嵐に救われた音楽家としての人生 「Still...」「いつまでも」作者 多田慎也が語る、5人がくれた“奇跡”
5月31日の東京ドーム公演をもって活動を終了する嵐。彼らのディスコグラフィーを振り返ると、時代を越えて愛されるエポックなヒット曲が数多く存在する。それはリスナー一人ひとりにとっての人生のBGMとして、時代を象徴する流行歌として、これからも後世に残り続けるだろう。
リアルサウンドでは、「Still...」(作詞・作曲)や「マイガール」(作曲)など嵐の名曲を生み出してきた音楽作家 多田慎也へインタビュー。大ヒットシングル『Love so sweet』のカップリング「いつまでも」で作家デビューした多田にとって、嵐はまさに自身の運命を変えたグループだという。提供楽曲の制作を振り返りながら、嵐がもたらしたもの、彼らと過ごした人生について語ってもらった(編集部)。
夢を諦める寸前、音楽作家の人生へと導いた嵐
ーー今回は嵐の楽曲を多数担当されている多田さんに、嵐への想いや提供曲の制作秘話をお聞きしたいと思います。そもそも楽曲提供に至った経緯が、非常にドラマチックなんですよね。ぜひ、その話から聞かせください。
多田慎也(以下、多田):まず、僕が作曲を始めたのは高校2年生で、バンド活動と楽曲制作をしていまして。将来はバンドでデビュー、シンガーソングライター、あるいは作曲家でもいいなと、漠然とした思いを抱いていました。
ーーとにかく音楽で世に出たいと。
多田:とはいえ、そこまで本気で目指していたわけではなかったんです。高校卒業後に進学したのは音大でも専門学校でもなく、いわゆる一般の4年制大学。大学に入ってバンドをやったり、ちょろちょろオーディションにデモテープを送ったりしましたが、結果は出ませんでした。そのまま大学生活をダラダラと過ごしてしまい、就活の時期になり「いよいよ将来はどうするんだ」と。「音楽の夢を諦めきれない」って言うとカッコ良いですけど、このまま会社員になるのはちょっと……みたいに思ってて。しかもそのときは就職氷河期だったこともあり就職もシビアだったので。「就職はとりあえずやめておこう」と思って、塾講師でアルバイトを始めました。
ーー卒業後はアルバイトで生活をつないでいた。
多田:そうは言っても当時の僕は実家に住んでいたし、そんなに必死で働いていたわけでもなくて。26歳になり「このままの生活を送っていてもな」「音楽の道に進むなら腹を括る、諦めるならキッパリ諦める。そう決めなきゃな」と思っていました。そんなとき、塾に通っていた中学3年生のKくんに「進路はどうやって決めたらいいの?」と相談を受けまして。僕は「自分の夢を叶えられる道に進むべきだよ」と伝えたんですね。そしたらKくんが「じゃあ、先生の夢は“塾の講師”だったんだね!」と言った瞬間に、心の中で「いや、違うんだ」と思って。そのときの僕は本気で夢に向き合っているわけでもないし、人に言えるほどのお金を稼いでるわけでもない。目の前のアルバイトを一生懸命やっているのかと言うと、そうではなかった。Kくんの言葉に、頭をガツンと殴られたような感覚になりました。
ーー生徒の何気ない一言が、多田さんの胸に深く刺さった。
多田:はい。「ごめん、今偉そうなことを言っちゃったけど、俺も将来に迷っているんだ」と正直に言いました。Kくんは現状より偏差値が10以上も高い高校を目指すと言ったので、「Kくんが受験勉強を頑張ってる間、俺は塾の仕事は一生懸命頑張りつつ、ミュージシャンを目指してこれでダメなら諦めて就職する。お互いに本気で努力しよう、約束だ!」と思わず熱くなってしまって。結果、Kくんは志望校に合格するんです。僕もこのままじゃいけないと思い、オーディションと名のつくものすべてにデモテープを送りました。ただ、どこからも連絡が来ない。だけど諦めきれない。そうこうしているとき、親友と飲みに行ったんです。親友は食品用冷蔵庫の営業所に勤めていて、「この前、営業に行ったら餡かけをかけられたよ」なんて言っていて(笑)。
ーーすごい話ですね。
多田:「毎日大変だよ。慎也もオーディションを頑張ってるんだって?」「うん、返事がなくてさ」「何件送ったの?」「先月末に2、3社に送ったよ」と伝えたら、親友が怒りまして。「それ、甘いよ。100件回って2件レスポンスがあればいい、俺の営業でさえそれくらい厳しいんだ。慎也は夢を見てると言うわりに、2、3社しか送ってないって……それカッコ悪い」と言われたんです。そこでハッとして、数百単位のデモテープを送るようになりました。ただ、メジャーのレコード会社はそんなに多くないので、ひとつのレコード会社だけで200本とか送っていて(笑)。
ーーレコード会社の人からすれば「また多田慎也から曲が届いたぞ」みたいな。
多田:ハハハ、そう思われていたでしょうね。そんな中で初めてアーティストデビューの機会をいただいたのが、嵐さんの「いつまでも」だったんです。しかも「Love so sweet」のカップリングだったので、嵐さんがトップアイドルに駆け上がる大事な時期に、ありがたいチャンスをいただきました。Kくんの高校合格から2年ほど遅れて、僕も夢を叶えることができましたね。
ーー楽曲提供の話を聞いたときの心境は?
多田:「嘘だろ!?」と思いました。塾で50万円を貯めて、そのお金がなくなったら夢を諦めようと決めていたんです。ちょうど貯金が底をついて「これで終わりだな……」と諦めかけていたとき、「前に送ったデモが嵐の楽曲に決まりました」と言われたから、本当にびっくりして。しかも僕が作ったのは簡単な伴奏と歌だけがある、素人に毛が生えたぐらいの完成度でした。それを今もお付き合いがあるha-jさんがアレンジを付けてくれて「こんなにキラキラしたサウンドになるんだ」と、そこでも驚きましたね。
ーー楽曲提供に至るまでの話もドラマチックですが、それが嵐の転換点となった2007年リリースの18枚目シングル『Love so sweet』のカップリングだったことも象徴的ですよね。その年は嵐が初めてドーム公演を開催したタイミングということもあり、反響も大きかったんじゃないですか?
多田:本当にすごかったですね。僕は自分の活動をブログに書いていたんです。それまではコメントが1日1件つくかどうかだったんですけど、『Love so sweet』がリリースされた翌朝にブログがパンクして。読み切れないほどの長文コメントが殺到し、「こんなことが起きるんだ……」と感動しました。