舞いであるという考え方を “ファスト教養”と定義付けている。その背景には、レジー氏の指摘するような社会不安もあるはずだ。しかし、わかりやすく手軽に情報を得られるファスト教養的なコンテンツも、入門編としては十分に有益ではないだろうか。