GANG PARADE THE LAST ROAD Vol.9:キャン・GP・マイカ「終われる未来を作れるなら」 作り上げた形、背負う2文字の覚悟
2026年、GANG PARADEは解散する。その事実を前にして、彼女たちは今何を思うのか――。「信じたくない」といまだに思っているかもしれない。もうずっと前から終わりを覚悟していたと思っているかもしれない。あるいは、ただ静かに、胸の奥に何かが積もっていくのを感じているだけかもしれない。その最後の心の機微をリアルサウンドは全力でキャッチしようと思う。最初で最後のGANG PARADEメンバーのソロインタビュー連載をここに始める。撮影のために、メンバーにはいちばんお気に入りの衣装、いちばん思い出深い衣装をそれぞれに選んでもらった。インタビューの最後には、GANG PARADEの衣装をすべて手がけてきた外林健太のコメントも掲載する。最後の道を歩く11人の声、思いをここに刻んでいこうと思う。
第9回目は、キャン・GP・マイカ。 現在のメンバー11人全員、そして過去に在籍したメンバーたちも含めたすべての個性的がGANG PARADEを作り上げてきたのは大前提だが、その“身体”と“形”を継承して築いてきたのが、まさしく彼女である。
人前で急に「何かをやれ」と言われると泣いてしまうのに、主役は自分から獲りにいく子どもだった。運動神経は悪いのに、新体操とダンスだけはできた。そんな矛盾だらけの少女は、その矛盾のままGANG PARADEに加入した。ヤママチミキがのちに公開するインタビューでマイカのことを「救世主」と言っていたが、GANG PARADEにこれまで訪れたいくつかの再起動のポイントで、最も重要なタイミングでもたらされた起爆剤が彼女でもあるだろう。渡辺淳之介から託され、名前に刻まれた「GP」もそう。彼女自身の起爆剤だった。この2文字を背負った瞬間、彼女は本当の意味で覚悟を決めた。今回半生を振り返ってもらったが、ここに記すのは、カミヤサキに背中を押されたあの日、そしてカミヤがグループを去った時から、グループの“身体”をずっと設計してきた道筋でもある。
否応にも近づいてくる終わりの日。それを前に、マイカは今何を思い、何を感じて、何を見つめているのか。彼女の手がこれからどんな身体を動かしていくのか。その物語は、GANG PARADEが終わった先にも続いていくのだ。(編集部)
新体操とダンスだけはできました。走ったり、ボールを投げたり、泳いだりはできないのに
――10月6日生まれ、東京都出身ですね。家族構成は?
キャン・GP・マイカ(以下、マイカ):父、母、姉、私です。
――お父さまは、研究員(BiSのファンの呼称)でしたよね。
マイカ:そうです。ずっとオタクで。最近オタクをさぼってそうなんですけど(笑)。
――(笑)。最も古い記憶として思い浮かぶことはありますか?
マイカ:覚えていることが本当にできなくて。ギャンパレの活動でさえも、「これ、いつだっけ?」となるんですよ。断片的には覚えているんですけど………なんだろう? 大型犬のゴールデンレトリーバーを飼っていたんですけど、小さい頃に散歩していたら引きずられて、顎を怪我したことを覚えてます。
――どんな子どもだったと聞いています?
マイカ:今では考えられないくらい、人前で何かをするのが苦手でした。芸能事務所のオーディションを受けた時、女性の社長さんが「何かやってみて」とおっしゃったのに、何もできなくて泣きました(笑)。あれ、いつだったんだろう。小学生の時だったのかな?
――ダンスは小さい頃に始めたんですか?
マイカ:はい。新体操を幼稚園の頃に始めて、ダンスも小学生の頃からやっていて。発表会、学芸会とかでは、主役を獲りにいっていました。そういう目立つポジションは、よくやっていましたね。小学校の時には、応援団長もやりました。でも、咄嗟に何かをやったりするのは恥ずかしがるという、謎の部分がある子どもだったんです。
――新体操やダンスを習い始めたきっかけは?
マイカ:近所に新体操教室があって、幼馴染と一緒に通うようになったんです。
――運動神経がよかったんでしょうか?
マイカ:悪いです。今も昔も運動神経が悪くて(笑)。でも、新体操とダンスだけはできました。走ったり、ボールを投げたり、泳いだりとかは何もできないのに。
――新体操って、抜群に運動神経がいい人がやるイメージですけど。
マイカ:身体が柔らかいので、そういうのはできるんです。あと、父がアイドルオタクで、ずっとハロー!プロジェクトの曲を聴いたり、テレビで観たりしていたので、“アイドル”という存在にはずっと憧れていたんです。そういうのがあったので、小さい頃から踊ったりするのが好きだったんだと思います。
――お父さまは、マイカさんをアイドルにしたいと思っていたんですか?
マイカ:どうなんですかね? どっちかというと、母のほうがそういう気持ちが強かったんじゃないかなと。でも、自ら「やりたい」ってなっていったんだと思います。小っちゃい頃からハロー!プロジェクトのオーディションを受けたいと自分から言っていましたからね。当時のハロー!プロジェクトのキッズオーディションは、全員面接みたいな感じで、会場に行ったら受けられたんですよね。
――ダンスは、その頃からずっと?
マイカ:はい。学生時代もずっとダンスをやっていました。学生時代はヒップホップをメインにやっていたので、聴く音楽も洋楽が多かったです。
――学生時代、ダンス以外に一生懸命打ち込んだことは?
マイカ:部活もダンス部でした。勉強は全然してなかったです(笑)。得意科目もなくて、全部赤点みたいな感じ。通っていた学校は厳しくて、勉強の成績が悪いと部活に参加できなかったんです。それで部活に行く時間が少なくなったりしていましたね。部活の大会にも出られなかったりして。大会の選抜メンバーに入ったのに、学力で落とされることがよくありました。
前身POPは「泥くさくて、人間味にあふれたかっこいいグループ」
――学外のダンススクールにも通っていました?
マイカ:はい。スクールと並行してダンス部もやっていたんです。部活に関しては、学祭で踊る感じでしたね。部活がある日は部活、ない日はダンススクールに行って。ずっとダンスをやっている学生時代でした。
――プロのダンサーになりたいと思っていました?
マイカ:ダンサーになりたいと思ったことはなくて。小学生の頃は中国雑技団に入りたいと思いながら新体操をやっていたんですけど。芸能人になりたいという夢は小学生の頃からあったので、それを軸にしながらダンスをやっていたんです。だから、ダンサーというよりは、アイドル、アーティストになりたいと思っていました。
――中国雑技団の団員を目指していたんですか?
マイカ:はい。身体が柔らかかったので、中国雑技団に入りたくて。小学校の低学年くらいまでは、本気で「入りたい」と思っていましたね。オリンピック選手が新体操教室に教えにきていて、強化合宿にも参加していたので、新体操は結構ちゃんとやっていました。9年くらい、やっていたかな。
――好きだったアイドルは、ハロー!プロジェクトが中心?
マイカ:ハロー!プロジェクトと、48グループです。あと、K-POPにもハマりました。
――どなたのファンだったんですか?
マイカ:モーニング娘。さんは、最初に矢口真里さんが好きになりました。あと、藤本美貴さん。スマイレージさんも好きでしたね。モーニング娘。の生田衣梨奈さんは、加入した時からずっと応援していて、卒業ライブも見届けました。
――48グループは?
マイカ:柏木由紀さんです。あと、奥真奈美さん。柏木由紀さんは、WACKの企画でご一緒させていただいて、本当に夢が叶ったという感じでした。
――奥真奈美さんは、AKB48の2期生。チームKの立ち上げメンバーでしたよね。
マイカ:はい。握手会に行ったりしていました。AKB48劇場に行ったこともありますし、NMB48の谷川愛梨さんも好きで、難波の劇場にも観に行きました。月別の写真を毎月劇場に買いに行ったりもしていました。
――お父さまと話が合うでしょうね。
マイカ:はい。共通の話題はアイドルでした(笑)。
――お父さまは研究員ですけど、マイカさんは?
マイカ:私はギャンパレの前にもアイドル活動をしていたので、それで忙しくなっていたんですよね。私自身のオタ活も緩やかになっていた頃に父がBiSにハマったので、一緒に現場に行ったりはしていなかったんです。
――WACKのオーディションを受けようと思ったきっかけは?
マイカ:ギャンパレに入る前にやっていたアイドルグループを卒業したくらいの頃に、WACKがオーディションをいろいろやっていて。それで父が「ギャンパレのオーディションあるよ」と教えてくれたのがきっかけでした。
――POPからGANG PARADEになって間もない頃のオーディションでしたね。どのようなグループだと感じていました?
マイカ:POPは、私がアイドルをやっていた時に、数回一緒になったことがあって、ライブを観たこともあったんです。泥くさくて、人間味にあふれたかっこいいグループだなと思っていました。それも、ギャンパレのオーディションを受けたいと思った理由として大きかったです。ライブと楽曲がとにかくかっこよかったので、「一緒にパフォーマンスをしたいな」と。