ゆとりくん「他者の評価が自分の幸せに結びつくわけじゃなかった」 今見つけた光の当て方、『ミラーボールを消して』
時代の寵児・ゆとりくんとして、上場企業の社長・片石貴展としての問いを彼は抱えていた。世間が見ている自分と、暗い部屋でひとりでいる自分――その乖離に言葉では追いつけなくなった時、ゆとりくんはメロディの力を借り、音楽で答えを出した。2nd EP『ミラーボールを消して』は、その記録である。
『ミラーボールを消して』には、正しさが流行のように消費される現代へのシニカルな眼差し、社会のハグレモノからトップへ上り詰めた者の満たされない渇望、そして「バズりたい」ではなく「バブりたい」という、誰かに愛されることへの素直な願望が刻み込まれている。現代へのアイロニー「fashion」、渇望を歌う「PARADOX」、鬱屈から抜け出す糸口になった「バブりたい」……5曲すべてに彼の実体験と今の思考がそのまま刻まれている。バズりたいより、バブりたい。かっこいいより、かわいがられたい。小学生の頃から人を俯瞰し、批評し、光の当て方を変えることで世界を見てきた男が、自分自身に同じことをしてみせた。その道程を振り返るにつけ、どこまでもドキュメントな作品であるとあらためて思わされる。
では、ゆとりくんとはどのようにして生まれたのか。『ミラーボールを消して』はどのような思考と手法によって生まれたのか。今回、じっくり話を聞かせてもらった。そんなゆとりくんの今が刻まれるであろう、7月18日の『ゆとりくん本気の独演(奏)会』も楽しみでならない。(編集部)
“ゆとりくん”はどこからやってきたのか? 主流に埋もれる魅力を見つけ出す才能
――リアルサウンド初登場ということもあり、まずは幼少期のお話から伺いたいなと思います。小学生の頃はどんな子どもでしたか?
ゆとりくん:とにかく活発でしたね。小6の時に(運動会の)応援団長をやって、自分のクラスが優勝して盛り上がり、僕も人気者になりました。でも、それから1カ月後に急にハブられて。めっちゃキツいいじめではなかったんですけど、昼休みに誰も一緒に遊んでくれない状況になったんです。それが3カ月間ほど続いたのかな。
――そもそも、なぜいじめにあったんですか?
ゆとりくん:小学生にとっては、運動会がいちばんの行事ですよね。僕は応援団長でみんなにチヤホヤされて、優勝もしちゃって。その自認のまま振る舞っていたら、そりゃあ嫌いになる人もいるよね、と。みんなからしたら「あいつ調子に乗ってない?」って感じになったんだと思います。この高低差を埋めないといけないと考えましたね。クラスには中学受験をする組と地元の公立中学へ進む組があって、僕と同じ受験組の人間から仲間にしていった。もともと仲良かった子から、オセロの石をひとつずつひっくり返していく感じで、徐々に仲間を集めて。卒業前にはいじめの首謀者と形勢逆転しましたね。
――今のお話を聞いていると、当時から状況を俯瞰してとらえる視点を持っていたんですね。過去にご自身のことを「ものすごくフラットで俯瞰的」と言っていましたけど、それは小学生時代から始まっていたのかなと。
ゆとりくん:それはありますね。振り返ると、小3、4ぐらいから友達の話を家でよく話してて。それは好き/嫌いという感情論ではなくて、「あの人はここがよくない」と具体的な指摘や批評っぽいことを口にしていたんです。親からは「悪口を言うのはよくない」と言われて(笑)。お風呂で髪を洗ってる時に「たしかに悪口を言うことはよくないけど、悪口を言えるって、それだけ人に興味があるってことだよな」と。これは自分のいいところでもあるから、批評を別の視点に転換すればいいんじゃないかと思ったんです。
――別の視点に転換する?
ゆとりくん:たとえば、気弱で自分の意思では何も決められない人がいたとしても、見方を変えれば「リスクを負わずに行動ができる」という解釈に結びつけられる。要は、どこに光を当てればいいのかって話なんですよね。当時はそこまでの解像度はなかったですけど、感覚的に思いましたね。ほかには本屋で流行りそうな漫画をチェックして、みんなに広めていて。今、会社でやってることに近いことをしてましたね。音楽も好きなアーティストのヒット曲だけじゃなくて、アルバムを全部聴いてみんながあまり注目していない曲も聴く。主流のなかに埋もれている魅力を見つけるのは、昔から好きだったかもしれないです。
――人がまだ気づいていない面白さを見つけるのが好きだったんですね。
ゆとりくん:そうですね。コアな音楽は知らなかったので、あくまでポップカルチャーのなかでだけど、ディグる視点は無意識に持っていた気がします。
――中学時代はどう過ごしていましたか?
ゆとりくん:私立の中高一貫校に進学しました。自主自律を大事にしている学校で、私服登校がOKで、校則がない自由な学校なんです。部活はバスケ部に入ったんですけど、身長も低かったし、正直向いているとは思わなかった。「こいつかっけえな」と思った友達がいたから、自分もバスケ部に入ったんです。でも、全然活躍できなかったですね。地区予選二回戦負けをするチームのベンチだったので、パッとしなかった。毎日6時に起きて欠かさず朝練に参加して、誰よりも努力してるけど……みたいな(笑)。
――クラスではどんな感じでした?
ゆとりくん:僕の学校には、文化祭に相当する『表現祭』という独自の行事があって。中2の時に「世にも異様な物語」という『世にも奇妙な物語』のパロディみたいな劇をやったのが印象に残っています。僕は実行委員としてクラスのリーダーを任されて、最初は自分が率先して動いていたんです。でも、自分ひとりでできる作業量は限られてるから、徐々に別の人に業務を引き継いでいって、最終日に行くにつれて僕のやることがなくなっていったんですよ。その結果、当日はみんながすごく生き生きと働いて。しかも、僕のクラスが中高全6学年のなかで最優秀賞を取ることができて「チームで成果を出すって、こういう感覚なんだ」と知りました。自分が誰よりも働くことに注力するより、みんなが生き生きと力を発揮できる環境を作れば、ひとりで頑張るよりもいいものができあがる。これはyutoriのマルチブランド戦略とも通じますね。
ファッションと音楽、株式会社yutoriの創業
――高校生になると、ファッションの世界に魅了されていったそうですね。
ゆとりくん:中学の時はB-BOYをかじってたんですよ。ゴリゴリのストリート系ファッション誌『411』を友達と回し読みしたり、ストリート系のブランドを扱ってる「Lafayette YOKOHAMA」で買い物をしたり、EVISUのパンツを腰履きしたりして。とはいえ、その時は洋楽のHIPHOPとかR&Bは好きじゃなかったんです。海外のカルチャーにそこまで興味がなかったし、何より外国人だと共感値が低いじゃないですか。基本的には邦楽が好きだし、日本で生まれたオルタナティブカルチャーが好きだったので、どこか違和感がありました。高1からは仲がよかった友達と原宿へ遊びに行くようになりました。最初は『CHOKiCHOKi』に載ってる古着屋を回っていたんですけど、その後『TUNE』が好きになり、結局は『TUNE』に載ってる人が原宿のなかでいちばんかっこいいんだと思いましたね。
――ストリート系のファッション誌のなかでも、『TUNE』はかなり尖っていましたよね。
ゆとりくん:あとは、セレクトショップの「ミキリハッシン」にも頻繁に通ってました。DIYな感じで原宿の空気感を作る人たちを見て憧れましたね。僕が高校生の頃って、読モ(読者モデル)のファッションショーブームだったんですよ。『CHOKi CHOKi GiRLS』に載ってる読モの子とかが出るコレクションをアソビシステムが仕切っていて。
――2010年代は『チョキガ』をはじめ、『KERA』『Zipper』『mer』などの青文字系ファッションが全盛でしたね。
ゆとりくん:またストリートスナップとかに載ってる、イケてる高校生たちが集まるコミュニティも人気でしたね。mixiの影響もあり、誰かしらがどこかのコミュニティに属しているんだけど、僕はそういうのに馴染めなくて。同世代の人と関わるよりもセレクトショップや古着屋の店員さんとか、自分の知らないカルチャーを知ってる人と繋がれる方が楽しかったですね。
――大学時代は音楽に力を入れていたそうですね。
ゆとりくん:高2からアカペラを始めたんですけど、その頃はヒューマンビートボックスの黎明期で、RoxorLoops、ZVD(Zackary Van Dreese)とかすごい人たちがいたんですよ。大学進学後はアカペラサークルに入って、2年生の終わりぐらいに全員男だけのグループ・The Snatch!を組みました。その時はほとんどの人が目をつけていなかったMixChannel(現ミクチャ)を使ってカバー動画を上げたら、すぐ人気になっていって。アカペラ界隈で知名度を上げて、ワンマンで600人を集客できるところまで行きました。自分は作家性を持って関わるよりも、プロデューサー気質を発揮して物作りを経験できたのが楽しかったですね。
――その経験はyutoriにも活かされていますか?
ゆとりくん:かなり活かされてますね。アカペラサークルの部員は300~400人くらいいて、どこのチームもやっていることはカバーなんですけど、それぞれ名前とコンセプトを決めてライブをしていた。アカペラはほかのジャンルから人が入ってくるというより、ニッチなコミュニティのなかでお客さんが回り合う状態でした。今、社長業するうえで舞台上での場慣れにもなっているし、コンセプトを考えて「どうやって人の心を動かすか」も学べた。いろんな試行錯誤を経て、The Snatch!が当たったので、何をすれば注目されるのかはすごく勉強になりましたね。
――卒業後は会社員を経験されますね。
ゆとりくん:そのままアカペラでデビューする話もあったんです。だけど、新しい世界が見たくて成長率が高そうなIT企業に就職したものの、新卒1年目は鬱病みたいになっちゃって。負けず嫌いなので休職はしなかったし、長期で休むこともなかったんですけど、毎週実家に帰って親に慰めてもらって出社する感じでしたね(笑)。
――何がいちばん苦しかったのでしょうか。
ゆとりくん:誰かの意思決定のもとで、自分が動かされてる感覚になってしまったんです。「俺はあなたよりいいものが作れるのに、なんでロジカルなだけでそんなに偉そうなの?」という気持ちで仕事をしていたら、さまざまなミスが重なりボロボロになって、自信も何もかもが落ち切ったんですよ。そこから自分の考えを一旦奥に引っ込めて、とりあえず言われたことだけをやろうと。そのマインドになったら、僕は成長する速度がほかの人より何倍も速いので、半年ほどでロジカルなコミュニケーション、背景やバックグラウンドが違う人ともちゃんと共通認識をとってひとつの物を作っていく基礎的な力、計画を立てて目標通りに遂行する能力を身につけました。そこから複数の新規事業立ち上げを経験して、社会人2年目になった時、もう1回音楽をやろうと思ってグループを組みまして。それを宣伝するために作ったのが(Instagramアカウントの)「古着女子」だったんです。
――最初からアパレル事業をやろうとしていたわけではなかったんですね。
ゆとりくん:そうなんです。自分たちのメディアを持ってイベントをやる時、グループを差し込めば有名になると考えました。2010年代後半はSuchmos、never young beach、Yogee New Wavesといった新しいムーブメントが生まれたタイミングで、SNSにはキラキラしたインスタ女子はいるけど、90年代的なオルタナティブカルチャーがフォーカスされてないと思って、2017年に古着女子を立ち上げましたね。それが5カ月で10万人のフォロワーを獲得するほど、すごい勢いで伸びたので、2018年に株式会社yutoriを起業しました。