米津玄師は“移民”であり続ける 「IRIS OUT」「烏」に表れる大衆音楽家の矜持
『MUSIC AWARDS JAPAN 2026』にて、最優秀J-POP楽曲賞、Best Japanese Song in Asia/Europe/North America/Latin America(4部門)、最優秀デジタルカルチャーアーティスト賞(ハチ名義)の計6部門を受賞した米津玄師。一方で、主要6部門である「最優秀楽曲賞」「最優秀アーティスト賞」「Best Global Hit From Japan」にて、米津玄師/「IRIS OUT」がノミネートのみに終わったのは一つの衝撃だった。「音楽人5000人が決める」という謳い文句通り、音楽関係者中心の投票によって決める新しいアワード。圧倒的なチャート成績を残しており楽曲の質としても確かだった「IRIS OUT」の結果は、日本の音楽業界において、米津玄師が未だ外側にいることを示している。
コミュニティから距離を置くことを“選択”する米津玄師
私は、米津玄師がもうとっくに中心にいる存在だと思っていた。10年以上にわたりチャートを席巻し、「アイネクライネ」「LOSER」「Lemon」「感電」「KICK BACK」「さよーならまたいつか!」などなど時代に刻まれた歌を生み出し、自然発生的に世界中にオーディエンスを獲得している米津玄師は、問答無用にポップシーンの中心にいるのだと。そして、2025年9月に発表された「IRIS OUT」は、ストリーミング史上最速の1億回再生を突破、2026年上半期のBillboard JAPAN総合ソング・チャートでは1位を記録したほか、グローバルチャートでは日本語楽曲の歴代最高位を記録するなど、彼の新たな代表曲になっていた。けれどもアワードがあきらかにしたのは、米津玄師はどこまでいっても安住した居場所を持たないということだった。だからこそ、彼はだれよりもポップシンガーなのかもしれない。
「IRIS OUT」がBillboard JAPAN 2026年上半期チャート首位11冠を記録した時、米津玄師はこのようなコメントを残している。(※1)
IRIS OUTがここまでたくさんの人に好いてもらえる曲となったことを誇らしく思います。いまになって聴き返してみても本当にアホみたいな曲だなと笑っちまうのですが、この時代にこういう曲を残せたうえで、また新たに音楽を続けていけるのは、大衆音楽家としてこの上なく幸福なことでしょう。あらためてチェンソーマンという偉大な作品に感謝を述べたいです。ありがとうございました。
米津玄師はみずからを“大衆音楽家”だと名乗る。“大衆音楽”という言葉は、単に大勢に聴かれていることだけを意味しない。通常だったら混じり合わない人々が、共通の喜びを知ること。地理的にも心理的にも離れた人々が、歌が鳴っている数分の間だけ近づくこと。マイケル・ジャクソンの音楽は白人にも黒人にも聴かれた。子どもにも大人にも愛された。その代わり、彼は黒人コミュニティからも白人社会からも距離ができた。子どもでも大人でもない場所にいた。既存の社会に属さない孤立ゆえに、彼には“キング・オブ・ポップ”の称号が与えられている。
マイケルの象徴的孤立が、どこまで意図的かはわからない。対して、米津玄師は一つの選択としてコミュニティから距離を置いていると見える。シーンや業界という言葉で括られる集団意識に、属さない選択をしていると見える。それは新曲「烏」が、NHKサッカーのテーマソングでありながら(本人がいうところの)「拍子抜けするくらい個人的な」楽曲になっていることからも見てとれる。
四つ打ちのビートと管弦楽曲的なサウンドが絡まるこの曲は、高揚感と柔らかさを両立している。〈滴った血の黒さをまだ憶えている〉。〈誰にも渡せない秘密が一つずつ増えていった〉。〈同じ夢を見てたあいつは心を壊していった〉。過去形で綴られる言葉は、記憶に紐付いた痛みを表現する。サビで風景が一気に広がり、歌詞も現在形になる。
今だけは誰の声も聞こえない場所へ行こう
寄せ書きもそっと机にしまって澄み渡る青い方へ
僕らは今日ただ一羽の夢見がちな烏になって
光を受けて続くこの道を辿り直していく
「行こう」「方」「今日」という「ou」の唇を前に突き出す感じや、「青い方へ」「烏になって」という「e」の口の拡がりは、大きなフィールドへ踏みだす勇壮さを表す。「そっと」「しまって」の「っ」の促音は躍動感を与える。しかし同時に歌が綴るのは、〈誰の声も聞こえない場所へ〉向かう〈ただ一羽の夢見がちな烏〉という、孤独に根付いた自己認識にほかならない。音韻の上では世界祭典の興奮を伝えながら、意味の上では個人的な感覚を手放さない。その二重性が米津玄師の資質と選択である。
大衆音楽家という職業の役割は、集団性と個人性を同時に表現することである。その定義に無言で肯くであろう作家として、たとえば井上陽水・草野正宗・宇多田ヒカルといった系譜を浮かべることができる。「JANE DOE」における米津と宇多田の共演には、大衆音楽家としての共振が聞きとれる。
その上で付け足すべき米津玄師の特徴は、社会の変動を意識して作品に落とし込む点だろう。「IRIS OUT」は、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の作中人物と物語をなぞった歌であると同時に、現代における“推し”の流行に応じた楽曲になっている。その事実は米津本人が複数のインタビューで語っていることからも窺えるが、なにより楽曲自体がそのことを物語っている。サーカスや見世物小屋を想起せざるをえないメロディと音のバラエティー。ラップの唱法を駆使して詰め込んだボキャブラリー。〈「やめろ馬鹿」と喚くモラリティ〉、〈半端なくラブ!ときらめき浮き足立つフィロソフィ〉、〈今君と名付いてる全て欲しい〉。めくるめく言葉の応酬が、感情のジェットコースターに変化して耳中を駆け巡る。〈ザラメが溶けてゲロになりそう〉のラインから届くのは、一つの対象に対する抑えがたい執着が嘔吐物に比するような身体の如何ともしがたい反応と繋がっているという認識だ。その歌の総体は、現代に対する社会批評として響く。大衆が示す傾向を、肯定も否定もせずに歌のなかで描写すること。今ここにある集合的な心を、歌として象徴すること。同時に彼のしゃがれた歌唱は、裏返るような「IRIS OUT」の突飛な声は、彼自身が内に抱くものへの自嘲として想像される。社会批評と自己批評を同時に行う姿勢と結果が、米津玄師を“大衆音楽家”たらしめている。
アンダーグラウンドなものだったボカロカルチャーから登場し、『YANKEE』『Bremen』といった作品で意識的にJ-POPのフィールドをめざし、やがて押しも押されぬトッププレーヤーに認められた米津玄師。2014年に発表された『YANKEE』というアルバムのタイトルは、米津自身が外からJ-POPにやってきた“移民”であることを示していた。そして、一度中心で認められたとしても、“外側から来た”という認識は変わらない。変えるべきではない。彼が外側にいるように見えるのは、半ば本人の選択だろう。内側と外側の境界線の変化をここまで意識し、自らの立つ場所を常に確かめている大衆音楽家は、米津玄師の他にいない。
※1 https://www.billboard-japan.com/special/detail/5309/
■リリース情報
米津玄師「烏」
Listen here:https://smej.lnk.to/Karasu
Special site:https://reissuerecords.net/Karasu/