桑田佳祐が刻んだ震災15年 宮城千秋楽と花火に込められた祈り

9月12日、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナでツアーファイナルを迎えた『桑田佳祐 夏祭りツアー2026 supported by カンロ 夏編』(以下、『夏祭りツアー』)。そして翌日の9月13日、宮城県亘理町・鳥の海公園で開催された『東北未来芸術花火2026~明日へのマーチ 桑田佳祐SP~』。東北に響いた桑田佳祐の歌声には、東日本大震災から15年という歳月が織り込まれていた。
7月8日に石川からスタートした『夏祭りツアー』は令和8年熊本地震の影響のため開催を見送った熊本公演を除く全国9会場20公演を経て宮城公演を迎えた。その最終日、超満員のファンの歓声に迎えられた桑田は軽快にステップを踏み、時には足を蹴り上げ、古希とは思えぬエネルギッシュな歌とパフォーマンスで観客を魅了していく。

そうかと思えば、スライドギターを弾く悪戯っぽい笑みと獰猛なサウンドからは、リトル・フィートやエリック・クラプトンを愛した“ロック小僧”のルーツも垣間見えた。東日本大震災の被災地の復興を願って書かれた「明日へのマーチ」や最新シングル曲「人誑し / ひとたらし」まで、約2時間半、圧巻の歌声を轟かせた。
12日の公演が行われた同会場は8000人収容のアリーナ規模にもかかわらず、ライブ中、終始感じられたのは、ライブハウスのような親近感と一体感だった。後述するが、それもそのはず。2011年の東日本大震災後初のライブを行って以来、同所は近年の桑田にとってホームのひとつとも言える会場なのだ。

MCでは前述の熊本や8月に豪雨を受けた千葉に暮らす人々への見舞いやねぎらいの言葉を語り、「不謹慎かもしれないけれど、“夏祭り”ということでお許しをいただいて」と被災復旧への祈りを込めた一本締めを呼びかけた。
アンコールでは、さとう宗幸の代表曲「青葉城恋唄」を慈しみあふれる歌声で歌唱。それは桑田が2011年の自身のライブ『宮城ライブ~明日へのマーチ!!~』でオープニングに歌った曲でもあった。震災半年後のアリーナに響いた開幕の一曲が、時を経て、今度は締めくくりの一曲として歌われたことに、震災からの15年という歳月への桑田の切なる思いが感じられた。
ライブのバックステージから生まれた花火大会
このライブの翌日、亘理町で観客約2万人を集めて開催されたのが『東北未来芸術花火2026~明日へのマーチ 桑田佳祐SP~』だった。会場となった鳥の海公園は、2018年、震災の津波被害を受けた同地における復興の象徴として都市公園・防災公園として再生された場所だ。
実はこの大会、2021年の桑田の宮城公演のバックステージに端を発したものだ。同公演の終演後、鎮魂の祈りを込めて会場の敷地で打ち上げられた花火を手がけた花火プロデューサー・中田源と同地のイベンター・森征博が出会い、東北への思いで意気投合したことから翌2022年の『東北未来芸術花火』初開催へとつながり、今年、桑田の楽曲を公式使用するスペシャルバージョンが実現したのだ。
「私にとっても特別な場所であるこの東北の地で、さまざまな縁が巡り合って生まれた花火をどうぞお楽しみください」。大会は桑田のボイスメッセージを合図に開幕、ソロデビュー曲「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」に始まり、震災を機に生まれた「明日へのマーチ」、「Let's try again ~kuwata keisuke ver.~」を経て、ラストの「明日晴れるかな」まで、桑田の楽曲に乗せて打ち上げられた華やかな大輪が夜空を彩った。
元来、日本の花火大会の多くは戦災・災害の犠牲者への鎮魂・慰霊をルーツに持つ。途中、上空の煙を逃がすための中断(花火はあまりに風がないと煙が滞留してしまうため)もあったが、観客それぞれが夜空の大輪に思いを馳せたメモリアルなひと時だった。

東北に向き合うことがプライオリティー
2011年3月11日の震災当日、桑田と原 由子は特番収録のため東京のスタジオにいた。前年に食道がんの手術を経て復帰したばかりだった桑田は、当たり前の日常や命の重みを痛感していた矢先の出来事に深く胸を痛めた。
翌週のレギュラーラジオ番組で「希望の轍」(サザンオールスターズ)を弾き語りで歌うと、5月に仙台入りし、名取市閖上地区の惨状を目の当たりにした。そして9月10日・11日、遺体安置所として使われていたセキスイハイムスーパーアリーナで『宮城ライブ~明日へのマーチ!!~』を敢行した。“いつも通りの桑田”を貫き、等身大のパフォーマンスを届け、ファンに楽しんでもらう。それが桑田なりの誠実さだった。このとき、「必ずまた帰ってきます」と客席に呼びかけたその言葉通り、桑田は翌2012年の全国ツアーも同会場からスタートさせている。
この頃、桑田のもとへは被災地から多くの手紙が寄せられたという。それは「サザンを待っている」という趣旨のものだった。この手紙の存在は、2013年、休止状態にあったサザンオールスターズを桑田が活動再開させる一因となった。同年のサザンとしての全国ツアーでも、桑田たちは宮城の同会場を訪れている。
震災から5年を迎えた2016年には、閉局を控えた臨時災害放送局・女川さいがいFMへのねぎらいを込めて、女川町からレギュラーラジオ番組のサプライズ生放送を行った。さらに震災から10年を迎えた2021年には、河北新報のインタビューで、「『東北復興世代』と言うのでしょうか」、「音楽人として東北に向き合うことがプライオリティー(優先順位)だと思っています」と語り、自身と東北の関わりを位置づけた。
そして震災から15年を迎えた今年3月には、仙台・Date fmの特別番組の収録のなかで、「やっぱり震災や災害があったということを忘れないでいることが大切なんじゃないかなと」、「われわれエンターテインメントをやるものたちは“気晴らし産業部隊”。つらいことをつかの間忘れてもらったり、楽しいことを感じてもらったりできればいいなと思うんです」、「ライブを見に来てくれた人に『また会おうね』と言ってもらえることがわれわれの役目」と語っていた。
今年4月、東日本大震災についての国の復興期間の区分は「第3期復興・創生期間(令和8年度〜令和12年度)」へ移行。ハードの整備から「福島の本格的な復興・再生」や「被災者の心のケア・地域コミュニティの再構築」といった課題へ重点を移しての取り組みが続けられているという。震災の傷跡は15年目を迎えたいまも決して癒えていない。
9月12日の『夏祭りツアー』のMCでも触れられていたが、当日の客席には未就学児童から90代まで幅広い世代の観客が詰めかけていた。災害時における桑田の気遣いは、すべての世代に届くような音楽を作り続けようとする市井のポップスターとして彼が自身に課している責務のようにも映る。その姿勢の根底にあるのはデビュー当時の思いなのかもしれない。「全国のイベンターさんやファンの皆さまに育てていただいた。全国ツアーはその恩返しというか、そういう方たちにご挨拶しにいくという思いもあります」(前述Date fm特別番組収録時の発言から引用)。
筆者はこれまでたびたび桑田にインタビューを行ってきた。その経験上、本稿のようなテキストに対して、「当たり前のことなんだよ」と言いたげな桑田の表情もいささか想像がつく。しかし、桑田が東北と歩みを共にしてきたこの15年目の節目は、やはり何らかの形でログ(記録)にしておくべきなのではないか? そんな思いから本稿をまとめた。
『夏祭りツアー』は、12月に愛知・大阪・神奈川での追加公演を控え、熊本公演の振替も模索中だという。東北と桑田の伴走は、古希を迎えてもなおエンターテインメントのトップランナーとして最前線を駆け抜けるポップスターの物語とともに続いていくのだと思う。
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