「解散してもいい」ーー森山達也の危機を救ったTHE MODSの固い結束 45年間バンドが続く原動力とは
1981年6月21日、森山達也率いるTHE MODSはロンドン録音のアルバム『FIGHT OR FLIGHT』をリリースした。福岡・博多で結成されたこの4人組は地元での活動を経て上京、ザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズに続く“めんたいロック”の最終兵器として人気を得ていった。THE MODSは、当時まだ日本には雑誌ぐらいしか情報がなかったロンドンパンクの空気を纏い放出するバンドだった。森山の「ザ・クラッシュと同じレーベルから出したい」という条件をレコード会社が呑んだのは、彼らに可能性を見たからだろう。
そんなTHE MODSが、ほぼ不動のメンバーで活動を続けてきた45年を経て、『REVOLVER 45』をリリース。今回森山へ、45周年という境地、バンドのこれからについて話を聞いた。(今井智子)
5年の歳月と困難を乗り越え、再び回り出した45周年
ーー10年ぶりの新作『REVOLVER 45』は、タイトルが示唆するように45周年という節目の作品になりました。THE MODSの45年、いやそれ以上を感じさせる曲が並んでいますが、制作に取り掛かる際にそうしたコンセプトをお持ちだったんでしょうか。“REVOLVER”は拳銃の名前ですが、どんなイメージでこのタイトルに?
森山達也(以下、森山):タイトルは、ピストルじゃなくて“回転”という意味ですね。45回、まわったんで。コロナの前に曲作りを始めてたんですよ。個人的に準備をしていたところから、ベーシックなところができあがって、レコーディングしたいなと思っていたらコロナ禍に入ってしまった。やっとコロナが収まって小さなツアーをやって、「よし、アルバムに取り掛かろうか」って時に自分の耳がおかしくなり、それで2年。やっと耳も慣れてきたんで、やろうか、と。アルバムの前にライブをやらないと。そこが最終的にやりたい場所だから。アコースティックから始めて何とかクリアできたから、そこから改めてアルバムを作らなきゃって。そしたら「来年45周年ですよ」って言われて、その時に初めて「そうか!」と(笑)。
ーーでは、このアルバムがスタートしたのは5年以上前。40周年だった2021年はコロナ禍の真っ最中だったのでライブもままならず、その後の森山さんの突発性難聴の治療と、大変なことが続いた時期に作られた曲なんですね。「CHEERS FOR TEARS」や「地下室のバックビート」にはそんな森山さんの心情が感じられます。
森山:もう、45周年とか全然。コロナで苦しかったし自分の耳がいい状態じゃなかったから。自分のダウンした感じと、そこから抜け出す感じ。その時期を歌詞の世界では書いてしまった。初めての経験だったから、ミュージシャンとして「これで終わったかな」って。未来の想像がつかない。でもまあ、こんだけやってきたから幸せだったなと、振り返って、出会ったいろんな人たちとか、あの人がいたから俺たちも頑張れたなとか、個人的なストーリーを書きました。それで先も少しは見えたから、「やるんだ!」って感じになったのかな。
ーー1曲目「CRAZY HOT SUMMER '79」は、2024年に出された『Hey! Two Punks The Mods : The Early Days 博多疾風編』(森山達也・北里晃一/シンコーミュージック・エンタテイメント)で語られているような、デビュー前の博多時代のことを歌われています。
森山:この曲は、あの本を書かなかったら生まれてなかった。耳をやって1年ぐらいメンバーとも会ってなかったんですよ。病院通いで誰にも会いたくないというか、会っても楽しめないというかね。1年ぐらい経って、ようやく状態に慣れてきた頃にベースの北里から「どう?」みたいな電話があって。「だいぶ大丈夫だよ」って言って、「酒でも飲もうか」って会って。病気の話をしても暗い酒になるから、そういうことを全然話さずに馬鹿話ばっかりしたね。その時に博多時代の話になって、「あの時、誰といたっけ?」とか。あの頃もしょっちゅう飲んでたから記憶も曖昧だし、「今のうちに記録を書いておかないとやばいよね」って。それで、今後何かあった時のために書いておこうと思い立った。そしたら「面白いねこれ」ってなって、こういうかたちになったんです。でなきゃ書かないから(笑)。それでアマチュア時代にぐーっとフィードバックしたから、この「CRAZY HOT SUMMER '79」が生まれた。
メンバーの絆と森山達也を救った音楽の力
ーーその頃からまったくブレることなく、THE MODSはロックのかっこよさを体現してきていると思いますが、森山さんの思うロックのかっこよさはどんなところでしょう。
森山:特に意識するものではないかな。湧き出てくるものが一番だし。湧き出てくるものって自分が小さい時から聴いているものだと思うんだよね。“血”だと思うんだ。血が騒いで曲が生まれて、それが何々風みたいにならないようにしないと。ビートルズ風とかならいいけど、流行りっぽい要素とかはあまり考えない。今はこれがオシャレだからとか、そういうのはまったく興味ないから。それに、できないしね(笑)。
今はロックが停滞してるというか、日本はまだいい方じゃないかと思うけど、世界的に見てもHIP HOPとか今風のR&Bとかがパワーがあるのが寂しいけど、俺たちはこういうロックが好きだから、ある意味変えようがないというか。だから、まさに最後の曲「ROCK OR NOTHING」という気分ですよね。“ロックか死か”。
ーー先ほど耳の病気になられた時に未来が見えないとおっしゃいましたが、そういう時はさすがにバンドも終わりかな、とか思われたりしませんでしたか。
森山:ありましたねえ、初めて。怖いというか。病院で、はっきり「治らない」って言われたんですよ。眠れないこともあったし、精神的にダウンしてカウンセリングにも行った。でも、治療薬がないから睡眠薬しか出なくて、これじゃダメになってしまうなと思って。でも、音楽を小さい音で聴きながら「きっと寝れる、きっと大丈夫」って。音楽はすごい薬になりましたね。
ーーそういう時はどんな音楽を聴かれるんですか。
森山:まずはThe Beatlesの優しい曲。やっぱり懐かしいし心地いいというのが、精神的にリラックスできる。iPhoneのミュージックアプリでソフトロックとかも聴きましたね。俺の大嫌いなアメリカのバンドとかも入っていたんだけど、その時に聴いたら「いいじゃん」みたいな(笑)。Eaglesとか、いいねえって。ロン毛でベルボトムみたいな、ああいう系のバンド、大っ嫌いだったのに(笑)。
ーー(笑)。書籍『Hey! Two Punks』にお二人のアルバムセレクションが載っていて、森山さんのリストにEaglesが入っていたので意外だったんですよ。でもそうしたことを重ねながら回復に向かわれて、ライブもやれるようになったのが一昨年ですね。
森山:メンタルが持ち上がって、やっと「ステージに立とう」ってね。もちろん治ることはないから、俺の耳はこうなんだって自分の脳みそに教えるしかないらしい。それを当たり前に感じるようになれば進める。一歩進めたらギターを弾いてみよう、次はリハーサルやってみようって。それでアルバムも作れて、ツアーもできて。でかい音を聴くとまた悪くなる可能性があるから、慣れないイヤモニとかも使いながら、なんとかやれてる。
ーーそれでも以前と遜色ない作品ができているのは感動的です。やはり4人の結束力があればこそでしょう。
森山:ここで変に自分だけ変えようとしてもメンバーに悪いし。俺一人で作ってるわけじゃなくて、メンバー全員で作ってるわけだから。そうじゃなかったら、ソロで作ればいいわけだからね。
ーー森山さんが苦しんでいる間、北里さんや苣木(寛之)さんはじっと耐えて待っていたんですね。彼らも苦しかったでしょうね。
森山:途中で一度メンバーに言おうと思った。このまま、いつになるかわからないから、もう解散するならしてもいいし、他のバンドでもソロでもいいんだよ、みたいなニュアンスをマネージャーに伝えて、言っといてって。でも、そういうのは全然なかった。「気にしないで、病気のことだけ考えて」って。バンドっていいなあって、その時思ったね。