GANG PARADE THE LAST ROAD Vol.11:ヤママチミキ「守りきれなかった」 11年の命がけの青春、最後に作り上げる“唯一無二”
2026年、GANG PARADEは解散する。その事実を前にして、彼女たちは今何を思うのか――。「信じたくない」といまだに思っているかもしれない。もうずっと前から終わりを覚悟していたと思っているかもしれない。あるいは、ただ静かに、胸の奥に何かが積もっていくのを感じているだけかもしれない。その最後の心の機微をリアルサウンドは全力でキャッチしてきた。最初で最後のGANG PARADEメンバーのソロインタビュー連載。撮影のために、メンバーにはいちばんお気に入りの衣装、いちばん思い出深い衣装をそれぞれに選んでもらった。インタビューの最後には、GANG PARADEの衣装をすべて手がけてきた外林健太のコメントも掲載してきた。その最終回である。
GANG PARADEは、“みんなの遊び場”であり続けようとしたグループだった。うまく歌えなくても、うまく踊れなくても、ここでは誰もが笑って拳を上げていい。ステージの上と下に線を引かず、メンバーも遊び人も同じ熱のなかで汗をかき、同じ瞬間を全力で楽しむ。名前のとおり、仲間と並んで進む行進。その列は、誰かが抜けても、誰かが加わっても、決して止まることなく続いてきた。
その遊び場の今におけるいちばん古い記憶が、ユメノユア、そしてヤママチミキだ。2015年、POPのメンバーとしてカミヤサキの隣に立ったところからヤママチのアイドル人生は始まった。それから10年以上。仲間との別れも、新しい出会いも、名前が変わった日も、グループがふたつに分かれた日も、再びひとつになった日も、彼女はすべてをこの場所で迎えてきた。形が何度変わっても、GANG PARADEが存在し、そこが遊び場であることだけは変わらなかった。それは、変わらずにそこに立ち続けたヤママチとユメノユアがいたからにほかならない。前に立って旗を振る人だけが、グループを動かすわけではない。誰かが迷った時に帰ってこられるように、足元を固め、灯りを消さずに待ち続ける人がいる。ヤママチミキは、きっとそういう人だったのではないか。派手な言葉より、自分の歌で伝える。たとえ転んだとしても、目の前のライブを積み重ねる。自分のことより、“この場所”のことを考える。その意志が、GANG PARADEという遊び場の精神を10年以上にわたって支えてきたのだと思う。
11人がみんな、いつも順風満帆だったわけではない。誰にも名前を知られていなかった頃の悔しさがあった。大切な仲間を見送らなければならない夜があった。観客の前に立つことすら叶わなかった日々があり、グループがふたつに分かれた季節もあった。それでもGANG PARADEは、そのたびに立ち上がり、何度でも遊び場の扉を開け直してきた。泥まみれになりながらも、笑うことだけはやめなかった。転んでも、遠回りしても、楽しんだ者が勝つ。その痛快なまでの意地こそが、このグループの魂だったのだと、全11万字の11通りの生き方を振り返るにつけ、深く思う。
半年以上にわたって追いかけた最後の道を歩く11人の声、思い。そのどれもがかけがえのない日々のすべてであり、まさしく命がけの青春であり、これ以上ない頑張りと踏ん張りだったと思う。かつてないシナリオを見せてくれるという約束を果たしてくれたGANG PARADE 11人のメンバーに、最大の感謝を送りたい。(編集部)
BiSへの心酔「アイドルっぽくないのにアイドルなんだ」
――3月14日生まれ、東京都出身ですね?
ヤママチ:はい。そこから(笑)!
――みなさんに聞いてきました(笑)。家族構成は?
ヤママチ:両親と兄がひとりです。
――最も古い記憶は?
ヤママチ:ディズニーに行ったこととかですね。母親がディズニーが大好きで、小さい頃からパークに連れて行ってもらっていました。
――子どもの頃は、どんな女の子でした?
ヤママチ:幼稚園の頃とかは、外で遊ぶ、結構活発な子どもでした。小学校に入ってちょっと経った頃、仲がよかった友達の影響で漫画やアニメを一緒に観たりするようになり、わりとそこからはずっとインドアです。
――運動は得意でした?
ヤママチ:全然得意じゃなかったです。でも、幼少期は結構走るのが速かったり、運動もしていたみたいです。
――ディズニーは、当時から夢中でした?
ヤママチ:当時は今みたいに「ものすごく好き!」というのではなくて、一般的な感じの「好き」だったと思います。
――習い事や部活動は?
ヤママチ:小学校に入ってからピアノを始めて、中学校を卒業するまでやっていました。今でも一応譜面は読めます。音楽はその頃から結構好きだったのかもしれないですね。ピアノを弾くのは「すごい好き」というほどではなかったんですけど、それだけ長くやっていたのは、嫌いではなかったということなのかなと思います。
――その頃の将来の夢は?
ヤママチ:何にもなかったと思います。ピアノをやっていましたけど、音楽方面に行きたいとかはなかったですし。
――歌うことは好きでした?
ヤママチ:そうですね。友達とよくカラオケに行っていました。
――歌が上手い子とカラオケに行っていた頃に、今の歌唱スタイルが生まれたというインタビューを読んだことがあります。
ヤママチ:そうなんです。一緒にカラオケに行っていた子は、歌がすごく上手くて。競い合うとかはなかったけど、「自分は上手くない」というのがコンプレックスではあったので、「それをどう切り抜けるか?」と考えたうえで、こういう歌い方になりました。
――当時、アイドルの音楽は聴いていました?
ヤママチ:もともとはアイドルに全然興味がなかったんですけど、高校生になったくらいで聴くようになりました。友達が第1期BiSがすごく好きで、私もハマったんです。その前にももクロさん(ももいろクローバー/ももいろクローバーZ)をちょっと聴いたりはしていたんですけど、がっつりハマったのは第1期BiSです。
――高校の頃は、軽音部だったんですよね。
ヤママチ:そうです。コピバンをやっていました。バンドは楽しかったです。GO!GO!7188のコピバンを組んでました。
――パートは?
ヤママチ:ギターです。ほかのガールズバンドのコピバンでは、ギターボーカルをやることもありました。チャットモンチーさんとか、ELLEGARDENさんとか、『けいおん!』の曲もやりました。人前に立って何かをやるということの最初は軽音楽部でしたね。最初に人前で歌ったのは、文化祭だったかな? 緊張しましたけど、お客さんが反応してくれるのがすごく嬉しかったのを覚えています。
――高校を卒業したあとの進路は、どんなことを考えていました?
ヤママチ:具体的なことはまったく考えてなかったです。とりあえず大学には行きたいと思って、大学に行きました。
――BiSのどんなところに惹かれたんですか?
ヤママチ:アイドルっぽくないところというか。バンドっぽい、ロックっぽい感じ。軽音部でロックに触れた時期でもあったので、「アイドルっぽくないのにアイドルなんだ」という面白さを感じました。ビジュアル、衣装、やっていることが、それまでの私が想像していたアイドルとはまったく違っていたんです。
――推しメンは、カミヤサキさんですね。
ヤママチ:なんでだったのか、あんまり思い出せないんですけど……たぶん、ひとりだけあり得ないくらいバキバキに踊っていたのがすごかったからだと思います。第1期BiSは、歌割りに結構偏りが多くて、プー・ルイさんと(ファイーストサマー)ウイカさんが二大巨頭でリードして歌っているなか、サキちゃんはBメロを歌う人だったし、力強さを感じたんです。
――その時、「自分もアイドルになりたい」と思いました?
ヤママチ:まったく思わなかったです。見て楽しむものだと思っていたので。BiSを観ながら「アイドルって大変なんだなあ」って(笑)。
――アイドルのなかでもBiSは、かなり特殊だったわけで。
ヤママチ:そうなんですよね(笑)。でも、深く触れたことがあるアイドルがBiSだけだったので、自分にとっては「これがアイドルなんだ!」という感じだったんです。
――ライブでリフトされたりしていたんですか?
ヤママチ:全然です。後方彼氏面でした(笑)。
――(笑)。特典会は?
ヤママチ:行っていました。
――サキさんからの認知は?
ヤママチ:されていたと思います。プー・ルイさんも、なんとなく知ってくれていたみたいです。
まさかファンを合格させるとは思ってなかった
――第1期BiSの解散ライブの横浜アリーナには行きました?
ヤママチ:行きました。ライブが終わってからも、「終わった」っていう実感がなくて。でも、まわりの研究員たちがすごく悲しんでいて、「すごいジャンルに自分は触れたんだな」という感覚になったというか。今までに触れてこなかったものをファンとして体験できたのは、すごく貴重なことだったんだなと思いました。
――BiS解散後にサキさんは、プラニメを始めました。
ヤママチ:もう会えなくなる可能性もあったけど、アイドルを続けてくれたので嬉しかったです。プラニメの現場にはたくさん行っていました。BiSの頃よりも行っていた気がします。BiSの振り付けはどちらかと言うとシンプルで、お客さんも一緒に踊れるものでしたけど、プラニメは動きが細かくて、ふたりによる左右対称の振り付けもあったりして。そこがすごく楽しかったです。
――ダンスにも興味を持つようになりました?
ヤママチ:「自分も踊りたい!」というのはなかったです。
――軽音部でのライブはありましたけど、「アイドルになろう」「ステージに立とう」という感じになった話が全然出てこないですね(笑)。
ヤママチ:「自分もそっち側の人間になりたい」と思うことがまったくなかったんですよ(笑)。
――変化したのはいつでした?
ヤママチ:オーディションに受かった直後も、そういう自覚は誰よりもなかったと思います。本当に「サキちゃんについて行くだけ」みたいな。メンバーからも、サキちゃんからも、渡辺(淳之介)さんからも、そう見えていたかもしれない。お客さんからもそういう印象だったかもしれないです。
――受けたオーディションは、ミズタマリさんのプラニメ脱退が発表された時の新メンバー募集でしたよね。
ヤママチ:プラニメの現場に行くと話をする仲間たちがいて、「オーディションあるけど、受けないの?」って言われたんです。1次審査が書類で、2次の面接にはサキちゃんがいるらしいと教えてくれて、「もし2次まで行ったらサキちゃんに会える!」って(笑)。そういう最低な気持ちで受けたら受かってしまって、今ここにいるんですよね。
――つまり、オーディションはヲタ活?
ヤママチ:そういうことになりますね(笑)。サキちゃんは私のことを知ってくれていたし、まさかファンを合格させるとは思ってなかったんですよ。
――合格になった理由は、サキさんから聞いています?
ヤママチ:何だっけなあ……「ある程度歌が歌えていた」みたいなことは言われた気がします。軽音部で歌っていてよかった(笑)。
――(笑)。合格したことによって始まったPOPの活動は、いかがでした?
ヤママチ:カミヤサキという人と同じ活動ができるのは、純粋に嬉しいことでした。それと同時に、ずっと近くにサキちゃんがいるのは不思議な感覚でしたね。
――オーディションで受かったのは4人。ユメノユアさんとの出会いもそこでしたよね。当時の印象は?
ヤママチ:言葉を選ばずに言うならば、めちゃくちゃ弱々しい印象(笑)。渡辺さんやサキちゃんが「ユアが最初にやめると思っていた」とあとになって言っていたくらい、繊細に見えたというか。
――何年か前に、ミキさんの当時の印象をユアさんに聞いたら「態度の悪い女」と言ってました(※1)。
ヤママチ:そうですねえ、渡辺さんのアンチだったので(笑)。1期のBiSを見ていると、そうならざるを得なくて。アンチ渡辺としてそこにいましたね。
――(笑)。「ヤママチミキ」という名前をもらった時は、どう思いました?
ヤママチ:意外と普通だなと思いました。候補がほかにもいくつかあったんですけど、渡辺さんが「僕のおすすめはこれです」と教えてくださって、なので「じゃあ、それでお願いします」と。POPはみんな普通の名前だったので、「こういうスタイルで行くのかな?」と思いました。
――POPよりも3カ月くらい前に始動したBiSHは、奇抜な名前でしたけど。
ヤママチ:そうそう。BiSHがそうだったから、自分もそうなるのかなと思っていたんです。
――POPの初お披露目はライブではなくて、BiSHとの駅伝でしたね。
ヤママチ:そうです。駅伝だったので、あんまりお披露目感がなかったというか。でも、一緒に並走してくれるお客さんがいたり、ゴールにもたくさんの方々が集まってくださっていて、「始まったのかもしれない!」みたいな感覚はありました。
――初ライブは覚えていますか。
ヤママチ:たしか『ギュウ農フェス』が最初でした。「who am I?」をやったことだけは、すごく覚えているんですけど、それ以外の記憶が本当にないんですよ。めっちゃ緊張していました。
――ダンスをしながら歌うのは、バンドで歌うのとは全然違いますよね。
ヤママチ:そうでしたね。新しく入った4人は、ほぼド素人だったので、サキちゃんも振りを教えるのにすごく時間をかけてくれました。踊りながら歌うのは難しかったですね。